わが国最古の歌謡集である万葉集では、160種以上の植物が歌われている。古代人も何らかの方法で植物を区別して固有の名前をつけていたことは明らかであるが、ヤナギやスゲのように総称名で呼ぶものがあるので、今日でいう分類学的発想はなかったことは明らかである。古代ギリシアでは、生薬学の父と称されるテオフラテス(Theophrates, ca.372 - ca.287 BC)が"Historia Plantarum"で約480種の植物を生育形や花弁、果実などの形態から分類して記載した。また中国では、伝説上の炎帝神農に仮託して2〜3世紀ごろに編纂されたとされる『神農本草經』にも多くの薬用植物が記載されている。しかし、いずれも植物を区別してそれぞれ固有の名前を与えるにとどまり、種を一定の基準で区別、命名しかつわかりやすく配列して分類するには至っていない。1623年にバウヒン(Gaspard Bauhin; 1560 - 1624)によって出版されたPinax Theatri Botaniciでは6000以上の植物が記載され、現在の学名の基礎となる二名法によって植物を命名したことで知られるが、属を特徴づけるといった属名の認識には至らなかった。バウヒンの命名法をすべての生物に拡大し、属名と種小名の二名法による命名と分類の配列の基準を提唱し、現在の生物分類学の基礎をつくったのはリンネ(Carl von Linné、1707 - 78)である。リンネは、1735年に"Systema naturare"を著わし、長い歴史の間に区別されてきた各生物種を一定の形態的基準を基に区別し直し、それぞれに統一した名称すなわち学名(scientific name)を与えて生物分類の基本単位とした。分類された各種は、例えば植物においては雄ずい(おしべ)の数によって24のグループ、すなわち「リンネの24綱」として性の体系をつくり上げて配列した。リンネの「種(species)の概念」は単純明快なので、リンネ種といって現在でも利用されることがあるが、かなり人為的な観点による分類(人為分類)であったため、多くの生物種が記載されるにつれ、リンネの「種の概念」は実態とのずれが目立つようになった。例えば、同―の種の中でも、個体(individual)はそれぞれ完全に同―ではなく、多少の変異の幅をもって存在することはリンネの分類学では想定されていなかった。生物の種を特徴づける基本的な形態や性質は、子々孫々に伝達される遺伝情報であり、環境への適応などにより永い年代の間に少しずつ変化していくことが認められるようになった。ラマルク(Jean-Baptiste Lamarck、1744 - 1829)は、よく使われる器官は発達し使われない器官は退化するという「用不用説」を唱え、いわゆる「種の変動説」の先駆けとなった。ダーウィン(Charles Darwin、l809 - 82)は同―種間、異種間で生存競争が発生し、優れた形質をもつ個体群がより多く生き残って繁栄するという適者生存の論理による「自然選択説」を主張し、これに基づいて「ダーウィン進化論」を発表した。しかし、「用不用説」、「自然選択説」のいずれも「種の変動」の主要要因とはなり得ないと現在では考えられている。一方、ドゥ・ヴリエ(Hugo de Vries、1848 - 1935)は遺伝の過程で起こる突然変異(mutation)を種の変動の主な要因とする「突然変異説」を提唱した。遺伝子の変異は一定の確率で起きることが知られており、これに環境要因による自然選択などが加わって種の変動が起こると説明されるようになった。それに伴い、生物進化論も修正され、突然変異体の中から、環境変化に不連続的に適応し、より優れた形質を備えたものが生き残っていくのが進化(evolution)と定義された。一方、環境変化に連続的に適応して変動するのが分化(differentiation)と定義され、進化及び分化の繰り返しで今日の生物多様性が構築されたと考えられている。種の識別は基本的に遺伝形質の差に基づくのであるが、遺伝形質の差は染色体中の遺伝子の塩基配列の差として表わされる。同一種の個体間でも遺伝子の塩基配列にわずかな差が認められるので、分類学上で種として区別するには染色体の数や外部形態(molphology)に差が認められるなどある程度の差が認められなければならない。今日では、「種の概念」は種が変動するものであることを前提とした上で、次のように定義される。
生物分類学において、種(species)がその基本となることはいうまでもない。世界中の生物種を概観すると、よく似た種が見つかるのが普通である。そういう種をまとめ小分類群とし、小分類群の中で似ている分類群をまとめて更に大きな分類群へまとめる。このようなことを繰り返すとと、一定順序で分類群が階段状に積み重ねられるので、これをランク(階級)という。もっとも上位に位置するランクを門(division)と称し、語尾が-phytaのラテン語で表記される。薬用植物の大半は維管束植物と呼ばれる高等植物である。最近の分類学では、維管束植物は下の表のような10の門から構成される。このうち、小葉植物、リニア、有節植物、シダ、原裸子植物の5門をシダ植物、ソテツ、イチョウ、球果植物、マオウの4門を裸子植物と総称する。実は、シダ植物、裸子植物は古い分類学ではそれぞれ一つの大きな門にまとめられていたが、上に記したように細分化された。維管束植物を構成するもう一つの門が被子植物門であり、これと旧裸子植物門に属する植物群を種子植物と称する。わが国に自生する維管束植物は2002年に発表された日本分類学会連合の統計によれば、総数5684種であり、その内訳は下の表に示す通りである。
門より下の分類群のランクは下の表の通りであり、キキョウの例を挙げて示した。「目(order)」以下」のランクは非常に多くの分類群を含む。このうち、青字で記したランクは植物名を表すのに常用される部分である。必要があれば二次的なランクを設け、上位ランクを示す用語に接頭語「亜、sub-」を加えたランク名を挿入することもある。たとえば、科と連の間に「亜科」、属と種の間に「亜属」、「列」を置くことがある。種より下位のランクとしては「亜種(subspecies)」、「変種(variety)」、「亜変種(subvariety)」、「品種(form)」、「亜品種(subform)」がある。ランクのラテン名は規則的につけられており、「目」では-ales、「亜目」では-ineae、「科」では-aceae、「亜科」では-oideae、「連」では-eaeという風に決められている。但し、マメ科Legumisosae、シソ科Labiataeなどのようにこれに合わない名もあり、一応、保留名として使用が認められているものの、現在では、それぞれFabaceae、Apiaceaeなど、この規約に従った名前を用いるように推奨され、植物学のみならず生薬学、植物化学などではほとんど旧名を見ることはない。しかし、日本薬局方では第17改正版でも改められておらず、担当者の無知ぶりが伺える。
万葉集には160種以上の植物が詠われていることは述べた通りであるが、その名の多くは今日でも通用する。1200年以上も前の名前が使われていること自体驚きであるが、ただ表記は変化してきた。万葉時代は万葉仮名で表記され、その後は漢字に当てられたり、片仮名、平仮名で表記されたり、旧仮名遣いであったりした。今日、植物分類学で用いる名前には、和名としての正名と国際名としての学名が規定されている。和名はその名の通り日本語で表された名前であり、分類学では「片仮名」で「新仮名遣い」で表記したものを標準和名としている。漢字や平仮名で書かれた植物名も広く用いられるが、それらは一般名として称され、学術分野で用いることはない。植物の名称は地域によっても異なり、これを地方名あるいは土着名などと称する。日本にしかない植物であれば外国に相当する植物名は基本的に存在しないのであるが、国境を越えて広く分布する広分布種であれば、それぞれの民族、言語により、また民俗文化、習俗を反映して様々な名前で呼ばれる。標準和名を含めてこれらの名前は統―された規則に基づいて命名されていないので、種相互の関係もあいまいであり、また国際的に通用しない。それは次のモモの例をみれば明らかであろう。
Linnéは国際的に通用する名称として、当時のヨーロッバにおける学術公用語であったラテン語を用い、二つの単語からなる命名方式、すなわち二名法(binominal
nomenclature)を提唱し、それによって一つの「種」として定義づけられる分類群につけた。これが学名(scientific name;ラテン名latin nameともいう)であり、1867年に植物命名規約(International
Code of Botanical Nomenclature)がはじめて制定され、改定が重ねられて、現在第12版(日本語版
大橋店好訳:国際植物命名規約(東京規約)1994)が適用されている。学名は分類学の各ランクに、ひとつの分類群にはただ一つの学名(正名)が認められる。二名法による種の学名(種名)は、属名(generic
name)とその後に続くl個の種小名(種形容語;specific epithet)とから構成される。学名の発表の正確を期するため、その後に著者名(命名者名;author
name)を引用するが、同じ書内ではどれかに著者名が表されていれば、後は省略してもよいことになっている。
モモの学名:Amygdalis1 persica2 Linné3
[Syn. Prunus persica (L.)Batsch4]5
薬用植物を加工してつくる生薬の医薬品としての名前にも、薬局方その他の公定書に記載され、国際的にも通用するラテン名がある。日本薬局方ではカタカナ表記の和名を生薬の正名とするが、カタカナ表記の一般医薬品との整合性を図ったためである。第十五改正に本薬局方から、漢方処方が医薬品各条に収載されることになったが、これもカタカナ表記であるのも同じ理由による。生薬ではカッコンの例のように基原植物の学名、薬用部位をラテン名の中に含めることが多いが、規定があるわけではない。さらに、漢方処方薬など普通漢字で表現されることが多い生薬では、別名として漢字表記の名(漢名という)も記載されている。
生薬名:カッコン1、Puerariae2 Radix3、Pueraria
Root4
、葛根5
生薬ラテン名のうち、同属生薬がある場合は種小名に由来する部分を入れたり、生薬の形態的特徴を示すラテン語を入れたりすることがある。また、外国産生薬では土着名をそのまま用いることも多い。
(例)
チクセツニンジン Panacis japonici Rhizoma(japoniciは種小名に由来する)
コウジン Ginseng Radix Rubra(Rubraは赤いという意味のラテン語、Ginsengはニンジンの土着名)