本書を購入した方々のため、紙面の都合で書ききれなかったところを次のファイルで詳しく補足します。時々、更新しますので、これからもご利用ください。
「万葉植物文化誌補足」
(786KB; pdf; 2010.2.25初版;2010.5.25追補)
「万葉植物文化誌補足2」
(176KB;2010.6.15初版)
古典植物再考:いにしえの「わらび」はゼンマイであった
(2010.6.15 upload)
本書の内容の一部「わらび」(615ページ)を紹介します(リンクをクリックしますと拡大します)。 志貴皇子の有名な歌ですが、どの通釈書も全く疑問の余地がないかのように「さわらび」をワラビ(「さ」は接頭辞でサオトメ、サユリの「サ」と同じ)としていますが、和漢の典籍を詳しく検討していきますと、それがワラビであるという根拠がいかに脆弱であるかがはっきりしてきます。本書ではこの歌に詠み込まれた「さわらび」の生態環境から判断してヤシャゼンマイ(渓流沿いに生える)としたのですが、日本では、ゼンマイに「薇」の字を充てます。ところが、中国史上もっとも偉大な本草家といわれる李時珍は何とマメ科ノエンドウ(カラスノエンドウの類)に充てているのです。なぜこのようになったのか、本書には詳しく書かれています。万葉時代だけでなく、後世の「わらび」もワラビでないことは平成22年5月25日の補足追補版で明らかにしております(第45回日本植物園協会総会研究発表会で発表;平成22年5月20日、淡路夢舞台国際会議場;日本植物園協会誌 第45号 50頁~56頁 2011年)。ワラビに限らず、万葉の植物は本草学というフィルターを通してみますと、文化史的観点から意外な側面が明らかになってきます。この続きは、本書をお読みください。
万葉集を代表する花はウメであるとしばしばいわれます。確かに、ウメの歌は万葉集に119首もあって万葉集を代表するといっても過言ではないようにみえます。しかし、そのウメよりずっと多い141首も歌われている花があります。それはわが国の山野に普通にあるマメ科植物ハギ(ヤマハギ、マルバハギなど数種の総称)です。ハギを詠む万葉歌の大半がその花に言及し、またその花見に行こうという趣旨の歌があるにもかかわらず、万葉の花の話題としてハギが俎上にのぼることはほとんどなく、この理由について説明されることもありませんでした。ウメと対比して論じられることの多いサクラは、今日では大多数の国民によって国花と認識されているほど人気の高い花ですが、万葉集ではウメの歌の3分の1ぐらいしかそれを詠った歌はありません。確かに、平安時代からはウメを圧倒して名実ともに「日本の花」となったことは事実ですが、万葉のサクラのいずれも花を詠ったものであり、散りゆく花を惜しむ歌、あるいは散ってくれるなという内容の歌があり、万葉人に熱く支持されていたことでは決してウメに劣っていたわけではありません。すなわち、単に数の多さでもってその時代を代表する歌と断言するのは正しいとはいえないのです。そのほかにも花の美しさを前提としたような歌が万葉集には多くでてきます。たとえば、フジの歌はわずか二十数首に過ぎませんが、フジの花穂(藤浪と称しています)を折り取って人にみせる目的でかざす(頭にかざすか肩にかける)という内容の歌があり、これが後世の藤娘のファッションの原点と考えられます。以上述べたように、ウメ、ハギ、サクラあるいはフジなど各花の万葉集における地位はいずれも甲乙つけ難いものであり、本来はいずれが万葉を代表する花なのか、読者自身の判断に委ねるべきものであって、一部の学者のように一方的な植物観を押しつけるのはいかがなものでしょうか。本書では、一応、筆者の持論が記載されていますが、各読者の判断に委ねるように各花の文化史的背景を詳細に検討しています。
本書は各植物の基原を考証する場合、まず『本草和名
』・『和名抄』・『醫心方』を参照して対応する漢名(古代から江戸後期まではこれが学名の機能をもっていました)を特定し、それを基にして中国の本草書の記述を解析するという手法を採用しています。ということは、万葉の植物の多くが薬用ほか何らかの重要な用途あったことを示唆します。また、上中古代のわが国における物産の状況を記した『延喜式』もよく引用しており、その記述内容を詳しく解析しました。『源氏物語』・『枕草子
』ほか著名な古典に出てくる場合は、その文化的背景について詳述しています。『本草和名』・『和名抄』の当該項目は原文(漢文)のまま引用しましたが、中国の各本草書はすべて訓読し、難解語句には簡単な説明を括弧付きで付してあります。薬用植物である場合、近世までの日本人にとって身近な存在であったことを示すため、『和方一萬方』・『懷中妙藥集』ほか江戸時代の民間療法書を引用してどのように使用されたかを記述しています。
本書でお勧めのトピックスの一部をここに紹介します。各項目にはこれらトピックスだけでなく、日本文化の形成過程を理解する上で有用な情報が満載です。生薬学(Pharmacognosy)・薬用植物学(Medicinal Plants Science)・天然物化学(Natural Products Chemistry)・民族植物学(Ethnobotany)を専門とする筆者が二十年以上にわたる本草学・和漢古典研究から満を持して上梓する自信作です。
本書に収録された万葉の和歌は、正確には数えていませんが、おそらく250首以上はあるでしょう。中には長歌もあり、例歌の場合は全歌を掲載してあります。今日、親しまれる万葉の歌は訓読されたものですので、例歌として取り上げたものは全て万葉仮名の原文を付けてあります。今から二十年ほど前に、万葉集は朝鮮語で読めるという内容の本が一世を風靡したことがあります(→参考ページ)。現在では下火になりましたが、本書で原文を付したのは、この説が誤りであることを読者に感じ取っていただきたいからです。現在でもこの「トンでも説」を支持する人たちがいて、国文学者が万葉集の解釈を曲解しているかのように吹聴することがあります。植物名を詠った万葉歌は約1500首ほどあり、そのことごとくを筆者は目を通してきましたが、全て日本語で難なく読めることを確認しております。飛鳥・奈良時代では古代朝鮮語と古代日本語は同じであって、当時は通訳なしでコミュニケーションができたと信じている高校の歴史教師がいました。おそらく、この「トンでも説」に毒されたようですが、その方に小倉進平博士が発掘した新羅郷歌といくつかの万葉歌の原文を並列して呈示したところ、あっさり誤りを認めていただいたこともあります。すなわち、検証の不十分な説に煽動されただけの無勉強に基づく誤った思いこみにすぎなかったわけです。また、本書で挙げた各歌は植物を詠っているのですから、その存在感を顕在化させるため、わざと普通の注釈書とは異なる解釈を施したものもあります。
考えてみれば、1300年も前の古典和歌集を楽しみながら読めるとは、何とすばらしいことでしょうか。西洋でいえば、ラテン語の詩を読むようなもので、一般のヨーロッパ人には想像すらできないはずのものだからです。NHK教育テレビの朝の番組に『新漢詩紀行』というのがあります。2009年度春から半年にわたって放送され(月曜日ー金曜日;7時25分~30分;2009年秋から2010年春まで再放送)、唐宋の著名な詩人の詩を毎日紹介しているのですが、中国では詩人の所縁の地に石像が建てられ、その生家・墓地などが頻繁に出てきます。いずれも最近になって作られたもののようで、杜甫や李白の肖像画が残っているはずはなく、また古い時代の中国の絵画の写実性は全くあてになりませんから、全く想像の産物にすぎないのですが、それだけ今日の多くの中国人が古い時代の詩人に深い愛着を抱いている証左といえます。ただし、現代の中国人のほとんどは唐宋の漢詩を直接読めないのだそうです。日本では、万葉歌人の銅像は、筆者の知る限りでは、富山県高岡市のJR高岡駅前にある大伴家持ぐらいなもののようです。中国の詩人はほとんどが男性ですが、日本には額田王・大伴坂上郎女をはじめ、女流詩人の存在感は無視できないものがあります。詠人不詳といわれる歌でも、内容から女性の詠ったといわれるものを含めれば、相当数になるでしょう。また、上は天皇から下は名もない農民までの歌が、一つの和歌集にまとめられているというのは、これまた中国はおろか世界に類例がないはずで、万葉集のきわだった特徴のひとつといえます。われわれ現代の日本人が万葉の和歌を読めるのは、『仙覺抄』(仙覚)・『八雲御抄』(順徳天皇)・『袖中抄』(顕昭)や『代匠記』(契沖)・『冠辭考』(賀茂眞淵)から『萬葉集注釈』(澤瀉久孝)などに至るまで、平安時代から今日まで連綿と連なる厚味のある万葉研究の蓄積の賜物といってよいでしょう。本書では、これら万葉学の泰斗の見解を引用、時に容赦なく批判するところも少なからずあります。本書では万葉歌も楽しく鑑賞できるよう配慮いたしました。それは筆者自身が万葉歌にこの上なく愛着を持っているからです。
(追記)
本書の内容の一部は日本経済新聞平成22年5月14日朝刊「文化」欄で大きく紹介していただきました。