民族植物学(ethnobotany)とは?
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 民族植物学とはethnobotanyを英訳したもので、比較的新しい語彙です。1896年、Harshbergerという人がThe Purpose of Ethnobotanyという題目の論文を発表したのがその始まりですが、当初は「原住民族による植物の利用」という単純なものでした。しかし、その後、「植物がどのように使われるのか」だけではなく、「どのように認識され使いこなされているか」、「人間社会とその依存する植物との間の互恵的関係」にまで言及するように発展してきました。現在でも民族植物学をどう定義するか研究者間で論争があるのですが、「植物と伝統的民族社会との相互関係」というのがもっとも広く定着した認識です。比較的最近までわが国にも「里山と地域社会が相互依存しあう」環境があったのですが、これも立派な民族植物学の研究対象です。民族植物学情報は各民族が長い歴史の間に積み上げてきた知恵が主体となっているものですが、研究者の中にはこれを軽視する人も多いようです。しかし、民間に伝承されている情報は決して侮ってはならないことは次の話を聞けば理解いただけるでしょう。いつのことだったか今となってははっきりと憶えていませんが、漁獲量の減少に悩む東北地方三陸海岸の漁師さんが沿岸の漁業資源を涵養する目的で奥深い山に植林をしたことがありました。このような場合、通常漁礁をたくさんつくって海中に沈めることを想像しますが、実際漁師さんたちがやったことは一見荒唐無稽の行動に見えます。しかし、これは先祖からの言い伝えに従ったものだといいます。山が荒れれば沿岸に流れ込む養分が減り魚が集まらなくなるということを長い歴史の間に知恵として伝承してきたわけです。現在でこそ、このことは広く理解され、地域によっては漁業資源涵養林(私が知っているのでは神奈川県真鶴半島にあります)というのもあるそうですが、当初は学者先生に全く無視されたといいます。こと自然に関することでは否が応でも自然と正面から付き合うことを余儀なくされてきた先祖伝来の知恵に勝るものはないという一つの例ではないでしょうか。以上のことは薬学とはあまり関係のない領域の話ですが、薬学領域に関係することでいえば、伝統的民族社会で用いられてきた植物から多くの重要な医薬品が生み出されたきたという事実があります。しかもそれは地球上に存在する植物からすればごくわずかのものが科学的検索された結果に過ぎません。依然として膨大な資源が科学研究においてノータッチの状態にあり、また各民族が祖先から伝承した貴重な知恵もその中に埋もれているのです。残念なことに、世界がグローバル化し各民族固有の伝統社会が崩壊つつある今日では、伝統社会の中でのみ伝承しうるこうした先人の知恵は急速に失われつつあります。このような状況の中では、一刻も早く貴重な知恵を収集し後世に伝承を計ることが課題となります。今日、特に欧米諸国で民族植物学が注目されているのは、このような状況が背景にあるのです。残念なことにわが国における認識度は低いのが実情です。以上、わが国ではなじみの薄い民族植物学についてその背景を述べましたが、薬学領域における民族植物学では当然「医薬品の種となる先導化合物の探索」が主目的となります。当教室はこの視点に立って東南アジアにおいて民族植物学研究を進めてきました。「民族植物学」に対して少しでも理解していただければと、これまでの研究の過程で撮影したスライドを紹介します。