東アジアで最初にアヘンに遭遇したのは中国人であるが、それはインド経由ではなく、7世紀後半以降にアラビア人によって伝えられたとされる。中国の本草書でケシが初見するのは宋代の『開寶本草』であり、十世紀の末期であった。当時、薬用に用いられたのはアルカロイドを含まず食用として栄養価が高い種子であった。アルカロイドを含むケシ殻を薬用とするようになったのは宋代末期の12世紀初頭であり、アヘンを本格的に用いるようになったのは明代末期になってからといわれる。宋医学のみならず金元医学もケシ殻・アヘンを治療薬として用いたが、朱丹渓(1281-1358)のように慎重な姿勢をとる医家もいたようだ。アヘンの服用法に大きな変化があったのは、大航海時代になってからである。新大陸から欧州にタバコと喫煙の習慣が持ち込まれ、西洋ではまたたく間に広がった。そして中国にも伝えられ、当時の中国人はアヘンを喫煙することをおぼえた。もともと中国には傍流ながら薬材を燃焼させてその煙を吸い込む飲煙方という薬方があって、アヘンの喫煙にはさほど抵抗がなかったようである。1500年ころ、ポルトガル人は欧州にアヘンの喫煙を初めて紹介したが、これは中国人から学んだとされている。喫煙といっても、アヘンを炊いて煙を吸引あるいは葉巻のようにして火をつけて吸っていたようだ。19世紀から20世紀の中国のアヘン窟で使われていた煙管(キセル)を用いる喫煙は1700年ころ、オランダ人によって台湾経由で中国に持ち込まれ、アヘンをキセルで喫煙する習慣が一気に広まった。喫煙法はそれまでの経口服用よりはるかに速効的であるが、アヘンのもつ魔性というべき耽溺性・多幸感も格段に増幅されるという欠点を併せ持っていた。いずれにせよ、アヘン戦争(1839-42)のはるか以前から中国人の間でアヘンを喫煙する習慣があったわけで、歴史的にアヘン禍の下地があったことを示唆する。人口の巨大な中国において、アヘンの消費量が増大すれば、巨大市場を目指してアヘンの増産に拍車が掛かるのは当然の成り行きであった。当時のアジアにおけるアヘン生産はインドが中心であり、インドを植民地化したイギリスは東インド会社を設立、アヘンの増産に励んだ。インド産アヘンは17世紀半ばには中国に輸出され始め、対中貿易の主品目になった。これが後に英中間の貿易摩擦を起こし、アヘン戦争勃発の原因となった。一方、19世紀半ばころから、イギリスは植民地のビルマ(現ミャンマー)の高地でケシ栽培を始めた。これが後のアヘン生産基地としての「黄金の三角地帯(golden triangle)」の歴史の始まりであり、1940~1960年代には世界最大のアヘン産出量を誇った。
アヘンの生薬としての用途はアヘン末、アヘンチンキに限られるのでその需要はごくわずかであり、今日生産されるアヘンの大半はモルヒネを始めとする純薬の製薬原料である。アヘンの生産は各国政府の管理のもとで正規のライセンスを受けて生産する合法的生産と、ライセンスを受けない非合法的生産に大別され、合法アヘン(licit opium)、非合法アヘン(illicit opium)とそれぞれ区別されている。合法アヘンは薬用目的で使用あるいは製薬原料と使用目的がはっきりしていて商品(commodity)として正規の市場で取引されるのに対し、非合法アヘンは快楽目的など医療以外に不正使用されるものでいわゆるブラックマーケット(闇市場)で取引される。1909年、世界のアヘン生産をコントロールするため国際アヘン委員会(International Opium Commission)が設立され、1914年、34カ国が集まってアヘンの生産と貿易を減らすことで合意した。1924年、62カ国が参加したが、国際連盟がそれを継承することになった。第二次大戦後、国際連盟は国連に発展的解消し、今日では国際麻薬統制委員会 (International Narcotic Control Board; INCB)がアヘンの生産、貿易を管理することになった。合法アヘン(生アヘン)はインド、中国、北朝鮮、日本の4ケ国だけが生産する。現在、アヘンなど麻薬は国際的に管理されており、その枠組みは1961年に締結された麻薬単一条約Single Convention on Narcotic Drugs(発効は1964年)で決められた。この条約の第23条(Article 23)により、アヘン生産国は収穫後速やかにアヘンを当該政府機関が所持、保管あるいは販売、輸出業務に対して責任を負わねばならないことになった。麻薬単一条約はそれまで各国が個別に締結していた国際条約、協定を一つにまとめ、麻薬管理を一元化して行う意志を表明したものである。現在の世界最大の合法アヘン生産国はイギリスによる植民地統治のころからの歴史的大生産地インドであり、今日ではインド産の生アヘンだけが世界市場で合法的に取引されている。その生産量は1999年971トン、2000年1,302トン、2001年726トン、2002年820トンと年によってかなりの変動がある(→Opium Trading in India, 2003による)。これは気候の影響による収穫量の変動のほか、世界需要に合わせた適正な繰り越しストック(在庫)を維持するため、栽培ライセンスの発行を調節しているためである。前年に比べて2000年の収穫量が大幅に増加しているのはライセンスの発行数が159,884と多く、その結果、栽培面積が35,271ヘクタールと増加したためである。これは1998年に在庫が払底したのに伴うものであった。インドはINCB認定の唯一の生アヘン生産国であり、毎年の総生産を1200トン、うち870トンを輸出、130トンを国内消費、残りを需給調整用の在庫とするようINCBより求められている(→Opium Trading in India, 2003による)。中国のアヘン生産は1993年の統計では14トンとごくわずかであり、全て国内消費に当てられ世界市場では取引されていない。わが国のアヘン生産は年産数キログラムにすぎず、戦前は50トンを越えていたから、それに比べると試験栽培あるいは栽培技術の継承の域を出ないレベルである。北朝鮮についてはその実体は不明で、近年、外貨を得るためブラックマーケットでアヘンあるいはヘロインを売りさばいているのではないかとの疑惑が報道されている。
一方、世界の生アヘンの生産の大半は非合法生産であり、国連薬物統制犯罪防止事務所United Nations Office for Drug Control and Crime Protection (UNODCCO)が毎年推計値を報告している(→詳しくは同報告書第2章アヘン・ヘロイン市場を参照)。それによれば、最近ではアフガニスタン、ミャンマー、ラオスの3カ国が9割以上を占め、とりわけアフガニスタンでの生産量が突出していることがわかる(表1を参照)。アフガニスタンではタリバン政権の成立当初は禁止令を発布し、それに伴って急減した(2001年)が、ほどなく回復、以前の水準に戻ってしまった。また、タリバン政権が崩壊し、カルザイ政権となった今日でもアヘン生産は増える傾向にある。これといった産業基盤のないアフガニスタンにとっては非合法アヘンの生産による経済効果は大きい(2004年度の推計では28億ドルを輸出したとされている)ためである。2004年のUNODCCOの報告ではアフガニスタン1国で世界の9割近くの占有率があり、同国GDPの6割はアヘン生産によるもので全人口の10%がアヘン生産に関わっているという。平成14年1月、アフガニスタン復興支援国際会議が東京で開催され、わが国は2年半で2億5千万ドル、その他の先進諸国も相当額の経済支援を約束したが、アヘンの生産をストップした場合、その経済的損失を埋めるには、先進諸国による高水準かつ長期にわたる経済支援が必須であり、それが達成されるまでは高水準のアヘン生産が続くものと思われる。非合法アヘンの生産では先進諸国の技術協力は得られないので収量は一般に低く、例えばミャンマーでは1ヘクタール当たりの単位収量はわずか14.6Kg、ラオスにいたってはわずか8.9Kgにすぎない。アフガニスタンでは33.1Kgとミャンマーよりずっと高いが、合法生産国インドの水準(35-60Kg)と比べると低い(→いずれも1991年度のデータに基づく、Opium Production in Indiaによる)。逆に言えば、非合法生産国で栽培生産技術が向上すればアヘン生産は大幅に増産する可能性があることを示唆し、非合法アヘン生産量のコントロールは容易ではない。アジアで生産された非合法アヘンは欧州、米国などへ主としてヘロイン(ジアセチルモルヒネ;モルヒネの鎮痛作用とモルヒネ類縁合成鎮痛薬を参照)に加工されて輸出され、麻薬禍の社会問題を起こしているため、各国政府はその取り締まりに苦慮している。ヘロインの卸売り価格は1グラム当たり、欧州で54ドル、米国で151ドル(いずれも1995年度のデータ)と推計され、1984年と比べるとほぼ半値となっている。一方、末端価格は卸売り価格の倍というのが相場のようである。欧州より米国での価格が高いのは取り締まりの厳しさによる入手難に起因すると思われる。一方、わが国ではヘロインはほとんど取引はないとされるのでこのようなデータは公表されていない。米国国務省(United States Department of State)は、毎年、国際麻薬統制戦略報告International Narcotics Control Strategy Report (INCTR)を出版し、世界各地の非合法アヘン生産に関する情報を独自に入手し詳細を報告している。かって、タイ、パキスタンも非合法アヘンの大産地であったが、近年、急減し、特にタイは非合法アヘンの生産地を一掃したと国際社会に認知されるに至っている。ミャンマー、ラオスも1980年代と比べれば大幅に減少し、それだけにアフガニスタンの突出が目立つ。今後、アフガニスタンの復興が本格化するにつれアヘン生産に対する国際的圧力が強まると思われるが、新たな国内対立の火種となる危険性もあわせもっており、国際社会はその対応に綱渡りを強いられそうだ。
生アヘンは主成分モルヒネのほか有用成分を含み、有用な治療薬の創製にかけがえのない存在であることは確かだが、今日ではCPS(Concentrated Poppy Straw)法というディオスコリデス以来の伝統的方法のライバルとなるモルヒネ生産法が開発されている。CPS法では果実に傷をつけず、栽培地で茎をつけたまま乾燥、粉砕して種子を分離(食用等に利用される)した後、工場プラントでアルカロイドを抽出する。今日ではアルカロイド含量が1~1.5%と高いケシ品種(生アヘン生産品種では0.3~0.5%)が開発され、コスト的にも十分納得できる水準になっている。CPS法によるアヘンアルカロイドの最大の生産国はオーストラリアであり、2003-2004年度では14,000ヘクタールの栽培面積から50トン以上の無水アヘンアルカロイドを生産している。これは生アヘンに換算すると500トン以上に相当する。1961年、国連の主導により麻薬単一条約Single Convention on Narcotic Drugsが締結され、麻薬の国際管理の枠組みができたのであるが、このとき、米国アヘン市場の80%はインドとトルコ、残りの20%はオーストラリア、ベルギー、フランス、ハンガリー、ポーランド、ユーゴスラビア(当時)の欧州諸国が販売の権利を有すると決められた。いわゆる”80-20ルール”であるが、現在、この中で生アヘンの合法生産国はインドだけで、欧州諸国はトルコも含めていずれもCPS法によりアヘンアルカロイドを生産している。麻薬の管理、不正使用への拡散を防ぐという観点からCPS法の方が圧倒的に優位にあるので、アルカロイドの抽出技術、設備をもつインドもCPS法によるアルカロイド生産への移行を検討している。インドでは高度経済成長が続いているので、労働集約的な伝統的アヘン生産はいずれCPS法に太刀打ちできなくなるだろう。因みに、わが国は生アヘンを毎年100トン前後輸入しているが、全てインドから供給されている。近年、癌のターミナルケアでモルヒネの使用量が増大し、その需給に不安が生じてきたため、1998年からはオーストラリア、トルコからCPS法で生産された粗アルカロイドを輸入している。後述するように、アヘンから創製される医薬の中には鎮咳薬として風邪薬に配合されるごく身近なくすり(OTC)もあり、比較的安価なので、毎年、大量に消費されている。それは見渡す限りの広大なケシ畑で、一つ一つのケシ坊主にナイフで傷をつけヘラで乳液をかきとるというおそろしく退屈な作業を驚くほどの低賃金で黙々と請け負う膨大な労働力が背後に存在するからこそ、その恩恵に浴することができるのである。そう遠くない将来、地球上のごく限られた地域での闇生産を除けばそうした光景も消え去ると予想されるだけに、モルヒネ需給に影響を与えるのは必至であり、これまで安価であった風邪薬市況にもかなりの影響はありそうである。わが国でも1946年以来途絶えていた大規模なケシ栽培を復活させ、CPS法による粗アルカロイド生産を検討せざるを得なくなるかもしれない。因みにわが国におけるCPS法の導入の検討は北海道大学薬学部生薬学教室故三橋博博士により1970年代に行われている。