日本語に敬語はない?
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To Homepage(ed. '21/12/30; up. 2022/11/24)
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 以下はある人(Eさん)との間で“日本語の敬語”に関するメールのやり取りにおける筆者の返答文である。詳しい内容は著作権との関連もあるのでここに紹介できないが、K教授(言語学会の教授という)がツイッターで“日本語に敬語はない”という主張に対してEさんが“ある”とコメントしたところ、K教授はコメントのやり取りを削除したので、筆者に感想を求めてきたのである。筆者はホームページ上に「比較言語学から見た日本語と朝鮮語」をアップしているので、いくらかは言語学に関心があったので答えた次第である。筆者とEさんとの関係については個人情報上の観点から省略する。
 返答が遅れて申し訳ありません。日本語における“敬語”は極めて厄介かつデリケートな存在だと個人的には考えています。まずは実例を挙げて私の率直な感想を述べることにします。TBSのサンデーモーニングの常連だった張本勲さんが、イチローさんから「はーい、ハリーさん〜」と言われたのに対して、「年上に対する言葉か、喝!」といった云々(サンデーモーニングを視たことがない人にはこの状況を正しく理解できないかもしれません)のことがごく最近のfacebookの投稿記事にありました。イチローさんは大リーグで長い間活躍されたスター選手で、実績からいえば張本さんより格上ですから、実力主義的観点からすればそれほど違和感はないように思えます。しかし、年功序列を重視する旧世代人の張本さんの考える常識からはずれていることは間違いありませんから、内心カチンとくるものがあったことは想像に難くありません。すなわち張本さんは親子ほどの年齢差のあるイチローさんに対して当該の状況においては“敬語”でもって対すべしと暗示しているのだと思います。アメリカでは駆け出しの新人もスーパースターも同じチーム内であれば愛称で呼び合うのが一般的ですから(ただしチームの司令塔である監督は例外のようです)、その習慣が身についてしまったイチローさんには同じ球界の大先輩とはいえ、彼の地の並いるスーパースターに伍してきたという自負からそのような言葉遣いでも構わないという意識が根底にあったのかもしれません。facebookでもイチローさんを非難する書き込みはほとんどなく、また張本さん自身の反応も刺々しさはなかったそうですから、ご自身も心底では時代の趨勢として納得していたともいえます。私の家内はいわゆる帰国子女で、帰国して日本の学校でもっとも戸惑ったのが日本語の複雑な待遇表現だったそうで、今でも「失礼なこといったかな」と気にするほどです。実は生粋の日本人のはずの私自身も“敬語の使い方”が苦手で、手紙などの文章ではネットで検索して適当な表現を拾いプールして使い回していますが、それが通用しないアドリブの会話ではしばしば詰まることがあります。“敬語”を含む日本語の複雑な待遇表現に息苦しさを感じるのは私だけに限らないと推察します。企業の営業部では“敬語の会話力”が能力主義の指標として重視され、そのほかの能力に秀でていても昇進の道が閉ざされることがあると聞いたことがあります。日本企業は体面を殊のほか重視しますから、ビジネス相手や顧客の心証を害することを極端に嫌う傾向があります。ビジネス界で客先企業に対する応答において、“弊社の上役”には謙譲語、“貴社”に対しては地位の上下を問わず、尊敬語をもってするというマナーがあります(おそらく日本特有でしょう)。顧客に対しても同様ですが、いずれの時からか“お客様は神様”という認識が顧客側・企業側の双方に広まったからでしょう。その背景には一部を除いて商品力がどんぐりの背比べという日本市場の特性から企業のビジネス姿勢が“買ってください”という方向に強く靡いているからだと思います。こういう状況ではトラブルや悪い風評をなるべく回避しなければという経営力学が作用するからです。一方、“弊社における敬語の抑制”は礼儀・礼節とは無関係の暗黙の了解・合意を背景に成立した“隠れ敬語”というべきだと思います。したがってそれをもって「敬語という用語には相当におかしな部分がある」といって「日本語に敬語はない」と一方的にジェネラライズするK教授の主張は早計かと思います。かかる矛盾は敬語表現を社会的、文化的地位の上下に固定化して考えるからであり、かつては敬語がないといわれていたフランス語でも特有の待遇表現があるとされていますから、日本の敬語にも特有の言語形式があっても不思議はないと思います。
 「日本語において敬語があるか否か」の是非はさておいて、まず敬語の定義について考えてみたいと思います。Eさん、K教授の定義は、微妙なニュアンスの違いこそあれ、どちらも“敬意”を中心に置いた“言語”としていることは共通しています。“敬語”がないと言葉として不完全であるかのように感じられますので、ここでは『日本大百科全書』を引用して論議したいと思います。それによると、敬語とは「話し手(書き手)が聞き手(読み手)あるいは話題の人物に対する敬意に基づいて用いる特定の言語形式」であり(“特定の形式”と限定していますから、なくとも言語として成立しますのでこの定義がもっとも妥当と思われます)、尊敬語・謙譲語・丁寧語に分類されるとあります。一般的には尊敬語は相手を立てたいとき、謙譲語は自分をへり下って相手を相対的に立てるときに使う表現と解釈されています。“相手を立てる”とは“ゴマスリ”など上辺をつくろったものも含まれますから、いわゆる敬語が本当に尊敬の念をもって使われているのかという疑問が浮上してきます。実際、日本では話し手が無表情で敬語を使うことが多く、それ故、Eさんは敬語を相手の社会的な立場に対して示す態度と考えておられると推察します。相手と自分とが持ちつ持たれつのフラットな関係にあれば、別に尊敬の念を抱くまでもないはずですから、両者の間で敬語を使わなくてもギクシャクした関係にはなりませんが、人間はロボットとは違って感情をもっていますので、相手に対して何らかの心情を表すことは皆無ではありません。実在するかどうかは別として、階級のないフラットな社会も概念上はその延長線にあると考えられますから同様でしょう。一方で人格・見識・学識などのすぐれた人に対しても“尊敬する”という表現を用いることがありますが、必ずしも“とうとびうやまう”という大げさなものではなく、むしろ自分よりすぐれていることを認める意味合い、すなわち一目をおくことの方が強いのではないかと思います。それが自分の目標あるいは憧れとして対象化された場合、“とうとびうやまう(尊敬)”要素が顕在化しますが、普遍的といえるのか疑問が残るでしょう。丁寧語はいわゆる敬語の口語形ですのでここでは除外します。こう考えると日本語の敬語といってもそれぞれかなりの温度差があり、どれも一義的に論ずるのは困難かと思います。個人的には真の意味での敬語は意外に少ないのではないかと思います(大半は形式的な社会的儀礼と化して心情を表さすことなく使われる)。それを極限化した形がまさにK教授のいわんとするところと一致するのですが、かかることは敬語発生の歴史的経緯も含めて慎重に議論する必要があるかと思います。K教授は平安時代の資料(『源氏物語』)の地の文に敬語表現が豊富というだけで、それ以前の日本語には全く言及していません。古代以前のわが国には文字はなく、中国より文字を導入して記述した文献資料は主として漢文で記述されているからでしょうが、万葉仮名で表記された『万葉集』という立派な上代の言語資料があるのですから、それを除いて論考するのは学術論議として致命的といってよいかと思います。『万葉集』の例については後述するとして、最古の文献資料の一つ『日本書紀』の記述をみると興味深い事実が見出されます。
 天武天皇九年丁酉「天皇病之」(天皇、みやまひしたまふ)
 天武天皇十四年十一月丙寅「為天皇招魂之」(天皇のおほみためにみたまふりしき)
皇族・王族のプレゼンスが高い国々ではわが国も含めてどこもいわゆる敬語をもって対するのが一般的といってよいと思われますが、『日本書紀』の漢文の原文表記は、天皇に直接言及した記述にもかかわらず、およそ敬語らしく見えません。ところが括弧内に示したように、後世の訓読文(日本古典文学大系による)ではしっかりと敬語体にされています。それは次の『しょく日本紀にほんぎ』天平宝字四年六月乙丑の条文例でも似たり寄ったりです。
 神亀元年、聖武皇帝即位、授正一位、為大夫人。生高野天皇(孝謙天皇のこと)及皇太子。
 其皇太子者、誕而三月立為皇太子。神亀五年夭而薨焉。時年二。天平元年、尊大夫人為皇后。
補足しますと、大夫人は藤原不比等の娘の光明皇后のこと、皇族外から最初の立后の例です。『続日本紀』の訓読文は見つかりませんでしたので原文のまま引用しましたが、この中でかろうじて敬語らしき用例は“薨”のみです。『設文せつもん解字かいじ』に「薨、公侯卒也」とあるように、日本でも皇族や上級貴族の死に限って用いられる表現です。今日では天皇の死に対して崩御を用いますが、意外なことに漢籍にほとんど見当たらず、国書でも『三代さんだい実録じつろく』の元慶四年十二月十日己丑に「太上天皇崩御後初七」とあるぐらいです。ただ中国では“崩”の一字で崩御の意として頻出し、わが国の正史でもそれに準じていますが、『康熙こうき字典じてん』は必ずしも貴人の死を表すとはしていません。因みに崩の和訓は「かむあがる」、薨は「かみさる」「みうす」ですが、庶民の場合では「みまかる」(死亡、致死、卒など)といって丁寧語と解釈されています。やはり死者に対しては、身分の上下の区別こそあれ、最大限の敬意をもってするところは共通し、これは純粋な敬語というべきでしょう。一方、英語圏の死に対する表現は、“pass away”、“gone”、“go to heaven”、“breathe one’s life”など多様ですが、これらは敬語というより婉曲表現と考えた方がよいのかもしれません。人間は死んでも死なないという“resurrection”の思想と関連するのでしょうか。
 さて、前述の『日本書紀』の訓読文では“たまふ”という補助動詞をわざわざ付加して敬語表現に仕立てているように見え、いかにも作為的に見えます。しかし、『万葉集』にはこの表現が万葉仮名で表されていますので、確かに古代語にも敬語表現があることになります。これは和歌ですから、後述するように、題詞で“私情”を交えていることが読み取れますから、形式的な社会的儀礼ではなく、心情を前面に押し出した敬語といってよいかと思います。
書殿しょでん餞酒せんしゅせし日の倭歌やまとうた
 天飛ぶや 鳥にもがもや 都まで
     送り申して 飛び帰るもの (巻第5 0876)
 阿麻等あまと夫夜ぶや 等利尓母とりにも賀母夜がもや 美夜故みやこ麻提まで
     意久利摩おくりま遠志弖をして 等比可弊とびかへ流母能るもの
いささかに私懐しくゎいべし歌
 我が主の み霊賜ひて 春さらば
     奈良の都に 召上げたまはね (巻第5 0882)
 阿我農あがぬ斯能しの 美多麻々々みたまたま比弖ひて 波流佐はるさ良婆らば
     奈良能ならの美夜故尓みやこに 咩佐宜めさげ多麻波祢たまはね
前者の歌は大納言に昇任して太宰府から都に帰る大伴旅人を送る餞宴で詠まれたもので“まをす”という敬語が万葉仮名で表記されています。一方、後者の歌は私情を交えて旅人の恩顧を願う述懐の歌で、注釈書によっては“たまはね”は“給はね”と表記されています。“たまふ”という表現は『中右記ちゅうゆうき藤原ふじわらの実資さねすけほか平安貴族の日記に頻出しますが、『説文解字』では「給 相足也」、『玉篇ぎょくへん』でも「給 供也、備也」とあって、漢字の原義は必ずしも敬語を表すわけではなさそうで、日本で独自の意味を付加したのかもしれません。後歌の第二句にみえる“たまふ”は単体の動詞で、一般には「与える」「くれる」の敬語と解釈されています。『日本古典文学大系 日本書紀』でも與・賜をそのように訓読していますが、『万葉集』の東歌でも万葉仮名表記の表現が出てきます。
未だ国をかんがへざる雑歌ざふか
 鈴が音の 駅家の つつみ井の
     水を賜へな 妹が直手よ (巻第14 3439)
 須受我すずが袮乃ねの 波由馬はゆま宇馬夜能うまやの 都追美つつみ井乃ゐの
     美都乎みづを多麻倍奈たまへな 伊毛我いもが多太手欲ただてよ
この歌は詠人不詳の東歌ですから、前述の旅人の餞別の歌とは違って、東国に赴任した下級の官人あるいは民間人が詠んだと推定されますから、“たまふ”は身分の上下を問わず普遍的に用いられた表現と思われます。恩賜という語彙に使われていますので、“賜”は仰々しい敬語のように見えますが、『玉篇』に「賜、施也」、『廣韻こういん』に「施、惠也、與也」とあるように、どちらかといえば平凡な用字といえます。現代語の「あたえる」の古形は「あたふ」ですが、意外なことに上代にはごく限られ、「〜 みどり子の 乞ひ泣くごとに 取り与ふる 物しなければ 〜(若児乃みどりこの 乞泣毎こひなくごとに 取与とりあたふる 物之無者ものしなければ 〜)」(『万葉集』巻第2 0210)の用例では、“与”の訓読語にすぎず、当時、本当にそう読まれたのか疑問が残ります。一方、平安時代になると、『類聚るいじゅ名義抄みょうぎしょう』に「與 アタフ」とあるのをはじめ、「なむぢ、日の本のちちははにむかふべきたよりをあたへむ」(宇津保うつほ物語ものがたり』・俊蔭としかげとあるように仮名書き文にも出てくるようになります。以上を勘案すると、上代の“たまふ”(補助動詞ではなく動詞の方)は現代語の“あたえる”に近い意味であって、敬意の意が希薄のようにに思えます。
 随分と長くなってしまいました。日本語に敬語がある、ないのいずれかといわれれば、『万葉集』に万葉仮名で出てくるのですから、古くからあったといわざるを得ません。とりわけ旅人の送別会で詠まれた歌にある表現は同僚貴族の旅人に対する“respect and politeness”を表したものであることが読み取れますので、まさに英語の“deference”に相当するといってよいでしょう。『日本書紀』のような初期の正史の原文は敬語表現はごく少なく、『万葉集』でも比較的限られていますが、平安時代の正史の一部に漢文ではなく宣命せんみょう書きで記述したところがあり、それが日本古典文学大系の訓読のモデルとなったと思われます。ですから『栄花えいが物語ものがたり』のような会話文を含まない古典でも敬語表現はふんだんに出てきます。したがってK教授が地の文には敬語はないというのは不適当だと思います。またK教授は“聖書の敬語”という題目で最新の邦訳と明治・大正期の邦訳を挙げて論述しています。その結果、聖書で神・キリストに対して敬語が使われているからといって、それが普通の日本語用法と考えるのはむしろ異例であり、あたかも“勘違いである”かのように断じています。キリシタン時代のバレト写本では多彩な敬語が使われているというのは当時の日本語に準じて訳されているのですから、明らかに矛盾しています。さらに森鴎外の小説を挙げ、“地の文では将軍家や大名に対して敬語は使われていないが、会話文では重厚(私の感想です)な敬語が使われている云々”とも主張していますが、小説家は中立的な視点から記述しているのですから、地の文で敬語表現がなくてもおかしくはなく、会話文では作家がその人格に成り代わって当該の時代の用法・用例にしたがって記述しているのですから、敬語が使われるのはごく当たり前のことです。明治維新はいわゆる王政復古ですから、天皇や上級の旧公家に対しては平安時代に倣い、今日から考えると悍ましいほど仰々しい敬語を使う一方で、旧幕藩体制の残滓たる将軍家・大名にはいっさい敬語を排したのは当時の世相から全く不思議ではありません。一部を除いて現代の新聞や雑誌などの記事における天皇・皇族関連の記述で敬語が仰々しくないのは、王朝復古の明治体制が崩壊し新憲法で天皇の地位が単なる国家統合の象徴とされたからでしょう。明治期の文学で敬語の特殊な用例として与謝野晶子の「君を泣く」が挙げられます。その一句「君死にたまふことなかれ」はあまりに有名で説明の必要はありませんが、ここで晶子が弟に対して“たまふ”という敬語を用いていることに驚かされます。一般には当時の強い男尊女卑の風潮に基づくものと解されます(高校時代の国語ではそう教わりました)が、「親は刃をにぎらせて人を殺せとをしえしや」と男親も含むはずの“親”に対しては無敬語ですから矛盾しているように見えます。一方、「末に生まれし君なれば」というところでは同じ弟ながら無敬語です。おそらく死に直面している弟を気遣った上での敬語表現であり、わが国では“死に対する特別な感情”があるあまりにこのような敬語の用例が発生したと考えられます。日本語における敬語は複雑な社会文化的背景と相まって極めて奥深く、印欧語族系言語のように一筋縄でいかないない気がします。K教授はまもなく刊行されるであろう著書と国語・国文学雑誌の投稿論文のサマリーをツイッターに記したに過ぎず、また私自身も言語学に造詣が深いわけではありませんので、これ以上言及するこ とは控えたいと思います。以上はこれまで私が別の研究で参照した資料から敬語に関連する部分を抜き出して感想を述べたもので系統的な論考に基づくものではないことを申し上げておきます。
 ある雑誌から原稿を依頼され、年末特有の忙しさもあって返答が遅れてしまいました。新年のご挨拶も兼ねて筆を置くこととします。