お盆明けの明日は旧暦の七夕に当たる。最近では、新暦に基づいて七夕の行事を行うので、梅雨の真っ直中の夜空に牽牛星・織女星を見るのはおよそ期待する方が無理というものである。一方、旧暦では八月初旬から半ばの盛夏で晴天が続く時期であるから、人里を遠く離れさえすれば、天の川やひこ星・おりひめ星のみならず、多くの星を満天に見ることができる。よく無数の星というが、完全な暗夜でも視認できるのは六等星まで、全部併せても六千個程度だという。最近は、田舎でも街路灯が煌々と輝いているので、夜空に見える星の数は昔と比べて格段に少なくなってしまった。
●「きら」は和語、漢語のどちらか?
さて、前置きが長くなってしまったが、本ページの主題は「七夕の星」ではなく、「きら星」という星一般を表す語彙の由来についてである。今日では、「きら星の如く」というふうに用い、きらきら光り輝く星のようにという意であるが、本来は「きら、星の如く」と区切るのが正しく、今日の用例は誤用であると主要な国語辞書は説明している。また、「きら」は漢字で綺羅と書かれることが多く、ウィキペディア(2010年時)では次のように説明されている。
綺羅星という語は、謡曲『鉢木』の地謡の中に初見するもので、野上豊一郎編『謡曲選集』(岩波書店、1957年)では次のようになっている。つまり、ウィキペディアはこれを引用、解説しているのである。
「今度の早打に、今度の早打に、上りあつまるつはもの綺羅星の如く並みゐたり。さて御前には諸侍、そのほか數人並みゐつつ、目を引き指をさし笑ひあへるその中に」(原文のまま)
綺羅星という名の星は日本、中国のいずれも存在しない。しかし、「綺羅、星の如く」のように、途中で区切ると、綺羅註2がいずれの意であってもこの文の意味はさっぱり通じないので、『鉢木』の一節はやはり今日と同じ「きら星の如く」の意と考えざるを得ない。したがって、「綺羅、星の如く」が正しいというウィキペディアの説明は、誤っているか少なくとも説明不足というべきだろう。ウィキペディアだけでなく、主だった国語辞典がいずれもこの解釈を採用するにもかかわらず、その基となるべき「綺羅、星の如し」の出典についてはまったく明らかにしていないのは妙というしかない。これとよく似た事例に營實 (ノイバラの実)の語源がある。『本草綱目』(李時珍)はその語源を「如營星」だからと説明したが、和刻本では營星という星が実在しないにもかかわらず「如二營星一」と訓読してしまった。結局、この場合は、「如レ營レ星」(星を營らすが如し)と訓読することで語源明解となったのである(→ノイバラの実を営実というわけを参照)が、「きらほし」の場合では、句読点を挿入するか否かだけに議論が集中している。ちょっと考えればわかるはずだが、綺羅という漢語に依らなくても同音の和語に「きら」があるので、この可能性について検討すべきであるが、そのようなことを聞いたことがない。まず、「きら」の古典における用例を解析し、「きらほし」が漢語、和語のいずれに由来するか考えてみよう。
●和語「きら」と派生語の意味について「きら」という語を用いるのはまれであるが、これに関連する繁用和語として、きらきらと(副詞)、きらきらし、きららし(以上形容詞)、きらびやか、きらやか、きららか(以上形容動詞)、きらめく(動詞)がある。まず、これらの語がどのような意味で使われているか、上代から中世の古典の例をあげて説明しよう。
1.きらきらししながとり あはにつぎたる あづさゆみ すゑのたまなは むなわけの ひろきわぎも こしぼその すがるをとめの そのなりの きらきらしきに はなのごと ゑみてたてれば たまほこの みちゆくひとは おのがゆく みちはゆかずて よばなくに かどにいたりぬ さしならぶ となりのきみは あらかじめ おのづまかれて こはなくに かぎさへまつる ひとみなの かくまとへれば たちしなひ よりてぞいもは たはれてありける『源氏物語』少女(大島本)
人がら、いとすくよかに、きらきらしくて、心もちゐなどもかしこくものしたまふ『源氏物語』常夏(大島本)
対の姫君を見せたらむ時、またあなづらはしからぬ方にもてなされなむはや。いとものきらきらしく、かひあるところつきたまへる人にて、云々『源氏物語』東屋(大島本)
ほどほどにつけては思ひ上がりて、家の内もきらきらしく、ものきよげに住みなし、云々『枕草子』四十段
ゆづり葉の、いみじうふさやかにつやめき、茎はいとあかくきらきらしく見えたるこそ、おやしけれどをかし『枕草子』百二十段
堂童子など呼ぶ声、山彦ひびきあひてきらきらしう聞ゆ『枕草子』二百九十五段
きらきらしきもの 大将の御前駆追ひたる。孔雀経の御読経云々『為忠家初度百首』
ことよさはきらきらしくてよひごとにいでほしからぬそらだのめかな『歌仙落書』(登蓮法師)
八首風体たけ高くきらきらしく、また面白くも侍るなるべし、嵐の山の秋の夕ぐれ、木木の梢まばらに成行くままに、大井川のゐせき錦をさらせるを、みむとやおぼゆる『影供歌合』(建長三年九月)
あさねがみこぼれていとどみだるともこはぎが露は折りてかざさん野原の朝日影きらきらしく見え侍りしを、あさねがみこぼれてとつづけたる、いかがと申す人侍りしかども、ことにこぼれかかると申しならへれば、おもかげすてがたしと各申して為持四十七番 左2.きらびやか
白河の山路紅葉ちりしきて錦をしく心ちなるをみて、かかる名所を、為仲も童僕きらびやかにいでたたせて、とほられし事を思合せて、都のなごり道のくるしさをわすれぬるよとこそよめれ、かならずそのみちにゆかずとも、法師、俗の歌の体、みるさまかはるべきをや、万葉にも、しかるべき名所をばきらびやかににて行く心にや、相坂関こゆる人に3.きららか
山ざくらさきそめしよりひさかたのくもゐにみゆるたきのしらいと左の歌は、いと心ばへをかしうはべめり、右の歌、きららかによまれたるやうにみたまふれば、ぢとこそはまうさめ4.きらきら(と)
御あかしの、常燈にはあらで、うちに、また人のたてまつれるが、おそろしきまで燃えたるに、佛のきらきらと見え給へるは、いみじうたふときに、云々『源氏物語』明石(大島本)
見上げたまへれば、人もなく、月の顔のみきらきらとして、夢の心地もせず、云々『源氏物語』野分(大島本)
日のわづかにさし出でたるに、憂へ顔なる庭の露きらきらとして、空はいとすごく霧りわたれるに、云々『紫式部日記』(黒川本)
御膳まゐりはてて、女房、御簾のもとに出でゐたり。火影にきらきらと見えわたる中にも、云々『源氏物語歌合』
山の雪はかがみをかけたるやうにきらきらと夕日にかかやきたるを、夜べわけこし道のわりなさなどあはれおほくかたり給ふ『風葉和歌集』
なき人のために普賢菩薩つくりあらはしたてまつりて、おこなひ侍りける夜、あかつきがたの月くまなうさし入りて、御かざりどももきらきら見え給ひければ『古今著聞集』
きらきらとのみわらひけり5.きらめく
人をわくこころとは見しおほぞらのほしのきらめきことよけれども『夫木和歌抄』
人をわく心とはみじ大空の星のきらめき事よわれども『源氏物語』夕顔
端近き御座所なりければ、遣戸を引き開けて、もろともに見出だしたまふ。ほどなき庭に、されたる呉竹、前栽の露は、なほかかる所も同じごときらめきたり
「きら」に関連する和語のうち、もっとも多く古典で使われているのは「きらきらし」であり、『万葉集』や『日本書紀』註3という上代の古典でも使用例がある。『角川古語大辭典』は「きらきらし」の意味を次のように説明している。
すなわち、端正、端麗、厳かな様などを表すのであって、必ずしも光り輝く様そのものを意味するのではないことがわかる。このことは平安・鎌倉時代の辞典ではもっと明瞭に著されており、『新撰字鏡』巻三「女部」に「嬍媄姸 媱也支良〻〻志」、『色葉字類抄
』でも「鋁キラ〃〃シ素珎艶已上同 端正キラ〃〃シ 騎両キラ〃〃シ」とあって、これらの中で光り輝くという意味をもつ漢字はない。『倭玉篇』でも同様で、「 ケツ キラキラ イサキヨシ」(玉篇略)、「
ケツ キラキラシ イサキヨシ」(米沢文庫本)、「鮮セン キラキラシ ウルハシ アキラカニヨシ スクナシ」(拾篇集)、「
ケツ イサキヨシ キラキラシ」(拾篇目集)とあり、きよらか、いさぎよしを意味する漢字に「きらきらし」の訓が割り振られていることは注目に価する。
以上、実例としてあげた平安の古典のうち、『枕草子』四十段にある「きらきらし」は、多くの注釈書は当該部分を光り輝いていると解釈し、これだけまったく別の意味があるかのようにみえる。しかし、ユズリハ註4という植物をよく観察した上でこの部分を読み返すと、その葉の上面にやや光沢があって下面が白いのがたいへん艶っぽくみえ、赤い葉柄が茎に整然と車輪状につく様子が端正に見えるのは奇妙な感じがするけれど趣があるという意味であることがわかるはずだ。したがって、ここで挙げた辞書の内容と矛盾するものではなく、注釈書の解釈に問題があって、ユズリハという植物に対する無理解に起因するというべきだろう。そのほかに、形容動詞の「きらびやか」と「きららか」があるが、いずれも端正、端麗など、「きらきらし」と同様の意味にとって矛盾はない。
これに対して、「きらきら」と「きらめく」は、「きらきらし」とは違って、明確にひかりやあかりに関連する意味をもつ。『古今著聞集』にあるものは、今日の「げらげら」などに相当する擬声語であって、「きら」とは無関係のまったく別系統の語である。これを除けば、平安の古典の「きらきら(と)」はいずれも光り輝くという意味をもたせた擬態語の副詞である。「きらめく」は、「星のきらめき」とあるように、完全に今日の用例と同根であるといってよい。
「きらきらし」などの基礎をなす「きら」は、漢語など外来語から借用したものではなく、完全な和語のようである。『日本語源』(賀茂百樹)に「明らなり。明
と同系統の語なり」とあるように、ひかりやあかりを表す古い日本語の基礎語という。「きら」という語は、古今いずれの時代でも用いるのはまれであるが、この名をみる数少ない分野に本草学がある。古くから日本は中国本草を受容し、有用な鉱物・植物・動物など産物の分類・整理にその大系をまるごと導入して用いてきた。但し、漢名をそのまま受け入れたのではなく、和産がある品目に対しては極力和名を充ててきた経緯がある。その上中古代における集大成というべきものが『本草和名』や『和名抄』であり、その中に雲母註5という一品がある。雲母は、今日いう同名の鉱物と同じであるが、中国最古の本草書『神農本草經
』の上品に収載され、「味は甘にして平。山谷に生ず。身皮、死肌、中風の寒熱、車船の上に在るが如きを治し、邪氣を除き、五藏を安じ、子精を益し、目を明るくす。久しく服すれば輕身にして延年す」とあるように、中国では神仙の霊薬とされてきた註6。『和名抄』はこの和名として「岐良々」すなわち「きらら」を充てている。雲母は成分的に単一ではなく、ケイ酸塩を主とし様々な組成のものが知られているが、モース硬度 2.5~3と鉱物としては軟らかく、堅い木棒でたたくと細かい鱗片状となる。その表面には強い光沢性があってひかりをよく反射するので、「きら」という日本語の基礎語がそのまま充てられたのである。因みに、『和名抄』の「きらら」は「きら等」であって、「きら」の集合体という意である。「きらきらし」などの派生語は「きら」を重ねてつくった擬態語であるが、端正などの意味があるのは、光沢があって薄く剥がれる雲母の性質に因むと考えられる。雲母は「千枚はがし」の別名があるように、多くの薄片がサンドイッチ状に重なったもので、整然としていることから端正、端麗に結びつけられたのであろう。また、わが国にあっては質の良い雲母は稀産であったことから、稀少品ということで”厳”かなどの意味が発生したと思われる。『續日本紀』の「和銅六(713)年五月十一日の条に「大倭參河をして並に雲母を獻らしむ」とあるように、三河の国は古くから雲母の産地として知られていた。愛知県西尾市八ツ面山
はその一つで、吉良荘(旧幡豆郡に当たる)の名の由来はこの雲母の和名に基づくといい、またこの地域を三河国守護足利義氏の末裔の氏族が領有したとき、自らを吉良氏と名乗るようになったといわれる。この話の真偽は別としても、「きら」すなわち雲母がわが国では貴重品であったことを示唆するに十分であり、ひかり輝く、端正のいずれの意味も雲母に結びつけられるのも偶然ではないだろう。
今日では「きら星」といえば、煌星と書くことがもっとも多いのではなかろうか。『詩經』・國風
の陳風・東門之楊に「明星煌煌」註7とあるので、煌星をきらきら明るくひかる星の意味で用いるのはまったく問題ない。しかし、驚くことに、古い辞書には「煌」に「きらめく」という訓は見当たらないのである。『新撰字鏡』巻一の「火部」に「煌 輝也光也明也」とあるものの、かがやくという意とするだけであり、平安の古典に「きらめく」という語が出てくるにもかかわらず、『類聚名義抄』では「煌 ヒカル ヒイタム アキラカニ」とあるにすぎない。『色葉字類抄』でキラメクとしているのは「粲」、『倭玉篇』(玉篇略・米沢文庫本)は「炫」であって、いずれも「煌」ではない。どうやら、煌星をキラボシと読むようになったのはごく最近のことらしい。
では、「きら星」を綺羅星と書くのはどうであろうか。結論からいえば、綺羅
にはひかり輝くなどの意味はないので、きらきら光る星の意で用いる場合はこの用字は不適当である。綺羅星なる語彙の発生の基になったといわれる「綺羅、星の如く」も、よくよく考えてみると、語句として決してわかりやすいものでない。綺羅は、いずれの漢和辞典でも、まず「あやぎぬ」と「薄ぎぬ」の意としているが、綺・羅の字義を合わせただけだから、検討するに価しないとしてよいだろう。そのほか、美服あるいは美服で着飾った人の意があるとするが、いずれも中国の古典に出典がある註8。前述のウィキペディアの説明にあったが、綺羅をこの意味にとって、「綺羅、星の如く」は「立派な人物が一堂に会して、ずらりと並んでいる様子」と一般には解釈されているが、実際にこの意味で用いられた例は寡聞である。そもそも「星の如く」から想像するのは、今日的感覚では、満天にちらばっている星の集合体であって、並び居るとか列なるとはおよそ無縁であり、一つ一つの明るく輝く星だけを指すと考えねば意味が通じない。謡曲『鉢木』にある「きらほしのごとく」とは、武装した兵士の着用する兜など金具のきらめくのを星の光に形容したものということができる。したがって、この場合の「きら」は綺羅ではなく雲母たる「きら」とした方がより実感に近いものといえる註9。雲母を細かく砕いたものは小さな鱗片状となり、それを広げればまさに星がきらめくように見えるからである。また、雲母の細かな鱗片を水の中に入れると、間に空気が封じられて鱗片が浮くことがあり、これも満天の星に見立てるに十分である。以上のことを念頭に置くと、「きら星」は「きら、星の如く」が短縮したもの、あるいは「きら」と「ほし」を単純につなげてつくった語彙とも考えられなくもない。この説に立てば、綺羅は、「きら」と同音であるが故に、当てたにすぎないことになる。
現在、「きら星」は漢語の綺羅に由来とする通説が圧倒的な支持を受けており、主要な辞典で和語由来とするものは見当たらない。いずれにしても具体的エビデンスを挙げて説明する文献はなく、推測の域を逃れないようである。綺羅星発生の基になったと思われるものであれば『庭訓往來』の「八月狀」に次のような注目すべき表現が出てくる。
路次は、八葉の御車、後車は公卿一人、騎馬殿上人、或は前驅北面等、美々敷く綺羅天に輝き、陣頭に花を散らし、狩衣水干、供奉の人は淨衣、白直埀、布衣の景勢、衣文は當を撥い、行粧目を驚かす
すなわち、「美々しく綺羅は天に輝いて」とあるのがそれであり、この場合の綺羅は美しく着飾った人の意であることに疑問の余地はない。おそらく、もっと意味を明瞭にする目的で、この後に「星の如く」が付加され、「天に輝いて」が抜け落ちて、「綺羅、星の如く」に転じたと思われる。『庭訓往來』は十四世紀後半〜十五世紀初めに成立といわれるが、それから三百年近く後に成立した易林本『節用集』畿之部にも「綺羅曜レ天」とあって、当時にあっては広く用いられた辞書にこの語句が収載されたことで、もともと星とは縁のない語彙であった綺羅と星を結びつけるのに大きく役立ったことであろう。この場合、「きら星」は「綺羅、星の如く」を続けてつくった造語ということになり、「きら星」は始めから「綺羅星」であるから、漢語の綺羅の意を継承しなければならないことになるが、そのような例はないようである。
●結論とまとめ以上、述べたことをまとめると、「きら星」の由来について次の3つのケースが考えられる。
「きらほし」の最古の用例は、1545年ころ成立した車屋本謡曲『鉢木』の「のぼり集まるつはもの、きらほしのごとく祇候せり」といわれる。これが漢語の綺羅あるいは和語の「きら」のいずれの由来であるか、判定は困難であるが、綺羅は和語「きら」の当て字と考えて、2あるいは3の説を支持したい。『色葉字類抄』に「綺羅キラ又帷幕名」とあるのをみると、日本では綺羅が美服や美服で着飾った人という意を必ずしも理解されておらず、「きら」と同意とされたようにもみえる。『日本語源』も「きら 明らなり。明と同系統の語なり。神皇正統記「きらを好ませ給ふ」、平家物語「きらをみがく」これ等の語も綺羅、綺麗は似たる語にて国語なるべし。」とあるように、「きら」を綺羅の訓としてだけではなく、「綺羅=きら」と考えていたことを示している。綺麗という語があるが、漢語ではなく日本でつくった和製漢語もどきといわれるが、綺羅から派生してつくられた造語ではないかと思われる。これまでの「綺羅星」に関する議論では、かかる点が抜け落ちていて議論を尽くしたとはほど遠いにもかかわらず、国語辞典の大半は1の説だけを取り上げているは妙である。
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