引用文献:Journal of Heredity, 54: 207-211, 1963
Yo Takenaka
原文
ソメイヨシノ(Prunus yedoensis Matsumura)は、日本で栽培されるサクラで最も人気が高く、(米国)ワシントン D.C. でも春の呼び物の1つとなっているが、その起源ははっきりしない。ヨシノザクラ(吉野は奈良県の歴史的スポットであり、サクラの花で有名である)の名前でおよそ100年前に江戸染井の植木屋によって商業的に販売されたと言われている。藤野氏は1882年から1884年まで東京の上野公園でサクラの木を調査し三種を同定したが、その1つにソメイヨシノと命名した。彼の報告は1900年(1)に発表され、1901年に松村任三氏はP. yedoensis(4) と命名した。1952年以来、私は観察および交雑実験に基づいてP. yedoensisの起源を決定しようと試みた。
日本の植物学者は日本原産のPrunus属種の分類学の研究を行い、それが非常に困難であることを知った。 したがって、この論文で論じられた種は研究した分類学者によって異なった名前をつけられた。 本論文で用いられた植物名は大井次三郎博士によって識別されたものである。
試料および方法
この種は多くの美しい花をつけるが、わずかの種子をつけるだけであり、接ぎ木によってのみ繁殖が可能である。 しかしながら、他のいかなるサクラ種よりも成長が早い。交雑種であるかもしれないと仮定して、私は1952年に多くの(ソメイヨシノの)木から種を集め、1953年に播種、(それから成長した)苗木を1954年から1963年まで観察した。 その観察結果は、P. yedoensis はP. lannesiana var. speciosa(オオシマザクラ)とP. subhirtella var. pendula(エドヒガン)との間の交雑種であることを示唆し、その主たる特徴は次のようであった: speciosaは、より大きな葉の裏が無毛であり、また精力的に成長する幹(表 I)によって、ascendensと区別される。yedoensisの苗木はこれらの点においてspeciosaからascendensまで連続した中間段階を示すものであった。苗木のあるものは1958年の春に開花し、そしてその時以来、100本以上の木が花をつけるようになった。 多くの花の特徴、すなわち大きさ、色、 萼、花柱、子房が無毛であること 、萼の形において、P. yedoensis の種から成長した木はspeciosaからascendensまでの広範囲の変異を示した。 さらにそれらのいくつかはspeciosaあるいはascendens(表 IのSI-21とSI-12)のいずれかの典型的な特徴を示したことが見いだされた。種々の特徴およびそれらの存在は表 IIで示した。
1957年にさらなる実験を開始し、speciosaとascendensとの間で相互交雑が起こさせた。1961年には、8つの交雑個体が花をつけ始め、それ以来15本の木が開花しました。それらは茎、葉、花の特徴において親種の中間の形態であって、若干の些細な相違を示したけれども、全体としてはむしろ均一であった。相互交雑の間では顕著な相違は見いだされなかった。 その特徴の分布における変異は表 IIIで示す。
P. yedoensisと比較して、6つのF1雑種が花柱と子房に毛があり、4つはわずかに毛をつけるていどであった。一方、残りの5個は無毛であった。F1雑種のいずれも、P. yedoensisよりも葉と花がおよそ15パーセント大きく、雄しべもやや多く、さもなければP. yedoensisに酷似していた(表 I)。この交雑実験に使われた親の木は任意に選択されたので、それらは雑種性であり、またF1雑種が無毛性ほかの特徴を分離したことはありうる。この結果からP. yedoensisはspeciosaとascendensとの交雑種であり、そして新たに生まれたF1が合成P. yedoensisとなったと想定される。
Discussion
P. yedoensisの起源について意見の相違がある。伊豆諸島の1つ大島から東京にもたらされたと伝統的に言われている。しかし、大島で唯一花が咲く野生のサクラはP. lannesiana var. speciosaだけである。
E. Koehne博士は韓国済州島のサクラの木(宣教師Taquetによって採集された)にP. yedoensis var. nudifloraと命名した(2)。後に、小泉源一博士はP. yedoensisが済州島に由来すると報告した(3)。一方、E. H. ウィルソン博士は「私としてはP. yedoensis MatsumuraはP. subhirtella var. ascendens(エドヒガン)とP. lannesianaの野生型(オオシマザクラ)との交雑種であることを提案する。ソメイヨシノはオオシマザクラの特徴の多くをもち、その脈相、軟毛そして萼の形状においてはエドヒガンに似ていると述べている(6)。 小泉博士は1932年に済州島を訪れ、P. yedoensisであると同定した木を見いだした。小泉博士の同定は疑わしいものであったから、私は1933年に同島を訪れ、野生状に生えていた木がP. yedoensisとは異なることを示していた。すなわち、萼片と下部の葉の毛は多くなく、花梗はより短かった。 私はそれがP. yedoensisであり得ないと結論づけ、P. subhirtella var. pendula form ascendens(エドヒガン)とP. quelpartensis(タンナヤマザクラ;多分P. verecundaの一型)あるいは他のサクラ種との交雑種かもしれないと想定した(5)。
日本でP. yedoensisの親と考えられている種類、P. speciosaとP. ascendensは、房総半島と伊豆半島で共生しているのが知られている。 私は2地方で野生のサクラの木を調査した。 両方の種が伊豆で見いだされたが、房総でspeciosaだけが見いだされた。さらに、伊豆では、私は恐らくP. yedoensisの子であろうと思われる木とともに、speciosaとascendensとの新たな交雑種のように見える木を見いだした。その木は私が(交雑実験で)合成した木の1つとまったく同じであり、それを「フナバラヨシノ」(表 I)と命名した。 以上の発見は、P. yedoensisが伊豆半島の起源であることを示唆する。
要約
サクラの木(Prunus yedoensis)の観察結果から、P. speciosaとP. ascendensとの交雑種であり、かつ伊豆半島に起源があることが示唆された。
文献
図2 (サクラ3種)- サクラの生品 (A) Prunus lannesiana var. speciosa (オオシマザクラ); (B) Prunus yedoensis; and (C) Prunus subhirtella var. pendula form ascendens (エドヒガン). (略す)
図3(交配したサクラの花) Blossoms of Izu-yoshino which is one of the synthesized hybrids between P. subhirtella var. pendula form ascendens(エドヒガン)とP. lannesiana var. speciosa(オオシマザクラ)とから人工的に交配したものの一つ:イズヨシノ(伊豆吉野) (略す)
図4(自然および人工的交配) 左:フナバラヨシノ(船原吉野)、右:ソメイヨシノ (略す)