難読地名:酒々井しすいの語源由来
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A Happy New Year!

 まずは2024年の年頭の挨拶を申し上げたい。本コラムの当初は世相に対する愚痴を述べることであった。最近はそのはけ口をSNSに求めるようになったため、より学術的な課題に舵取りをしようと思う。とはいえ、本サイトには総説の投稿欄を設けてあるので、ここでは軽いテーマに絞って述べることとする。その意味では前のコラムはその先駆けであった。
 筆者は帝京大学に在職時は毎年のように海外出張していた。当時は八王子市南大沢に住んでいたから、京王線南大沢駅から元八幡行きの急行(京王線と千代田線の直通)に乗り、終点のJR元八幡駅から徒歩で京成八幡駅に至り、京成本線特急に乗り換えて成田空港に至る長い旅程であった。時間的には新宿駅でノンストップの成田エキスプレスに乗り換えるのがもっともタイムセイビングであるが、何分にも特急料金が加算されるから、わざわざマネーセイビングのルートを選択した次第である。事務手続き上では成田エキスプレスルートで請求し、差額はちゃっかりポケットマネーとするのが常であった。世知辛い今の時世では不正として摘発されるに違いないだろうが、それでもって出張費の補填としているから、罪の意識は寸分も感じない鈍感な旧世代のおおらかさとだけいっておこう。その京成本線の途中に京成酒々井駅があり、特急は停車しないので下車したことはないが、この“酒々井”こそ知る人ぞ知る難読駅名(地名)なのだ。所在は千葉県印旛郡酒々井町にあり、本コラムでその地名の由来について蘊蓄を披露したいと思う。
 まず、所在地の酒々井町役場(正確にいうと酒々井町教育委員会)酒々井風土記に『印旛いんば郡誌ぐんし(1913年)を引用して地名の由来が載っているので紹介しよう。

この地には古い井戸があった。その日、息子は酒を買う銭がつくれず、このまま帰れば父親の楽しみを無くしてしまう、こんな親不孝はない、どうしようかと思案しながら家路を歩いていた。そのとき、あの井戸から酒の香りが「ぷうん」としてきた。息子は不思議に思いながら井戸の水を汲んでなめてみると、それは上質の酒だった。息子は喜び、急ぎ家に帰って父親に飲ませた。これより先、息子は無理に銭をつくらなくても、井戸から酒を汲んで飲ませるようになったという。この話しが近隣に広まると「孝行息子の真心が天に通じたに違いない」ということになった。後にこの井戸を「酒の井」と呼び、村も「酒々井」と呼ぶようになったという。

十訓抄じっきんしょう』にも記載された有名な養老の滝伝説で湧水(滝)を井戸に置き換えたような陳腐な作り話に見える。しかし、酒々井町が美味しい天然水の得られる地であることは確かなようである。300年の歴史を誇る古い酒蔵が存在し、現在でも千葉県一の酒の生産量を保持しているというから、この地名由来説はもっともらしく聞こえよう。一般に日本酒作りには名水と良質な米が必須とされ、米は遠く離れたところから運ぶことができるが、名水はそういうわけにはいかないから、酒蔵の立地にはミネラル分をたっぷり含んだ名水の得られるところが選ばれる。京都の伏見や神戸の灘などはその好例であり、ほかにも名水の所在地は全国に散在するから、「名水の地に銘酒あり」は普遍的な真理といえるが、さすがに“酒の井”どころか類名すら標榜するところは見当たらない。また、こういっては叱られるかもしれないが、酒々井の水はほかの地域の名水と比べて際立っているわけではない。というのは江戸時代初期に利根川が付け替えられるまでは印旛いんばぬまは汽水湖である香取海かとりのうみの一部であり、その辺りにある酒々井は名水の里とはいえなかったからである。したがって酒々井の地名の由来を「酒の井」とするのはいわゆる語源俗解といってよいかと思う。ここでは国語学的観点からその名の由来を考えてみたい。
 実は酒々井町ホームページにもう一つの代替説も紹介されている。印旛沼に面した酒々井は涌水の井戸が多く、「出水しゅすい」と呼ばれていたのが「酒水しゅすい」に転じ、水の豊かさ(?)を象徴するように酒の文字を重ねて「酒酒井(酒々井)」となったというのだ。このうち、“出水”という地名に関しては、赤松あかまつ宗旦そうたん著『利根川とねがわ圖志ずし(岩波文庫、国会図書館デジタルコレクションに「宮戶に宮本若狹、川村に川村大炊、岩尾崎に只越美濃、神崎に大和太郞左衞門、出水に大谷半左衞門、藤崎に藤崎隼人・同四郞左衞門、飯高に飯高播磨・同十郞、〜」(巻四)とあり、大谷半左衞門なる武将(千葉一族の大谷氏と思われるが不詳)の領地名として出てくるから地名であることは間違いない。このうち川村と岩尾崎(尾崎とすれば千葉県八千代市と同野田市に尾崎おさきがある)は不明だが、宮戶は埼玉県朝霞市宮戸みやど、神崎は千葉県香取郡神崎こうざき町、藤崎は千葉県習志野市藤崎ふじさき、飯高は千葉県匝瑳そうさ郡にあった飯高いいたか村に該当する地名が残り、いずれも千葉県北部〜埼玉県東部にあるから、出水もその近傍にある地と推定するに無理はあるまい。また同書の別所に「常總軍記卷二十云、かくて義長、兼ては瀨戶へ出でて沼をめぐり、出水より佐倉へ押つけ、有無の合戦をすべしと號令せしめけるに、松蟲の臺に陣し、〜」(巻四)という記述中において、“瀨戶(千葉県印西いんざい瀬戸せとと考えられる)へ出でて沼をめぐり、出水より佐倉”とあり、出水が印旛沼(文中では単に“沼”とある)佐倉さくらのごく近傍にある地名であることが確認できよう。残念ながら、“出水”の音名がわからないので、その名と“酒々井”に直接の関連があるか否かは明確ではない。また、確認はできなかったが、応永年間の古文書に「須々井」とあり、戦国時代には“ススイ”(旧仮名遣いはススヰだが、以下新仮名遣いで表す)と呼ばれていたともいう千葉の難読地名54。仮に出水が今日の酒々井であるにしても、“出”の音は呉音・漢音ともに“シュツ”であり、昔の日本語には拗音はないので“スツ”(実際はシュツともスツともつかぬ微妙な音)となるはずだ。出水の古い音読みが“ススイ”だったとしても漢字表記の酒水(酒酒水)に転じるには難があると見なければなるまい。当該地名の“酒々”の重ね字に着目すると、国語学に通じた人であれば、洒洒(洒々)という類字語が思い浮かぶに違いない。“氵”に“酉”の一角を減じた“西”を合わせた洒は毛筆による筆記では誤写が多かったと容易に推定されるからだ。まして地名ともなれば前後関係から語義を類推するのは困難だから無理からぬことだろう。あまり知られてはいないが、「浄躶々じょうらら赤洒々しゃくしゃしゃ」という舌を噛みそうな禅語がある。“浄”はきよらかなこと、“躶”ははだか、“赤”は色ではなくありのままのむきだしのこと、“洒”はきよらかでさっぱりしていることの意で、要するにそれらを合わせた総意がこの禅語の言わんとするところである。ついでながら付け加えると、“洒”と意が似た字に“灑”があり、意外にも音は同じ「しゃ」で、洒洒は灑灑と表すこともある(ただし灑灑を“さいさい”と読むこともあり、洒の音符「西」に基づくからややこしい)。因みに、けろりとしたさまを表す「しゃあしゃあと」という日本語があるが、洒洒から派生したものという。四字熟語に洒々しゃしゃ落々らくらくというのがあるが、物事へのこだわりがなくあっさりしているという意の漢語である“洒落しゃらく”の構成字を重ねて強意形にした和製漢語である。随分と前置きが長くなってしまったが、洒洒はさっぱりとこぎれいなという意味であり、洒洒井とすれば、酒々井町に多かったという井戸にぴったしの表現であることがわかるだろう。すなわち酒々井の名は「洒々井」に由来し、取り立てて名水というわけではないが、生活する上できれいな水が豊富に湧き出す井戸が多い地にふさわしい名といえるのである。洒洒井の音は「しゃしゃい」であるが、拗音のない昔は「ささい」と表記、音読されたと考えられるが、漢字表記の誤写によって「酒酒井」に転じてしまえば、音も「すすい」と読まれるに至ったと推定するに無理はないだろう。一方、前出の古書に見える「出水」は酒々井である確証はないと述べてしまったが、酒々井よりのちに発生したとすれば、語源解釈がスムーズになるので由来の同じ地名と考えることにする。すなわち酒酒井の類音から派生した当て字の名と考えられ、前述したように、「出」は「しゅ(つ)」とも「す(つ)」とも表し難い音(昔は拗音がなかった)であったため、“し”と“す”の混同によって「しつすい』を経て「しすい」に転じたと推定される。文字を大陸から借用したがゆえに音を正しく表記できない日本語の宿命といえよう。以上は国語学的解釈に基づく地名の語源解明であって、必ずしも「酒々井風土記」ほかにいう諸説を否定するものではないことを申し上げておく。
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