「日韓併合100周年」に寄せて
To Homepage(Uploaded 2010/8/15)
国家は国民に奉仕するだけのものか

久しぶりのコラムをアップロードする。今年は日韓併合100年目に当たり、日韓関係でもっともホットな話題に関しても勉強不足によるあるいは相手の主張を吟味することなく盲目的に受け入れることによる誤謬や曲解が目立つ。ここで理系の視点から客観的に評論してみたい。

1.「日韓併合100周年」NHK特番をみて

 終戦記念日の前日すなわち8月14日(土)に、20代から30代の日本・韓国の若者を集めて両国間の政治・経済・社会に関する様々な問題について議論させるというNHKの番組「日本のこれから 共に語ろう日韓の未来」が放映された。日韓両国民の習慣の違いに関するような実にくだらない議題から始まった。今年が100周年目にあたることもあって、案の定日韓併合も議題に上った。おそらくこれがこの特番の本題であったのであり、先ほどのつまらぬ議題は本題で沸騰するのを回避するためのガス抜き目的であったと思われる。これより前の10日(火)に、菅直人総理が内閣談話として「植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられた」として、「多大の損害と苦痛」に対する「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」を表明した(この表現には重大な誤謬が含まれていることを承知した上であえてここで引用する)。この文言をそのまま解釈すれば、これ以上の謝罪は考えられないほど深い反省の意を表し、1995年の村山談話よりやや踏み込んだものにもかかわらず、この討論会をみた限りではそれでも韓国人は不満のようだ。これ以外でも日本の行政当局は官房長官談話など何度も謝罪の意を表明しており、複数の日本の若者から「これだけ謝罪しているのになぜ?」と疑問を投げかけるのは当然であって、おそらく大多数の日本国民も同感に違いない。それに対する韓国人の若者の返答は、謝罪に真心がこもっていないという意見に象徴されるように、概して抽象的であり、日本人を納得させるにほど遠いものであった。また、政府が謝罪しても別の政治家がそれに水をさすような意見を述べるのが日常化して信用できないという趣旨の意見もあったが、日本には言論の自由が保障されている自由主義国家であるから、その言論内容が政策として実行されない限りにおいては何の実害もないはずである。行政府の長が閣議を経て述べる内閣談話がそれだけ韓国で軽く見られていることも大いに問題がある。世界に目を投じれば、これほど明瞭な文言で他国に謝罪した例は世界史で例がない。そしてある韓国人はドイツの例を引き出して日本もそれにならうべきだという趣旨の意見を述べていたが、どうやら旧西ドイツのブラント首相がアウシュビッツの慰霊碑の前で涙を流して謝罪したことを指しているらしい。おそらく全韓国国民に共通する意見であって、至極まっとうのように見えるが、ここに韓国人は日韓併合の歴史的経緯をまったく理解していない証拠を見ることができる。そもそも日本とドイツを同列視すること自体に問題があり、ブラント首相が涙ながらに謝罪したのは、ホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)という世界史に類例のない旧ナチスの蛮行(通常の政治行動の延長線上に起きたものではない!)に対するものであり、純然たる政治の延長たる第二次大戦そのものに対するものではないことに留意する必要がある註1。イタリアは枢軸国側の一員として大戦を戦ったが、イタリア首相がフランス・イギリスなどの連合国の国民に対して謝罪したことを聞かないのはそのためである。ましてや、ある日本の若者も端的に指摘していたが、日韓両国は戦争をしたわけではなく、36年間の日本の統治下で鉄道敷設、ダムの建設、帝国大学を含む教育機関の設置など、当時の日本は朝鮮半島のインフラ整備に積極的に投資したのであって、韓国民に対して損害を与えてはいないのであるから、損害賠償も含めて真心のこもった謝罪はする必要はなく、通常の政治的結着で十分(1997年の香港返還時のイギリスが参考になるだろう)ということになり、それが1965年に締結された日韓基本条約であったはずだ。どうやら韓国の現政権は国家間で正式に締結された条約を骨抜きにしてさらに補償を求めようとしているようだが、およそ近代国家にあるまじき態度であるのはいうまでもないだろう。これに対して前向きな姿勢を示す日本の政治家や学者もおり、国民はこうした勢力に対して警戒の目をゆるめるべきではないだろう。村山談話、菅談話による二度の謝罪で、韓国側にそれを肯定的に受け入れる土壌があるように見えないことが明らかになったのではないか。戦後から65年も経ており、大半の当事者が物故している現在、これ以上の謝罪は若い世代の日本国民にとっては屈辱と写るだろう。韓国にはおぼれる犬を棒でたたくという日本では考えられない格言があるという。ある良識派を標榜する新聞に紹介されていたのであるが、韓国側のとる態度はまさにその延長線にあることに気づかないのだろうか。
 以上、日韓併合をめぐって両国の現代史に対する歴史的認識に大きなみぞがあることを改めて浮き彫りになったのであるが、日韓併合は唐突に起きた事件ではなく、それ以前に布石となる歴史的事件が東アジアに多く発生していることを知る必要がある。簡単に説明すると、東アジアは欧米列強による植民地化から逃れていたが、19世紀になると、同地域最大の覇権国であった清帝国が太平天国の乱などの内乱やアヘン戦争などで急速に国力を消耗し、列強の侵出を許すなど同地域の政治情勢は一気に流動化し始めた。そのなかで、1636年、丙子胡乱の敗北により清帝国に服属を余儀なくされた朝鮮は、地政学的に東アジアの要衝と目されたこともあって、北からロシアが朝鮮半島における権益を虎視眈々とねらっていた。一方、日本では大政奉還によって明治新政府が成立し、列強の圧力をはねのけるべく富国強兵策による国力の増強を図ったが、ロシア・清帝国と対峙する千島・樺太、南西諸島と朝鮮海峡周辺に国防上の不安をかかえていた。そのうち、薩摩藩に服属していた琉球を沖縄県として併合することによりとりあえず南方の不安を解消したが、九州北部から本州・北海道に至るまで日本海側に長い海岸線を擁して対岸にロシアが控えていることもあって、その入り口となる朝鮮海峡を押さえることも国防上の急務であった。そこで、1811年以来、関係が途絶えていた朝鮮との修好を急いだのであるが、徳川幕府との間で国交を結んでいた李氏朝鮮は新政府を認めようとせず、日本側に征韓論者の台頭を許すこととなった。日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年~1905年)の結果、朝鮮に深く関わっていた清帝国・ロシアを退けて日本が朝鮮半島における覇権を確立する布石を得ることになったのである。無論、清帝国・ロシアの国力からすれば、十分に朝鮮半島を日本から奪還することは可能であったが、清帝国は辛亥革命(1912年)、ロシアは1917年のロシア革命に伴う混乱があってその余裕はなかった。日韓併合は以上の歴史的事件の結果起きた政治的駆け引きの所産というべきもの(韓国人の多くにとっては許し難いことかもしれないが、当時の国際情勢を冷静に分析すればこういう結果になってしまうのだ)であり、韓国にとってはなぜそれを許したかという視点で検証すべきものである。たとえば、明治新政府をもっと早くから承認し友好関係を結んでおけば、日本にとって日韓併合の必要性はなかったかもしれないのだ。以上のことは夏休みの自由研究レベルのものであり決して難しくはないのだが、韓国ではこのような視点から歴史を見直すような教育は行われているのであろうか。
 討論の中で、日本の若者は概して現代史に弱いことが明らかになったが、これに対して多くの韓国の若者が日本人はもっと韓国の歴史を学ぶべきだと主張していた。ただし、歴史を学ぶことは理科・数学などほかの教科を学ぶことと大きく意味合いが異なることをまず知っておく必要がある。歴史は過去に起きた事象を文献資料等から掘り起こして構築するものであるから、学者によって見解が異なるのが常識である。韓国の若者が日本人に学んでもらいたい「韓国の歴史」が韓国の国定歴史教科書(『わかりやすい韓国の歴史(国定韓国小学校社会科教科書)』明石書店、1998年)であったとしたら大いに問題がある。多くの日本人からすれば、韓国の教科書は極端な民族主義史観に溢れており、およそ客観的視点から検証されたとは見えないだろう。韓国の歴史観を絶対的存在として日本人に要求するのであればさらに大きな摩擦を両国間で引き起こすことは必定であろう。日本では、文科省の検定を経ているとはいえ、複数の教科書が用意され、それぞれの内容に相当の差が見られる。西側諸国では、国定あるいは政府の検定を経た教科書はないかわりに民間の歴史教科書が多くあり、実際に学校で採用されているし、日本でも民間歴史書を副読本として併用するのが普通である。すなわち、韓国とはちがって、日本の歴史教育には多様な歴史観が混在していることになる。この番組でただ一人歴史の教師が参加していたが、韓国側から日本では日韓関係の現代史を教えていないのではないかという疑問に対して、実際に教えているのであるが学者によって見解が異なる場合が多く、一筋縄ではいかないというような趣旨の答弁をしていた。少なくとも良心的な教師であれば、客観的事実に裏付けがなく専門家によって見解の異なる事項の場合、その一つだけを取り上げて教えるということはしないだろう。例として、古代史における邪馬台国の所在地(畿内説と九州説があって激しく論争している)を挙げることができる。韓国側の問いかけに対して、相当数の日本人が韓国の歴史を勉強してみたいと述べていたが、日本の教科書や参考書を用いて勉強する限り、むしろみぞは深まるばかりでとんだ薮蛇となるのではないかと筆者は心配する。日本でも、なぜか韓国国定歴史教科書の日本語訳がある出版社から出版されているが、歴史学の専門家ならずとも内容的に首をかしげるような箇所が多く、その記述を信用する日本人は少ないのではないか。国際的にみても異常ともいえる単一しかも民族主義史観の顕著な韓国の歴史教科書こそ、その内容をもっと客観的視点から検証すべきではないか。特番に参加した日本人識者の中にも、36年間の統治を誤解している人がいたのは残念であった。高級官僚出身のコメンテーター(元外交官)は、日本の植民地支配は創氏改名を強要し、日本語を強制的に押しつけたなどといっていたが、それぞれを施行するに至った背景(日本人の名字にあたる氏は朝鮮にはなかったことをどれほどの日本人が知っているだろうか)を知れば決して一方的に強制したものではないことがわかるはずだ(創氏改名の背景についてはウィキペディアに比較的よく詳述されているのでこれを引用しておく)。菅総理が談話の中で(朝鮮)文化を破壊したと述べ、仙谷官房長官が「朝鮮人から言葉を奪った」というのも同様で、いずれも史実に反するものである。李氏朝鮮時代に創製されたハングルが普及したのは日本統治時代になってからではなかったか。5000以上の小学校を建て、教科書を用意してハングルを教えたのは朝鮮総督府であり、その結果として識字率が高まったのは日本統治時代になってからではなかったか。日本が進出する以前に朝鮮半島でハングルを教える寺子屋に相当する機関があったことを未だかつて聞いたことがないし、そもそも朝鮮の上流階級の間ではもっぱら漢文が用いられ、一般庶民はほとんどそれが理解ず、李氏朝鮮時代の識字率が著しく低かったのはそのためではなかったか。また、朝鮮の学校で日本語を学ばせたのが言葉を押しつけたといえるのだろうか。それならなぜ現在の韓国で日本語の学習を禁止しないのか。政権の中枢にあるものが日本国民に無実の罪を着せようというのは信じられない愚挙というしかない。韓国の若者が日本人はもっと韓国のことを勉強すべきだというのはもっともなことであるが、政治家・識者(自称進歩派、良識派)・一部メディアのジャーナリストこそしっかり勉強した上で責任ある言動を発してもらいたいものである。
 日韓併合は無効であると韓国政府は主張し、日本政府に認めさせようとしているのは承知の事実であるが、NHK特番では韓国の若者から直接それに言及した意見はなかったと思う。大日本帝国衆議院の議席を得た朝鮮半島出身者が実在し(朝鮮人のBC級戦犯もいた)、また陸軍士官学校も門戸を開いていた(故朴正煕元韓国大統領は日本の陸軍士官学校出身であることはよく知られている)し、またある韓国人の若者が述べていた(祖父がフィリピン戦線に従軍していたという)ように、大日本帝国軍人として朝鮮半島出身者が日本人兵士とともに戦争に参加していたことから、併合が既定の事実であったことを否定するのは難しいことを知っているためであろうか。ここである日本人の若者が(日韓併合で)朝鮮国民は大日本帝国民として(第二次大戦を)戦い抜いた戦友である云云と述べていたのが印象的であった。当初、筆者はその言動が韓国の若者をエキサイトさせ、収拾がつかなくなるのではないかと思ったのであるが、意外にも韓国の若者は冷静であった。20年以上前であったら、騒然として殴り合いが起きても不思議はないほどのものなのだ(前述のガス抜きの効果か?)。これに比して、ゲストコメンテーターとして参加した在日韓国人二世の映画監督はその青年に対して歴史を語る資格はないとかなりきつい口調で非難したのはおよそ分別のある大人の取るべき態度とは言い難い。そもそも「~資格はない」というのは相手の言論を封殺する常套の句であるから、この映画監督の脳裏には各個人固有の権利としての言論の自由(民主主義社会においてもっとも重要な基本的人権ではないか!)という意識がまったく欠如していることを示唆するものだろう。この青年は歴史を専攻したといっており、彼なりの歴史認識を紹介したのであって、決して事実をねじ曲げてこの弁に及んだわけではない。要職にあるわけではない単なる一般市民に対してこのような言動を投げかけることは、映画監督という芸術文化の担い手としてはあまりにお粗末ではないか。別の日本人コメンテーターのある国立大学教授がやんわりと諫めたのであるが、その映画監督は同じ主張を繰り返すばかりでまったく取り合わず、その中に全体主義的体質の匂いをかぎ取ったのは筆者だけではないだろう。それに比べると冷静に対応した韓国の若者の方がずっと柔軟ではないかとさえ思える。

2.朝鮮王朝文書の“返還”について

 この番組では議題に上らなかったが、菅首相は宮内庁が保管する朝鮮王朝文書註2を韓国へ引き渡すことも表明している。本来なら、日韓基本条約で日韓両国の戦後処理のすべてにおいて結着がついているはずだから、手渡す(事実上の返還だが、日韓基本条約に抵触しないようこういう表現になったらしい)義務はまったくない。むしろ、宮内庁所蔵品であり国有財産であるから、審議を経ずに韓国に引き渡す方が日本側に大きな禍根を残すことになろう。無論、この王朝文書は文化財としてのみならず歴史資料として貴重なものであるが、なぜ日韓基本条約締結時に韓国はもっと強い態度で返還を求めなかったのだろうか。韓国はそれまで李王家を国を売り渡した元凶として、その末裔を冷遇してきたほどだから、おそらく韓国国民の大半は王朝文書に無関心であったのではないだろうか。最近の韓流時代劇ドラマは日本でもブームになっていることを考えると、韓国人は李朝時代に歴史的アイデンティティを求めるように態度を豹変させたらしい。いずれにせよもともと李王家のものであったから韓国に手渡してもさほど日本国民の感情を傷つけることはないと思われるので一向にかまわないが、早急に複製本を作成し日本側に資料として残すことが最低限の条件である。これまで宮内庁所蔵であったから日本の研究者にも手の届かない存在であったし、朝鮮資料の研究を希望する研究者は筆者も含めて多いと思われるからである。ただし、文化財・美術資料の返還問題は王朝文書だけに留まらず、その背後にある韓国政府の思惑を見落としてはならないだろう。韓国政府によると、日本に流出した文化財・美術資料は30万点以上あるという。今回は宮内庁所蔵の王朝文書だけで済みそうだが、韓国政府は韓国民の世論次第で日本に美術資料の返還を要求する可能性のあることも表明しているらしい(朝日新聞朝刊、2010年7月28日)。そもそも日本の各機関・個人が保有する文化財・美術資料のほとんどすべては略奪あるいは強奪したというものではなく、日本の識者が正当な手段で収拾したものであって、王朝文書等とはまったく事情が異なることに留意しなければならない。流出美術資料の返還を求める韓国の民間団体および日本の支援団体が力ずくで奪ったものだから返せというスタンスを取っていないのもそうした事情を反映したものだろう。すなわち、美術資料を保有する日本の機関・個人に対して自主的に返還してくれと主張しているに等しく、なぜ“貴重な美術資料”が朝鮮から流出したのかという肝心なことについてまったくほおかむりしているのは遺憾である。この団体が主張する文化財は本来あったところに所在するのが筋というのもきわめて身勝手な論理である。これだと4世紀に百済王朝が倭国に贈ったという七支刀(国宝、日本書紀に百済が神功皇后に贈ったという記載があり、奈良県天理市の石上神社に伝えられているもの)も“返還”の対象となりうる(国際通念からはおよそあり得ないことだが、それが通用しない韓国が相手である!)から、日本政府関係当局は友好の美名に惑わされて警戒を緩めてはならないだろう。
 美術品の流出は世界各地で起きており、日本からも韓国とは比較にならないほどの規模で、膨大な美術資料が海外に流出している。そのことはボストン美術館やクリーブランド美術館ほか欧米の名だたる美術館に日本美術コレクションがあることでわかるだろう。過去に、これらの美術館からの里帰りと称して、日本で流出美術品が展示されたこともあるのでご存じの方も多いことだろう。しかし、日本ではこれらの美術品を返還しろといったことは一度もない。日本美術の大量流出が起きたのは19世紀で、当時、欧米の美術界にすさまじいジャポニズム旋風が吹き荒れ、モネなど印象派の巨匠が自作に日本美術の手法を競うように取り込んだのはよく知られた事実である(芸術新潮、1988年11月号に特集記事がある)。なぜ日本から多くの美術品が流出したかというと、19世紀の日本では自国の美術に対する関心は低かったからである。とりわけ、浮世絵は欧米の収集家の間で高く評価されたのであるが、日本では単なる“ちまたの風俗画”扱いされ、狩野派など幕府や大名のお抱え絵師の陳腐な作品の方がずっと高く評価されていたのである。だから欧米人の収集家は二束三文で入手できたのであり、決して強奪したわけでもなく詐欺によって入手したわけでもない。皮肉なことに日本から美術品の流出の歯止めに貢献したのは美術品収集家でもあったアーネスト・フェノロサほか外国人であった。
 一方、朝鮮美術に対しては欧米の収集家の関心はきわめて低かったが、日本人収集家の関心は歴史的に決して低くはなかった。たとえば、柳宗悦は李朝時代の民画(浮世絵の朝鮮版といえばいいのだろうか)を高く評価し、積極的に収集したことで知られる。もっと古く室町時代の茶人は、李朝朝鮮時代の何の変哲もないような陶器にわびさびの感性を見出し、後に日本の茶碗のデザインのモデルともなるほど大きな影響を与えた。そのほか、李朝時代の家具類や工具類も日本で不思議なくらい高く評価されている。ところが朝鮮では単なる実用品であって、美術品・骨董品という視点からほとんど評価されることはなかった。つまり朝鮮美術の価値を高めたのは日本人であり、欧米に対する日本美術の関係に似た図式が日本と朝鮮美術の間に成立していたのである。韓国が躍起になって日本に韓国美術品の返還を要求する背景には韓国国内に残る歴史的文化財が驚くほど少ないという事情がある。筆者も1987年にソウルの国立博物館を見学したことがあるが、展示品は質・量ともに壮大な旧朝鮮総督府の建物に似つかわしくないものであった。1981年ころ、当時の全斗煥大統領(朝鮮半島が日本の植民地となったことは大韓帝国にも責任があったと認めたことで知られる)の訪米に伴うイベントの一つとして、ニューヨークのメトロポリタン美術館で国宝を含む韓国美術品の展示があった。国立博物館所蔵品を含めて韓国全土の美術品を集めたもののようであるが、それでも当時のニューヨークタイムス紙の評価は、日本美術の優れた色彩感、中国美術の壮大・荘厳さに見慣れた目からは物足りないだろうときわめて辛口であった。韓国および韓国国民が日本に所蔵される韓国美術品に秋波を送るのは、優れた美術品のほとんどは日本にあると考えているためかもしれない。仮にそうであるとしても、以上述べた理由によって韓国は日本国民に対して三顧の礼を尽くすべきだろう。
 欧米人によって価値が見出されたからこそ、北斎や写楽の個性的な浮世絵の多くが消失を免れたといって過言ではない。朝鮮美術も然り、日本人が熱意をもって収集に努めなかったなら、大半は歴史の闇の中に消え去った可能性が高いといえる。さきほど言及した韓国の民間団体がいうように、美術品は原産国に所在すべきというのは正論のようにみえるが、むしろ外に流出した方がよく保存されるのも紛れもない事実である。したがって、美術品は、国境の分け隔てなく、その価値をもっとも認められるところに所在すべきものともいえるのである。筆者はボストン美術館に所蔵される日本美術品を見たことがあるが、その規模もさることながら、同時にすばらしい環境の中で保存されていることに感激したものである。また、優れた日本の美術が外国で常設展示されることによる効果は、外国人による日本文化の理解を深めるという観点から、計り知れないものがあるはずだ。したがって、今になって日本人が海外所蔵の美術品の返還を求めるのは決して得策ではないのである。同じ理由で日本にある朝鮮美術の大半は返還する義務はまったくなく、むしろ熱意をもって所蔵・保管してきた収集家に韓国人は感謝の意を表すべきであろう。欧米では日本より一足先に中国美術ブームが起きており、日本以上に多くの貴重な美術品が中国から海外に流出している。最近、高度経済成長で財をなした中国人金満家が日本各地の美術品オークションで日本人バイヤーには手が出ないほどの高値(相場の10倍!という)で中国美術品を買いつけているという(週刊文春、2010.8.12-19号)。各美術品は、長い間、収集家の下で大事に保存されてきたのであるから、それに対する感謝の意も含まれているのであろうか、少なくとも中国は韓国政府ほど声高に流出美術品の返還を求めていないようである。もしどうしても韓国人が海外に流出した自国美術品を所望するのであれば、中国人バイヤーが世界中で自国美術品を買い戻しているように、感謝の念(これこそ真心を込めて!)とともに相応の対価を支払うことも覚悟すべきである。そして自国美術資料の流出の責任がどこにあるのか客観的かつ冷静に分析する必要がある(結論からいえば、責任の大半は韓国国民にあり、これに関しては同情の余地はない)。世界の家電市場を席巻しているサムスンやヒュンダイなどの大財閥にお願いして買い戻してもらうのも一計と考えるがいかがであろうか。

  1. 旧満州国は事実上の日本の傀儡国家であったが、中国はこれに関してほとんど言及することはなかった。日韓併合に匹敵する歴史的事件であるが、旧国際連盟のリットン調査団によって、満州国における日本の関与が侵略に相当すると認定され(1932年)、これ以上追求してもメリットがないと考えたからと思われる。その代わりとして「南京大虐殺」を俎上に挙げて、30万人以上が日本軍によって殺戮されたとして日本を非難している。おそらく、ナチスのホロコーストに匹敵する蛮行として追求した方が欧米の注目を集めやすいと計算したようだ。ただし、この大虐殺が実際に行われたことを示す証拠はみつかっていない。因みに、日韓併合については、2001年に米国で開催された国際学術会議で、欧米の国際法学者らは「日韓併合条約は国際法上は不法なものではなかった」などと韓国の学者の一方的な見解を批判しているように、国際的には有効と認定されている。韓国政府が主張するように、強制的に締結されたから併合は無効という考えは、民主主義が世界の主流となった現在の視点に基づくものであり、1910年の国際情勢の下では政治的に正当な行為と考えられていた(世界各地で同様あるいはもっとひどいことが行われていたということ)のである。例を挙げて説明すると、徳川幕府は、現代の視点からすれば、非民主的反動的独裁政権であるが、当時の世界情勢からすれば決して異常な政権ではなく、まっとうな歴史学者でこのように評価するものはいない。当時の人々はいずれの階層であってもそのような体制に順応して社会活動に参加、生活してきたのであって、暗黙のうちにそのような政権を承認した形になっているからである。もう一つ例を挙げて説明しよう。第二次大戦中の米国で、合衆国市民権を有する日系人が財産を没収され強制収容されたが、当時の合衆国憲法にすら違反する行為であった。このような場合は当然損害賠償請求権が発生するが、1988年になって、当時のロナルド・レーガン大統領が強制収容された日系アメリカ人に謝罪し補償を約束するまで約半世紀も放置された。1992年ジョージ・W・ブッシュ大統領も改めて謝罪、追加賠償を行っている。ここで脇道にそれるが本件に関連して補足すると、当時の日本は国力が頂点に達していたこと、また当時の中曽根康弘首相が合衆国大統領とロンヤスと言い合う昵懇の関係にあったことも、この問題の解決に大きく作用していることは間違いない。これに比べると昨今の政治家の世界情勢に対する認識の希薄さは救いがたいというしかなく、それによってわが国の国益が著しく損なわれているといわざるを得ない。再び本題にもどるが、強制収容があからさまな違憲行為であったからこそ謝罪・賠償が行われたのであるが、仮に強制収容が法的に整備された上で挙行されたのであったなら、合衆国政府は謝罪も賠償も必要なかったはずで、国際関係はかくも冷酷なところがあり得ることを多くの日本人は認識すべきである。広島・長崎の原爆被災は犠牲者の大半が民間人であり依然として未解決の悲劇である。当時の情勢からして、米国が連合国に独断で原爆を投下したようであるが、民間人の被災は十分に予見できたはずだから、これも明らかに国際法に反するものであり、決して風化させるべきではない第一級の案件である。しかし、本件に関する国際的関心は大きいとはいえず、今年度になってやっと米国の大使と国連事務総長が慰霊祭に参列し、わが国の首相もただ答辞を読むだけで熱意はまったく伝わってこなかった。
     以上、歴史は時として当事者に過酷に作用することもあるのであって、それぞれの時代において世界の状況と比較評価すべきであり、決して現代的視点でもって評価してはならないことを示している。当然、日韓併合もかかる視点でもって対処すべきであって、いたずらに情緒に流されるべきでないのはいうまでもない。日韓併合において朝鮮国民は困窮した生活を余儀なくされたというが、その当時の日本人すら同じように困窮していたのであり、当時の朝鮮が日本から離れたとしても決してその生活は好転しなかっただろう。残念ながら、時として情緒が優先する日本人の多くは、冷静かつ客観的な思考を要するこのことを理解できないだろうし、また進歩的あるいは良心的学者といわれる人々も然りである。
  2. 韓国政府が要求する主要文書の一つは『朝鮮王室儀軌』であり、15世紀~19世紀の李朝の祭礼や行事の有職故実などを記した儀典書とされている。そのほか、医学や軍の歴史などを記した『帝室図書』と歴代王が受けた講義資料『経筵』もあるといわれる。いずれも朝日新聞より引用したが、同紙には“日本政府は『朝鮮王室儀軌』を返還しろ”というかなり汚い言葉を書き付けたプラカードを掲げた活動家の写真を掲載しているが、法的に結着がついている事項に対してこの高圧的な態度はいかがなものか。日韓友好という観点からマイナスにこそなれ、決してプラスになることはないだろう。そもそもこれらの資料がいかなる経緯で日本に渡ったのか明らかでない。朝鮮王朝の没落とともに王室所蔵品が市中に流出し、その当時の朝鮮では価値を認められず廃棄寸前のところを、日本の識者が回収したことも大いに考えられ、日本によって強奪されたものでないことは確かだろう。もしそれほど価値の高いものと認識されていたなら流出するはずがないし、韓国人の識者の目に留まったはずだからだ。