本書は、初版日本薬局方(1886年)から第十六改正版第二追補(2014年)までの歴代局方に収録された305種の生薬について、その歴史的由来を徹底的に考証してまとめたものです。生薬とは、天然に存在する薬効を持つ産物から有効成分を精製することなく体質の改善を目的として用いる薬の総称と一般には定義されています(Wikipaediaによる、専門家の認識は若干ニュアンスが異なります)が、長い歴史を通して実際にどんなものが利用されてきたのかを把握するのは想像以上に難しいことです。専門分野たる生薬学では生薬として使われるものを表す語彙として基原という特殊な専門用語(一般の辞書にはまず見当たりません)があります。たとえば植物由来の生薬についていえば、局方が規定した植物種で実際に薬として用いられる部位(たとえば根、葉、果実など)が基原に相当します。それなら「くすり」のルーツに言及するのだから起源種としてかまわないのではないかとよく一般の方(とりわけ文系の方)から指摘されます。しかし、同じ名前の生薬でも局方の各版によって植物種が異なることは少なくないので、間接的ルーツも含める起源という語ではあいまいさが残りますので、直接的ルーツを指す語として基原(専門家によっては基源で表すこともあります)という語を創製して使っているのです。ややこしいことに、英語ではどちらもoriginと表現せざるを得ず、それ故に専門外あるいは生薬学の専門家すら理解に苦しむことが多いのです。
さて、本書の本題に入りますが、生薬には長い歴史があり、東洋では1800〜1900年前の『神農
本草經
』を始めとする歴代の中国本草が多様な生薬の基原について累積的に記述してきました。一方、西洋には『神農本草經』とほぼ同時代に成立した『
薬物誌』(ディオスコリデス)があり、収録数では上回るものの、長い暗黒時代が続いたため、ルネサンスまではほとんど内容が更新されることはありませんでした。一方、中国では西暦500年前後に陶弘景が『本草經集注』を著して質量とも西洋本草を凌駕し、以降、『新修本草』ほか歴代本草によって増録ならびに記述内容の充実が図られ、中国本草学は明代後期の李時珍による『本草綱目』で頂点に達し、伝統的薬物学としては世界の最高峰でした。わが国は飛鳥時代から中国本草を受容し、そこに収録された生薬の漢名に和名を対照させるか、新たな名をつける作業が行われてきました。すなわち、本草漢名は今日の学名に相当し、邦産の産物をその体系に組み込んで効率的に管理しようという意図があったのです。しかし、生薬の基原の分別には高度な博物学的知識を要し、当時では世界の最高レベルであった中国本草といえども、不完全な分類基準によって誤って用いられたものが数多くあり、時代によっては誤用品が正品になったことすらあるのです。だからこそ起源という語ではなく、基原という特殊な用語をつくらざるを得なくなったのです。今日の生薬市場では多くの同名異品・同品異名をよくみるのはその歴史的累積の結果なのです。
本書は歴代の和漢古典本草書の記述を客観的視点から解析し、本来の基原の特定に努めていますが、とりわけ漢方生薬においては古方派
が歴史的に優勢であったわが国の漢方事情を考えると当然の帰結ともいえます。無論、今日の市場の状況も詳細に解説し、基原の変遷の歴史的経緯について詳述しています。本書の最大の特徴は本草書のみならず和漢の古典を頻繁に引用していることです。生薬の基原植物の中には、国書では『萬葉集』・『古今和歌集』などの歌集、『源氏物語』・『枕草子』などの物語文学や随筆など、漢籍では『詩經』・『藝文類聚』・『全唐詩』などの古典に登場するものも少なくありません。それは「くすり」が高度な文化的所産の証であることを反映し、薬用植物が古くから多くの人が関心を寄せてきたからこそ、文学作品のさまざまな情景でその名が登場するのです。本書が古典文学を引用するのは、「くすり」の文化史を重視しているからであり、専門分野(生薬学ほか薬学領域、医療系分野)のみならず、理系から文系に至るまで広く読者の期待に応えることができると確信しています。そのほか、一般の方々の興味を引くような生薬に関連するさまざまな情報・トピックを満載しています。見たことも聞いたこともないようなトピックを読めば生薬の奥深さに必ずや驚嘆することでしょう。その具体的な詳細はこちらをごらんください。