筆者は身近な生活空間に分布する植物の写真をホームページ上で公開している。写真画像のほかに簡単な解説を付けているのだが、もっとも苦労しているのが植物名、特に地方名(local name)の由来の説明である。在来種でどこでも普通に見られる植物ほど、その名の起源は古く語源がわからないのが多い。日本の自然は多様であり、亜種以下を除いても約5,565種の野生植物がこの狭い日本列島にひしめき合っている。無論、5,565種という植物種の全てが一般の日本人に知られてきたわけではない。大半は植物分類学が確立した近世以降に専門家によって名付けられている。植物名には和名と学名があり、基本的にはどんな名前を付けてもかまわない。別ページでは列記とした学名(ラテン名)にとんでもない名前が付けられた例を紹介した。日本列島産の植物で新種として記載されたもっとも最近のものは、奄美大島に生育する“ワダツミノキNothapodytes amamianus”(クロタキカズラ科)である。この植物は長い間西表島、石垣島に生える同属のクサミズキNothapodytes foetida(右写真)と同種とされてきた。ワダツミノキとクサミズキの違いは花の微細構造の違いなので、素人にはこの両種を区別するのは難しい。ワダツミノキの名の由来ははっきりしていて、奄美大島出身の歌手元ちとせのヒット歌謡曲「ワダツミノキ」に因んだものである。正直いって奄美大島という以外、この植物名と歌謡曲名の間に全く接点はなく、命名者の単なる思いつきでそう名付けられた。命名の経緯が原論文(Nagamasu, H. and Kato, M., Acta Phytotax. Geobot., 55, 75, 2004)に記載されているわけではないが、命名者が堂々とそういっているのであるから、これ以上確かなことはない。しかし、時代を経て、元ちとせの島歌が歴史から消えうせたと仮定すれば、もともと植物に何の関係もないので、後世の人はその名の語源の解明に苦しむことだろう。そもそも「ワダツミ」の語源自体わかっておらず、また命名の経緯も軽い思いつきにすぎないからわかるはずもない。一般に、植物名には何らかの由来、起源があるとしても、果たして論理的つじつまのあるものがどれだけあるだろうか。「ワダツミノキ」のようにちょっとした気分で付けたとしたらその語源の解明は本質的に不可能である。仮に論理的由緒があるにしても、途中で訛ったり別名との交雑があったり、名前そのものが変質していくから、古いものほど辿るのが困難になる。古くから日本人が多くの植物を認識してきたことは、1200年以上前に編纂された万葉集に約166種の植物が詠われていることでも明らかである(松田修、萬葉の花、芸艸堂、1972年;中尾佐助、花と木の文化史、岩波新書、1986年)。中尾佐助によれば、その数は聖書に記載されるもの(約100種という)よりはるかに多く、しかも聖書にはブドウやコムギなどの有用植物がほとんどであるのに対して、万葉集では野生植物が圧倒的に多い点で特筆に価するという。この中には現在まで伝承されている植物名も多く、ここでその一部を取り上げ、その語源を考察してみたいと思う。結論からいえば、古い植物名の語源は不明のものが大半である!
【オケラ】キク科のオケラAtractylodes japonicaは、万葉時代には“宇家良”と呼ばれており、今日ではそれがわずかに訛って「オケラ」となった、起源の古い名前である。オケラの語源を説明するには「うけら」の語源を考証するしかないが検討すらつけられていない。2月節分の日に、オケラの根を焚いて病の鬼を祓う追儺式が本邦各地で行われている。これを「うけら焚き」あるいは「おけら焚き」と称しているので、古い信仰と関連があることは間違いない。正月になると一年の無病息災ならびに健康を祈願してお屠蘇を飲む習慣があるが、中国から伝来した風習である。日本では平安時代の嵯峨天皇の時代に宮中の行事として行ったという記録が残っている。お屠蘇とはお酒に屠蘇散(屠蘇延命散が正式名)を浸けたもので、名前からして漢方薬のように見えるが、その名が「邪気(蘇)を屠る」ことを意味することからわかるように病気の治療ではなく神事に用いられるものである。屠蘇散は五種の生薬すなわちキキョウ・ボウフウ・サンショウ・ニッケイ・ビャクジュツを配合した散剤(時代によって配合する生薬の組み合わせは異なっている)であるが、この中の一つビャクジュツはオケラの根を基原とする。ビャクジュツが屠蘇散の中心であることを考えれば、オケラの名は神事や信仰に由来すると考えることもできる。しかし、万葉集では、東歌で武蔵野の草花としてもっぱら叙情的に詠われ宗教色はほとんど感じられない。オケラは日本列島が大陸と陸続きだった氷河期時代(4回あったとされるが、最終氷河期でも2万年以上前である!)に満州、朝鮮半島を経て流入した「満鮮要素」と称する植物群の一つである。その当時の日本列島(大陸と陸続きだから、現在の日本列島に相当する地域というのが正しい)は現在より乾燥していて自然草原が発達(現在の日本列島は潜在植生は森林である)し、オケラはそのような環境に生える草原性の植物である。オケラが鬱蒼たる森林や深山ではなく人里近くに見られるのはこのためである。古代から武蔵野は開墾され定期的に人手を加えることで雑木林を維持してきたが、ところどころに草原も維持されていた。おそらくオケラは古代では普通の身近な植物だったと思われる。雑木林や草原が放置された現在では、潜在植生であるシラカシ-アラカシを中心とする常緑広葉樹林への遷移が起き、草原性植物は激減しており、オケラは丘陵の尾根筋など木が生えない所にかろうじて生き延びているにすぎない。右の写真も神奈川県津久井郡の丘陵の頂上付近のわずかな草地に生えていたものである。
【ハコベ】ナデシコ科ハコベStellaria neglectaは春の七草の一つとして親しまれるもっとも身近な植物の一つである。ハコベは古和名の「波久倍良」に由来するというのが定説であるが、その古名は万葉仮名のように見える(本物の万葉仮名である)ので、しばしば万葉集で詠われていると勘違いされる。実は、「波久倍良」の名は、平安時代に書かれた日本最古の草本書『本草和名』(918年)に初めて登場するのであって、万葉集や古事記には全く詠まれていない。因みに「春の七草」のいずれも万葉集には詠われておらず、万葉時代には「春の七草」の概念がなかったのである。山上憶良が“秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七草の花 萩の花 尾花 葛の花 瞿麦の花 女郎花 また 藤袴 朝貌の花”と詠っているので、多くの人は「春の七草」も万葉集で詠われていると勘違いしているのである。「春の七草」は、平安時代に「四辻の左大臣」が憶良の「秋の七草」に対して「せりなづな 御形はこべら 仏の座 すずなすずしろ これぞ七草」と詠んだことから定着したものである。ハコベは波久倍良の訛りが語源ということになるが、古語では“はく”は木綿、“べら”は群がるという意味だから、細かい毛が密生している様を見立てたと一応説明されている。木綿は延暦18年(西暦799年)に三河の国天竹村(今の愛知県西尾市天竹町)に一人の見慣れぬ男が木綿の種を携えて浜に現れたという伝説があるが、一般に普及したのは1500年代と新しく、中国でさえ元時代の1200年代になって本格的に栽培されるようになったといわれているので、この説もかなりあやしいといわざるを得ない。ハコベとよく似た同属種にコハコベStellaria mediaがあり、全体として小型で茎が紫色を帯びるので、ハコベをミドリハコベと称することもある。古代ではハコベ、コハコベは区別されていなかったと思われる。今日でこそ、この両種は日本列島の全土で普通に見られるが、原生に近い植生帯には見られず人里の耕作地周辺に生えている。したがってハコベ、コハコベは日本列島に原生するものではなく、古い時代に麦作農耕に付随して渡来した史前帰化植物と考えられている。麦作に付随すると考えられたのは、麦類と同じくハコベが晩春から初夏にかけて開花、結実する越年草であり、麦の収穫時に種子が紛れ込むからである。日本列島への麦の渡来は約2000年前の弥生前期とされているので、おそらく万葉時代には人里に普通の存在であったと思われる。今のところ、ハコベの古名であるハクベラの語源はわからないが、弥生~万葉時代まで遡る古代日本語を継承した名前であることは確かであろう。ハコベの分布は世界の熱帯から寒帯まで及んでいるので、原産地は特定できないが、栽培麦の起源地周辺、すなわち中央アジアと考えてよいだろう。
【ユリ】万葉集で“由利”の名が散見されるが、現在のユリ(漢名:百合)と考えて差し支えない。現在、ユリと称する植物は多いが、本来はユリ科ユリ属(genus Lilium)のことをいう。前述のオケラ、ハコベはいずれも地味な植物であるのに対し、ユリ類は花が大きく豪華であり、よく目立つので古代人の目にもよく留まったに違いない。日本は野生ユリの世界的な宝庫で、東日本を中心として分布するヤマユリL. auratum、主として西日本に分布するササユリL. japonicumはとりわけ美しく、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」といわれるに恥じない野草の女王といえるだろう。ユリの語源は風でゆっくりと大きく揺れるから「揺り」に由来するという説がある一方、朝鮮語のnariが語源とする説もある。朝鮮半島にはヤマユリ、ササユリのような圧倒的な存在感のあるユリはなく、ユリを詠った代表的な万葉歌「筑波嶺のさ百合の花の夜床にも愛しけ妹ぞ昼もかなしけ」に相応しい種は見当たらない。この歌では群生するような種ではなく、林縁や岩場などにぽつんぽつんとと大きな花を付ける押し出しのあるヤマユリでなければいま一つ風情が足りないのである。朝鮮を代表するユリはオニユリLilium lancifolium(半島の南部に自生)であるが、あまりに毒々しすぎ、万葉のユリには相応しくない。日本本土にもオニユリはあるが、全て3倍体であり、古い時代に朝鮮半島から持ち込まれたものと考えられている。但し、対馬には2倍体が自生するので、これは原生のものだろう。朝鮮語のnariは言語学的に考えてもユリに訛るとは思えないので、その語源は古日本語に由来するものと考えねばならない。沖縄には園芸価値の高いテッポウユリが海岸近くの岩場に自生し、本土産のユリ類は栽培種としても見られない。琉球語ではこれを「ユィ」と呼ぶ。多分、yuliでlの発音が欠落したもので、古い日本語の特徴を残すといわれる琉球名からもユリの語源は和語といってよかろう。ただ、その語源が「揺り」に由来するとは思えず、現時点では不明といわざるを得ない。
【ツバキ】万葉集で都波吉あるいは都婆伎とあるのは明らかにツバキ科ツバキCamellia japonicaである。この語源は厚葉木や「艶葉木」が訛ったものという説があるが、万葉時代まで遡る古い名の考証にしては語呂合わせの感が強すぎる。一方、ここでも朝鮮語のDongbaek(ツンバック)に由来するという意見がある。特に、後者の説は、明治の文人である与謝野鉄幹が提唱しているので、半ば定説と思われているようである。しかし、Dongbaek(ツンバック)は朝鮮における漢字名表記の「冬柏」の音読みなので、およそ古代まで遡る古い名前には見えない。また、冬柏の名はわが国の古文献には見られないことから朝鮮語起源説は支持できない。因みに沖縄では「チバチ」と称するが、これもツバキから変化したものであろう。別名に「カタシ」があるが、材が堅く簪や櫛を作るのに用いられたことに由来する。ツバキは神社や仏閣に植栽されることが多いので、同じツバキ科であるサカキCleyera japonicaのように信仰との関連があるように思える。この観点にたって、ツバキが、古来、聖なる木、神木であったことから、ツ(所)ニハ(庭)キ(木)もしくはツニハ(津庭)キ(杵=棒)に由来するという説、ツバキが口から吐く唾が占いと関連があることと結び付けて唾(つばき、つはき)に由来するという説が有力と考えられる。朝鮮語名はむしろ和語の発音を漢字に当てたものと考えた方が自然である。ツバキは典型的な照葉樹であり、わが国では照葉樹林帯に普通に生える植物だが、朝鮮半島では南端部と済州島に自然分布が限られるので、日本からその名が伝わったと考えるのが自然である。ツバキ(海石榴)油が古代日本の特産品として遣唐使によって唐皇帝に献上されたという記録が残っている。海石榴は当時の中国人がツバキに与えた名称であり、海は外国から持ち込まれたものに付けられる中国独特の呼称である。また“海東の盛国”渤海の使節がツバキ油を所望したことも古文献にあるので、朝鮮も頭髪料、灯油、食用油として有用なツバキ油を日本から輸入していたと考えられるのである。
【スギ】スギは早春になると多量の花粉を散布するので、すっかり悪玉となってしまった。一方、多くの神社仏閣にはご神木として植えられており、古来、日本人にとって身近な信仰の対象であった。太い幹に注連縄(しめなわ)が飾られているスギは北海道と沖縄を除けば全国どこでも見られるだろう。注連縄は稲作農耕に付随して渡来した習俗の一つであり、スギに限らず巨木をご神体として崇めるのは東南アジア、中国から日本列島の照葉樹林帯に共通して見られる。スギは大きいものは樹高60メートル以上、胸高直径も6メートルを越す巨木であり、しかも長命である。屋久島には樹齢7000年と推定されるものが生育している。スギが日本列島で古来信仰の対象となっていたことは万葉集に「神杉」、「神須疑」の名で詠われていることからも理解できる。「味酒呼 三輪之祝我 忌杉 手觸之罪歟 君二遇難寸(味酒を 三輪の祝が いはふ杉 手触れし罪か 君に逢ひかたき)」(巻四 七一二;丹波大女娘子)の歌は、古代にご神木の杉に手を触れることがタブーとする民俗信仰があったことを示唆する。万葉集には杉(=椙)、須疑乃木の名で計12首に詠われている。その語源は『大和本草』によると「杉、木直ナリ故ニスキト言フ、スキハスクナリ」すなわち「直木(まっすぐな木)」に由来すると説明されている。しかし、万葉仮名で須疑乃木したものもあるので、木の字が重複することになり、スギは「す木」ではないと考えねばならない。朝鮮語のSukuki-mok、Sugu-mokに由来するという説もあるが、朝鮮半島にはスギの自生はなく、植栽されるようになったのも日韓併合後のことなので、「直木」をもじってつけられた新しい名前と推察される。アイヌ語のシンクニー(真っすぐな木の意味)に由来するというのも考えにくい。中国では、杉はスギ科の別属種コウヨウザン(広葉杉)Cunninghamia lanceolataを指すのであるが、わが国に渡来したのは江戸時代末期になってからである。したがって万葉時代の日本にはなかったことになる。万葉集で杉の字が用いられているのは、遣唐使がスギとよく似た広葉杉を見て杉の字を当てたからであろう。日本産の杉に対して中国では日本柳杉という名が用意されているが、柳杉はスギの同属種Cryptomeria faurieiのことで揚子江流域に産する。ただ、最近ではスギと柳杉は同種とされることが多く、また、中国産柳杉は日本から持ち込まれたものという説もある。「スギ」の名は古く、これも現在では語源は辿ることは難しい。
【ヒノキ】世界最古の木造建築である法隆寺はヒノキで造られている。また、伊勢神宮は20年毎の遷宮で新しく建て替えられるのであるが、これもヒノキで造られている。日本の神社仏閣建築はほとんどヒノキ製といってよいほどヒノキは重用されている。ヒノキは漢字では檜または桧で表わされ、単に「ヒ」と読む。したがって、ヒノキは“ヒの木”と考えてよいだろう。万葉集にはヒノキを詠うものが8首あるが、桧原あるいは桧山と表れる例が多い。当時の大和盆地の平地や山地にはヒノキが豊富に生えており、遷都の度に建て替えられる宮殿を賄えるだけの木材資源に恵まれていたことがわかる。さて、“ヒ”とは何を意味するのだろうか。一説に、ヒノキは油分に富み燃えやすいので「火の木」に由来するという。伊勢神宮ではヤマビワ製の火きり杵を用いて、ヒノキ製の火きり臼のうえで発火させて御神火として神前へ供する儀式が今日でも残っている。しかし、上代特殊仮名では火の音は「斐」で、桧には「比」が当てられ、前者は乙類、後者は甲類であって音韻学的に一致しないので、「日の木」と考えるべきだという説もある(『木の名の由来』、深津正・小林義雄、東書選書)。この場合の日はすなわち太陽であって、万物を生み育てる万能の働きを持った存在で最高を意味し、宮殿の建築材とするに相応しいからだという。ヒノキは今日でも最高級の良材であるから納得しやすいが、発火材としても最高級と思われるので「火の木」説も捨てがたいような気がする。「火の木」説では“上代日本語の音韻学上の不一致”という致命的な反証拠がある。中国ではヒノキ科ビャクシンJuniperus chinensisを桧木と称している。この種はわが国にも自生があり葉はヒノキとよく似ているが、海岸の岩場などに生える低木であり、建築材にはならない。やはり、スギの場合と同じようにヒノキに桧の字を当ててわが国独自に慣用したのであろう。ヒノキはしばしば扁柏とも表記される。中国で扁柏と称するものはヒノキ科Biota orientalisであり、中国全土に分布する。ヒノキはわが国の特産種で中国には別種があるから、扁柏の名称を用いるのは誤りである。ヒノキもスギと同じ針葉樹であり成長して巨木となるが、ご神木と崇められるヒノキはスギに比べると圧倒的に少ない。神社仏閣の建築材として用いられるので、ヒノキの資源量が減少したとき、ご神木も利用してしまったためであろう。
【ケヤキ、エノキ】万葉集に詠われた木本植物の中には神事となんらかの関連をもつものがいくつかある。ツバキ、スギ、ヒノキのいずれもご神木として神社仏閣に植えられることが多い。これは草本植物が叙情的に詠われることが多いことと対照的である。スギ、ヒノキは長命で巨木になるので神の宿る木と考えられたのであろう。また、ツバキはせいぜい小高木にしかならないが、葉が厚くて艶があり寒い冬でも青々とした様を強い生命力に溢れていると見立てたのであろう。その他にも古い信仰と関わりが指摘されている樹木があり、その代表的なものにエノキ、ケヤキがある。しかし、このいずれも神社仏閣に植栽されることは稀で、一里塚などに植えられ注連縄がかけられたり、あるいはその根元に地蔵が設置されたりした。「縁切り」、「縁結び」などのような民間信仰の対象となる例がほとんどで、スギ、ツバキなどが神社信仰に深く結びついているのと対照的である。さて、万葉集ではケヤキは槻の名前で詠われており、中には齊槻の名が示すように、古代からご神木として祀られたものもあったことを示している。槻の字は苗字によく使われることからわかるように、ごく身近な存在であり、植物学的分布も全国の山野に広く生育する普通の樹木である。「槻」の語源については「強き木」に由来するという説が有力とされる。確かにケヤキの材は堅く家具材として有用であり、槻弓の名があるように弓材としても使われた。しかし、古代からそう認識されていた(強い=堅い)か疑問である。結局、槻の語源は、「つ木」か「つき」のいずれかがわからない限り、辿ることはできそうもない。現在名のケヤキは室町時代以降の比較的新しい名前といわれ、「けやけき木」が訛ったとされる。“けやけき”とは際立ったという意味で、大きいものは樹高30メートル以上、胸高直径2メートル以上になりほうきを逆さにしたような樹形も含めて形容したものと思われ、これは妥当な解釈だろう。一方、エノキは、万葉集では榎として出現し、「吾門之 榎実毛利喫 百千鳥 千鳥者雖来 君曾不来座(わが門の榎の実もり喫む百千鳥千鳥は来れど君ぞ来まさぬ)」(巻一六の三八七二;筑前国志賀の白水郎の歌一首)がエノキを詠んだ唯一の歌である。榎は「榎本」などの苗字にも表れて
いるように、今日でも「え」と読む。山口県には「エ」の名が今でも残っているという。その語源として、枝が多いことから「枝の木」(新井白石)、よく燃えるから「燃えの木」(貝原益軒)、器具の柄に使うので「柄の木」(松岡静雄、『新編日本古語辞典』、1932年)など数説ある。膠着状態になると必ずでてくる朝鮮語説によれば、paeng-na-mu(ペンの木、エノキの朝鮮語読み)paengからpが落ちてエンを経てエとなったという。確かに「エンノキ」の方言名を使う地域もあるので一見妥当に見えるが、そのような音韻の変化が起きるのかという疑問がある。そもそも朝鮮語といっても古代朝鮮語ではなく現代語音に基づいているのも納得できない。朝鮮語名が古いという証拠がない限り、議論しても無駄というべきであろう。南西諸島の亜熱帯性植物にコバフンギTrema cannabinaというニレ科植物があり、フンギはフクギ(福木)であり、エノキの朝鮮語の別名pog→hog→hug→hugu→huku(フク)になったともいう。沖縄ではフンギのほかにフクイキ(西表島)、フクギ(沖縄本島)の別名もあるので、福木を当てるのは妥当であろう。しかし、沖縄では福木といえばオトギリソウ科高木のフクギGarcinia subelliptica(屋敷林として植栽されるほか、沖縄特産の紅型の染料になる)を指し、この植物は熱帯系であるので朝鮮半島では成長しない。コバフンギは赤い実を付けるのでエノキとはよく似るが、樹高数メートルの小高木にしかならない常緑の別属種である。エノキの実は、前述の万葉歌で詠われているように、鳥が好んで食べるので毒はないと思われる。しかし、コバフンギの実は家畜が食べると死ぬと恐れられているという(多和田真淳・池原直樹、沖縄植物野外活用図鑑、新星図書出版)。山黄麻の漢字名およびラテン学名のcannabinaが示すように繊維原料あるいは染色原料として用いられてきた。したがってコバフンギの「フクギ」はオトギリソウ科フクギと同様に有用植物であるからそう付けられ
た可能性が高いのである。本土のエノキに似ているのは、リュウキュウエノキCeltis boninensisであり、こちらは樹高20メートル近くになる落葉樹である。しかし、この植物の別名は「ビンギ」であり、福木とは全く関係がない。ヒノキの「桧の木」とエノキの「榎(え)」の木は、音は違うにしても、一文字系の名前という共通点がある。エノキは朝鮮半島にあるが、ヒノキは日本特産である。同じような形の名だから、もともと和語であったことを否定する証拠は何もない。また、短い音節の名前の場合、前述のような発音の類縁を引き出すことは世界のどの国の言葉からも可能であるという例が報告されていることを指摘しておきたい(→清水義範、「蕎麦ときしめん:序文」、講談社文庫、1986年)。
【タブノキ】万葉集や他のいかなるジャンルの文学作品にも滅多に見られないが、ツバキと並んで照葉樹林の代表的樹種として知られるクスノキ科タブノキMachilus japonicaの語源もこれといった定説がない。別名はイヌグスで、クスノキに似ていてそれほど役に立たないという意味だが、これは新しい名前である。タブの語源は朝鮮語の丸木舟を意味するt’on-baiに由来するという説がある。古代に丸木舟を造ったからというが、ツバキと同様、タブノキは朝鮮半島の南部にしかなく、貧土壌の朝鮮では船を造るほどの大木は育たない。むしろ朝鮮語名の方が日本語に由来する可能性を考えるべきではないか。沖縄では山地にごく普通に生える植物であるが、タブと称している。「たぶんクスノキだろう」からタブノキになったという説は笑い話としては面白くても信用できるものではない。タブのほか、タモ、タマなどの類似の別名があるので、やはり和語と考えるべきであり、その語源は古すぎてわからないというのが妥当ではなかろうか。
以上、比較的身近な植物の古名の語源について考察したが、結論として、ほとんどは由来は不明ということがわかる。ここでは触れないが、日本文化の構築の過程で植物の果たした役割は無視できないものがある。万葉集での身近な草木の詠まれ方を見ると、植物と日本人の関わりの原点は叙情にあるといってよいだろう。近世になるとマツカゼソウBoenninghausenia japonica(松風草;ミカン科)、ヨイマチグサOenothera strica(宵待草;マツヨイグサの別名、更に月見草の別名もあり;アカバナ科)、キミカゲソウConvallaria keiskei(君影草;スズランの別名;クサスギカズラ科)などのような叙情的な命名が目立つようになり、日本人の植物に対する感性は一層増幅したと考えてよいだろう。一方、朝鮮半島では植物名は叙情的とは程遠いという。日本では宵待草といわれているのを、日本語に訳すと「盗人草」と呼んでいるそうだ。宵待草は北米大陸からの帰化植物だが、昔から食用、薬用などに役に立たなくても、美しく風情があれば日本人は受け入れてきた。朝鮮ではどちらかといえば実用植物を優先する傾向が強いといわれる。日本人と朝鮮人の植物に対する感性の違いは大きな違いがあると見なければならず、おそらく古代から連綿と受け継がれてきたものだろう。1200年以上経った今日の日本でなお万葉歌が人気を保ち続けているのは「万葉の花」の存在が大きいのではあるまいか。植物と人の関わりという観点では、文献資料も1200年前から連綿として存在するので、日本民族は朝鮮民族よりはるかに深くかつ古いといって過言でないだろう。日本では万葉集で166種の植物名を見ることができるが、朝鮮ではそのような古い文献資料は存在せず、植物と朝鮮人の関わりを民俗学的に考察しようにもできない。前述したように、植物名の由来を朝鮮語に求めることが少なからずあるが、朝鮮語名がどういう経緯で導入されたか、また朝鮮語名の由来がわかっているかどうか考証する例は皆目聞かない。ただ一方的に朝鮮語名を日本語名に結びつけるだけである。日本に自生しない植物であれば外国名を導入するのはごく普通であるが、自生種であって身近にある植物に外国の名前を導入するには何らかの理由があるはずである。ハコベの別名に繁縷、ハコベの全草を薬用に用いるという中国の本草書にしたがってその名前を借用している。この場合は植物名というより生薬の名称と考えてもよいかもしれない。このように経緯がはっきりしている場合は別として、外国語に語源を求めるのはあまりに安易な発想といわざるを得ない。植物に対する感性が異なる文化から名前を拝借する必要があるのだろうか。おそらく、古い名をもつ植物はそれだけ生活に身近な存在であって、「手」、「足」などや「ひとつ」、「ふたつ」などの数詞と同じように生活の上での基本語彙と同等の存在であったのではなかろうか。したがって、「手」、「足」などの語源がわからないと同じように、植物名の語源がわからないものがあったとしても差し支えない。
最近、地名の起源を調べる研究(といっても学術的ではないが)が盛んらしい。現在伝わっている日本語による地名の由来は意外と新しく、古い地名はほとんど朝鮮語に起源があるという通説が蔓延っているようである。このあたりも植物名の起源の考証と共通するので興味深いが、問題は碩学を気取った民間人(この場合は非専門家という意味)がかかる俗説をはいている点に留意しなければならない。例をあげれば、神奈川県の古名は相模国であるが、従来説はさかみ(坂見)、すなわち坂(箱根の足柄峠)から見下ろす地域を意味するとされていた。これとて真実かどうか怪しいのであるが、地名として機能しているのだから別に正しい答えがなくても一向にかまわない。しかし、最近では、朝鮮語のサガ(寒河、私の家、社という意味らしい)に由来し、山形県の寒河江市も同じ由来だという説が巷に浸透しているようだ。これを見て思い出されるのは、「古代、アメリカは日本だった! ネイティブ・アメリカンが証明した」(ドン・R・スミサナ著・吉田 信啓訳・解説、徳間書店、1992年)である。ここでは次のように日本語との関連が付けられる地名が挙げられ、その結果、書名のようなパロディ(と筆者は解釈するが)に仕立て上げている。
アメリカ地名 | 関係付けられた日本語 |
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テキサス | 敵刺す |
ミズーリ | 水入り江 |
マサチューセッツ | 鱒駐節 |
カンザス | 関西 |
ケンタッキー | 関東京 |
カナダ | 金田 |
ナイアガラ | 荷揚げ場 |
アパッチ | あっぱれな者 |
エスキモー | アシカの肝 |
オハイオ | お早う |
サツマ | 薩摩 |
この中に原作にはない本物が一つ紛れ込んでいる。サツマ(Satsuma)はアラバマ州モービル郡サツマ市という実在する地名であり、日本語の薩摩がそのルーツである。これは嘘ではなく真実である。しかし、この町の名の由来は日本人とは関係なく、温州みかんの英語名のSatsuma orangeに因む。温州みかんは鹿児島県薩摩地方原産の柑橘種で、味がよく簡単に皮が剥けるので、世界的に人気のあるミカンである。19世紀に温州みかんはアメリカに導入され、各所で栽培が試みられた。アラバマ州モービル郡ではそれに因んで地名にもなってしまったというのがその顛末である。残りは単なる語呂合わせで遊びの域を出ない。筆者が言いたいのは、日本とアメリカという文化的に異質の国同士でもこのように名目上の類縁をでっち上げることが可能だということである。先ほどの地名朝鮮語起源論も「面白話」で済ませれば全く問題ないのだが、そのソースが金達寿氏の『日本の中の朝鮮文化 相模・武蔵・上野・房総ほか』(講談社、2001年)ほかの類書となると看過できない。何故なら金達寿氏は広開土王碑文が日本に都合のよいように改竄されたと主張して一世を風靡した作家だからである。因みに、彼の広開土王碑改竄説は日本、中国の学者の研究によって否定され(大人の教科書編集委員会、大人の教科書 古代史の時間、青春出版、2003年)、今度は一転して碑文の解釈云々に転向し、倭人が海を渡って高句麗と戦ったことはないと主張し始めた。一般の日本人から見れば無節操そのものだが、彼の論調はおよそ柔軟とは程遠い思い込み思考で支配されていて都合のよい部分だけを取り出すので、一般人から見れば実に歯切れがよいのである。真の専門家であれば、あらゆる関連情報と比較して推論をするから、どうしても歯切れのよさに欠け、結局、奥歯にものが挟まったような主張になり、素人には結論がはっきりわからないのである。あるテレビ局のクイズ番組関係者の話では、一般人にとっては語源(植物名、地名、慣用句、ことわざなども含む)に対するものがもっとも関心が高いという。一方、国語学者や言語学者で語源を専門にしている人はほとんどいない(少なくとも筆者は知らない)。筆者の専門領域である植物分野でも、植物名の語源は牧野富太郎らがわずかに持論を展開している(北隆館、『牧野富太郎植物図鑑』)が、植物学の泰斗ではあっても言語学では全く素人であることもあって的外れのものも少なくない。また、それに対して検証を試みる専門家もほとんどいない。つまり、本物の碩学はこんなことに没頭する価値は認めないので、金達寿氏らがそのニッチをついて胡散臭い俗説を提唱し一般人の欲求を満たしているともいえる。もっとも、「民間(民衆)語源」(folk etymology)という語もあるように、語源に関しては学者の説も民間の説もそんなに変わらないともいわれる。ただ、学者と違って民間人は情報源が限られる結果、どうしてもソースが偏寄ってしまうので、朝鮮語言説のような俗説が無批判に蔓延ることになる。わが子につける名前も古典を引っ張り出して推敲に推敲を重ねて選び出すこともあれば、一方、人気のある芸能人の名前を拝借することも多い。人名ですらそうなのだから、地名や植物名の由来などはもっと軽いものと考えた方がよさそうである。したがって地名などの由来は本来どうでもよい存在といってよいのだが、こうした俗説によって誤った認識が流布するとすれば話は別である。実際、金達寿説を学校教育で取り上げる教員は少なくなく、歴史の授業で「日本に渡来文化の痕跡はあるか」といいながら、ほとんど金達寿氏の説を無批判に受け入れている例は多い。また、博物館などのニュースレターでもその内容が無批判に紹介された事例もある。もともと答えのないものは多様な思考があってこそ真実に迫ることができるし、その方が面白いのだが、何も知らない子供たちが根拠のない俗説を信じ込んで柔軟な思考を封殺されるのは怖いと思うのは筆者だけであろうか。身近な植物名や地名などが本当に朝鮮語に由来するのであれば、日本語にも朝鮮語の影響が色濃く残されて居なければならないが、それは事実なのであろうか。たとえば大和盆地には、奈良時代、渡来人で溢れており、朝廷内では朝鮮語が話されていたともいう。もしそうなら後世に大和朝鮮族自治区ぐらい残ってよさそうなものだが、朝鮮語はどこかに雲散霧消してしまっている。中にはこの矛盾を解消するため、古代朝鮮語と古代日本語は同一語と主張する人も少なくない。今日の朝鮮語と日本語の違いは際立っており、今のところ、両言語の類縁を証明する信頼できる比較言語学データはない。すなわち、日本語の起源が朝鮮語であるという状況にはないのである。第二次大戦までわが国は朝鮮半島を領有化した。その支配の論拠としたのが「日鮮同祖論」であり、戦後、厳しく批判されたはずであった。しかし、最近では、それを反対に解釈した「日鮮同祖論」が蔓延りつつあるように見える。それは歴史とは全く関係のないところ、すなわち「自然科学」の分野まで及び始めている。その例は、「ソメイヨシノ韓国原産説」(既に遺伝子解析でわが国産のサクラ属種による雑種起源で決着がついている)、「日本の生態は韓国に起源がある」(自然史に国の区別はない!)など枚挙に暇がない。不思議なことは、これを無批判に受け入れる日本人が少なからずいることである。
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