本書は題名の上では四年前に刊行した前書『和漢古典植物名精解』の続編ですが、内容および記述の体裁は全く異なります。ただし、前書では収録しなかった薬用植物や染色植物、古い時代ではごく身近な有用植物であったスゲ・カヤおよびその類縁植物について記載しています。ただ各植物の考定においては前書と同じコンセプトに基づいて多くの一次資料を博引旁証していることもあって形式的ながら「続」を冠しました。以下に前編・続編の違いを概説します。
第一に薬用植物を取り上げた以上、古代の医制や医薬事情に言及せざるを得ず、その手本となった中国の古医学についても概説する必要があったことです。難解な古医書の記述を随処に引用しましたが、難解句にはインラインで注釈をつけてありますので、専門外の方々でもご理解できるかと思います。古代の薬事情を知る資料は限られていますが、薬物名を記した木簡や正倉院文書のほか、『延喜式』にもまとまった記述があり、とりわけ後者巻第三十七「
諸國進年料雜藥
」は当時の諸国から典薬寮に貢進させた薬物のリストを数量とともに記述し、どんな薬物が用いられたのかを知る第一級の歴史資料です。本書ではほとんどの薬物の基原を明らかにしましたが、禽獣・虫魚・玉石類を基原とするものも含めました。正倉院文書のうち、種々薬帳は光明皇后が東大寺に寄進した薬物のリストですが、当時の古体そのままで正倉院に残っており、世界的に見ても極めて貴重な歴史遺産として知られます。本書では種々薬帳に記録される薬物60種のほか、リストにない正倉院所蔵薬物について当時の標準薬物教書であった『本草經集注』および『新修本草』の当該の記述を完全解読、難解句に注釈をつけて専門外の読者の便を図っています。巻末に『本草和名』および『和名抄』そして『新撰字鏡
』に収録された植物名をほぼ全て基原を解明することができ、漢名・和名ならびにそれぞれの異名を表1〜3に一括して示すことができました(サムネールをクリックすると拡大します)。これによって中世までの古典に出てくる植物について最新の分類学に基づく学名と和名の正名を知ることができます。かくして類書にはない特徴を備えた書籍に仕上がったと自負しています。
当然ながら薬は病気の治療に用いるものですが、わが国には長い歴史の間に幾多の疫病が蔓延し、その状況を記した資料が残っています。また著名人の日記には健康状態や薬物の服用に言及した記述があります。本書ではそれを詳細に解析し、とりわけ平安期の摂関政治の頂点に立つ藤原道長の健康について詳しく記述しました。そのほか「推古朝の薬猟」はわが国の薬物事情の原点というべきものですので、それを行うに至った歴史的経緯について詳細に考証してあります。その過程で旧来の通説を一字一句に至るまで徹底的に批判しました。ただその途上で『出雲國風土記』に出てくる全植物名を考証する機会を得たことは幸運だったと考えています。第二に古代の染色について、色素成分の構造式を挙げて発色のメカニズムにまで踏み込んだことがあります。大半の文系の方々は専門外の染色成分まで踏み込むことはないでしょうが、上中古代の多様な色を解明しようとすれば、いつかは通らなければならない道と考えていただきたいと思います。同じ色の名であっても時代とともに色相の微妙な違いがあることも成分レベルでの理解が必要なのです。第三にスゲという植物が地味ながら民族植物学的に極めて奥深い植物であったことが挙げられます。拙著『万葉植物文化誌』で十分に記載し尽くしたと思っていましたが、その生育地の地形が植物名の語源に深く関わりがありそうだということが各地に残る「すが」「すげた」「すがた」「すごう」などの地名の由来の考証を通して明らかになったことは大きな収穫でした。それとともに「笠縫」という地名も決して特異ではなく、高市黒人の著名な万葉歌にある「四極山」の背後に「笠縫の島」の存在がくっきりと浮かび上がり、その所在が三河のほかには考えにくいという結論に至りました。その論考の途上で「黒人の羈旅の歌八首」や持統太上天皇の三河行幸のルートも合わせて再検討するのは必然的となり、本書第4章の付録1・2はその論考の結果です。かくして類書にはない特徴を備えた書籍に仕上がったと自負しています。本書の内容のより詳細な概要および目次については別ページをご覧ください。