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本書の表向きの題目は『和漢古典植物名精解』(以下前書)の続編であるが、前書に収録しなかった有用植物を中心とし、必ずしも植物ごとの記載形式ではないので内容的に前書とは大きく異なる。ただし、前書と同じコンセプトで『本草和名』に収載される約500種の古典植物名(薬物名)の基原を考定して巻末の表に集約、和漢の異名も広く収録し、基原情報は最新の分類学に基づく。植物名・薬物名を詠み込んだ和歌・漢詩を精選して引用し、詳細・精緻な語釈により通釈、著者の見解を反映した。
第1章:第1〜4節では上中古代の薬物事情(本章に限り植物基原外も含める)を理解するのに必要な基礎知識として当時の医書・本草書の概略を、そして第5節ではそれを背後で支える医制について説明した。最新の知見によれば、古代の医学で重要な位置を占める鍼灸医学が中国ではなくユーラシア西部に起源があることにも言及し、最古の中国本草である『神農本草經』と同書よりやや成立の古い西洋の『薬物誌』(De Materia Medica; Dioscorides)との比較によって中国本草が西洋の影響をかなり受けていることが明らかになり、古代のわが国は間接的にユーラシア西部の影響も少なからず受けていることになる。以上を踏まえて古代のわが国で実際に流布した薬物および処方を記録した木簡・正倉院文書を詳細に解析し、断片的ながら貴重な知見を得た。古代の薬物形態を保持し世界でも類例のない文化遺産である正倉院薬物に関する『新修本草』(蘇敬)の記載文を訓読し、難解語句に注釈をつけて読者の便を図り、その基原解析の結果と歴史的背景等について説明。律令制度のもとで諸国から年料別貢雜物として進上された約200品を数える『延喜式』巻第37「諸國進年料雜藥」は、当時の薬物に対する社会的ニーズを反映し、その存在意義は極めて重要である。そのほとんどの基原を解明したところ、中国本草の記述に拠れば、わが国に産するはずのない品目名が少なからず含まれていた。栽培が困難で『本草和名』などが充てた和名から国産品と考えざるを得ず、国産類品を代用したことがうかがえるので、各品の基原を真品と代用品とに区別して巻末の表にまとめ、その代表例を巻頭の図2に示した。病例として古代で最も普通の病気と考えられる傷寒の薬物治療を想定したが、今日では傷寒といえば、まず漢方の古典的経典である『傷寒論』・『金匱要略』を想起するが、上中古代のわが国に伝わった証拠はない。古代の邦人は医疾令が指定する『小品方』や『錄驗方』を通して傷寒の処方を知り得ていたと考えられ、『醫心方』などに引用された処方を構成する薬物の大半は諸國進年料雜藥で賄えることが可能で、漢籍医書に出典する処方に基づきながら国産の薬物を用いて治療を行ったことがわかる。第6節は『日本書紀』・推古紀に初見する薬猟について論考した。通説は薬猟を国外から導入した儀礼と位置付けたが、薬学的観点から凡そあり得ないと考え、多くの関連資料を徹底的かつ客観的に解析、通説に替わる新しい見解を提示した。すなわち薬猟は実質的に中国初の本格的な薬物書『本草經集注』(陶弘景)と古代のわが国と文化的に関係の深い荊楚地方の歳時記『荊楚歳時記』(宗懍)の入手に伴って触発されたもので、薬猟は儀礼ではなく律令制に基づく医薬制の整備の一環として挙行された。『萬葉集』等に見る後世の薬猟の遊興化は律令制の整備で採薬の専門家が育った結果である。先行研究は『本草經集注』において仙薬の存在感を強調し中古代のわが国に大きな影響を及ぼしたと結論したが、薬の専門家の立場から関連する薬物の本草の記載を包括的に再検討した結果、神仙思想の影響に留まり、仙薬とまでは認識されていなかったことを客観的視点から明らかにした。先行研究は『萬葉集』に古代人の薬認識を示す歌の存在を見落とし、明確な薬の定義をせずに論考し結論を誤った。またわが国に道教の残滓は随処に見られるものの、断片的な形で無意識のうちに受容された結果であり、古代の邦人は特に道教を意識することはなかったと結論した。第7節では古代史に記録された疾病の流行を取り挙げ、律令政府が医疾令に則って行った施策を詳細に解析した。天平九年の天然痘の大流行の際、典薬寮が発令した具体的な治療法を記した文書の詳細な解析によって、当時の最先端の漢籍医書に基づく治療法が採用されたことがわかった。『榮花物語』の風病(傷寒の一種)に対する厚朴の用例が有効でなかったのはクルミ科基原(第4節4−5)ではなかったからと推定される。そのほか『御堂関白記』(藤原道長)・『小右記』(藤原実資)に健康異変の詳細な記録が残る藤原道長の病気治療について検討した。通説では糖尿病とされるが、道長の晩年の二十年間の記録から糖尿病の経年進行に伴う疾病の片鱗が随処にうかがえ、長期にわたって糖尿病を煩っていたと結論した。道長は薬物療法から加持祈祷まで様々な治療を受けたが、日記の記録から高いコンプライアンス・アドヒアランスが読み取れ、それが長期の罹病にもかかわらず、当時の平均寿命をはるかに越えて生存した要因と推察された。上中古代では加持祈祷も治療法として重視され、中国馬王堆出土の『五十二病方』や『千金翼方』、『醫心方』等にみる呪術療法の例を引用、その背景について深く考察した。第8節は7種の薬物が登場する和漢の詩文を引用し詳細な注釈をつけた。高度な薬物学的知識なしでは理解不能な漢籍詩文を引用、それに采薬を詩題とする薬名の詠物詩は文学作品としては駄作であるが、わが国の物名歌と比較する意義があると認め、敢えて取り挙げた。
第2章:古典染料植物について説明した。序節では同じ植物でも発色が異なること、周辺諸国と比べて格段に多様なわが国の色名の種類を包括的に理解するため、この種の類書として異例の染料の化学構造式を挙げて発色のメカニズムを説明した。とりわけタンニンは色を持たず、しかも構造によって数種に分別され、発色団と金属イオンとの配位で様々な色に発色する事実は文系諸兄にあまり知られていなかったかと思う。第1節で養老衣服令・『延喜式』にみる多様な色目について概説、中国では五正色のほかは間色と一括りにされるのとは対照的に、わが国では染色術のノウハウの蓄積によって微妙な色目を識別したことを示し、中国とは色認識がかなり異なることが明らかになった。第2節はわが国で独自に発達した摺り染め・移し染めを多くの詩文の用例を挙げて概説し、ツユクサの万葉名「鴨頭草」が漢名の鴨跖草から転じた経緯を初めて明らかにした。第3節のスオウが中国のはるか南方に原産し、六朝後期に東南アジアより渡来、中国でも高価な染料であった。わが国は中国経由で入手したが、高価な染料の割に平安文学によく登場する理由についてこれまで有効な説明はなかったが、『延喜式』に南島より貢進が記録された“赤木”が沖縄でアカズミギ(赤染木)と呼ぶアオイ科サキシマスオウであり、スオウの代替とされた可能性を指摘した。第4節・5節ではそれぞれアカネ、カリヤス・コブナグサについて古典詩文の用例とともに概説した。第6節では同じ藍の名で呼ばれる4種の染料植物を挙げて解説した。このうち山藍は、栽培されるアイに対するわが国在来の染料という意で、宮中の重要行事で小忌衣の染め付けに用いる。山藍の発色が薄めの藍色であり、やや不安定なことは引用した古典の記述にうかがえるので、緑色などとする通説は誤りである。第7節のツルバミはクヌギのタンニンによる染色であり、媒染剤の種類により白っぽくあるいは黒っぽくなり、トチノキと混同された可能性もあるが、クヌギによらない染色も同名で呼ぶなど、最もわかりづらい色目でもあるが、古典詩文の用例を解析、整理して概説した。補足で類品のシイ・イチイガシも古典の用例を挙げて詳説した。第8節では高貴色「紫」に対する東洋・西洋の状況を解説し、中国におけるムラサキ染めはそれほど古くないことがわかった。『萬葉集』の「託馬野に生ふる紫草」は、肥後国託麻郡より紫草貢進を記録した木簡の出土により、肥後の所在の可能性から「つくまの」の訓は必ずしも適当ではないことを指摘した。第9節のハリノキの染色成分は詩文の用例からタンニンのほかは考えにくく、「土針」なる万葉植物について、同じハリの音からタンニンを含む草本性の染色植物と考え、新たにゲンノショウコ説を本草の解析結果に基づくツクバネソウの代替説として提示した。以上、各節で染色文化の理解を深めるため、いずれにおいても多くの和漢古典詩文を引用、色目を中心として詳細な注釈をつけた。
第3章・4章は古くから蓑・笠の原料とされたスゲについて民族植物学的観点から記した。それぞれ章を分けたのは中国では菅・臺・莎草そして茅とも混同され、用字が著しく混乱しているからであり、第3章を分立しその混乱を整理して解説した。またわが国の漢和辞典が臺にアブラナの意を加えているのは『本草綱目』の李時珍注の誤りによることを指摘した。一方、わが国では一貫してスゲを菅で表したが、中国の影響を受け近世以降に用字に混乱が発生した。第4章では『萬葉集』および平安以降の詩文に大別し、それぞれ詠まれ方によってスゲを細かく類別し、詳細な解釈を付した。上代と中古代の詩文の間で大きく異なるのは「管抜き」であり、上代にはなく平安中期以降に出現する。スゲ製の輪を首にかけて六月祓で僻邪に用いるが、第1章第6節のショウブを鬘に作るのと同じ起源と考えられる習俗で、源流は遠くユーラシアにある。線形の長い葉を根出する植物は古くからしばしば混同され、後にチガヤやマコモを用いた茅の輪くぐりに転じ、今日に至ると推定された。特筆すべきことは、第一にスゲの生える生態を示唆する詩文や目に見えないはずの根に言及する詩文が多いことが挙げられる。スゲが古くから株を掘り取って湿地に植栽、利用されていたことを示唆し、中国の詩文にないわが国独特の特徴である。とりわけ『萬葉集』においてはスゲと根が「根もねもころ」というように、序詞として詠まれる例が非常に多い。『萬葉集』の「ねもころ」に対する原文表記は漢語の慇懃・懃・惻隠・心哀・叩叩のほか万葉仮名表記が少数例ある。同義とは見えない漢語の前二例と後三例が同じく「ねんごろ」と訓読される是非を検証した。対応する各漢語の漢籍における用例と比較してその意味を読み取り、スゲの根の生態や形態の特徴から派生した和語と推定したものの明解には至らなかった。ただし、『日本書紀』で「ねんごろ」と読まれる漢語の用例の中に相応しくないものがあることを指摘した。第二に全国に散在する「すか(が)」という地名がスゲの生態環境に由来し、それがほぼ普遍的であることを綿密な地名考証によって証明し、笠縫という地名も同様であることがわかった。この知見をもとに国文学上の論点であった高市黒人の歌の「笠縫之嶋」「四極山」ならびに三河行幸歌・黒人の羈旅の歌八首に詠まれた地名の所在を特定し、また木簡や正史ほか歴史資料を読み解くことによって持統太上天皇の三河行幸の行程の解明にまで考察の輪を拡げた。それに付随する論点であった「引馬野」「安礼の崎」の遠江所在説にも古典資料の綿密な解析、国土地理院治水地形分類図から類推した遠江地方の古地理を校合し、また中古代の駅伝制における駅の配置上の矛盾からあり得ないとの結論に達した。その問題の発端は引馬の訓読みであることを指摘し、引佐・引摩(→今之浦)のように音読み・転訛により、御馬(愛知県豊川市)を引馬の遺名と結論した(以上、付録1・2)。
第5章のカヤも第3・4章のスゲと同じく、身近な有用植物でありながら、第1節で示すように、近世になって漢籍の混乱を引き継いで漢名の用字に混乱が見られた。萱を「かや」と読むのは和名抄の記載の曲解による。
第6章では菅・茅に似て非なる植物を挙げ、ここでは前書の記載形式で多くの和漢詩文を引用して詳細な語釈をもって通釈・解説した。多くは線形の長い葉を根出するという特徴があり、いずれも水生もしくは抽水性のため、しばしば混同されるので基原の考定は慎重でなければならないことを指摘した。
第1章 和漢古典に登場する薬用植物・薬物
第1節 薬とは何か
1-1 〝生薬〟という語彙の歴史的由来
1-2 薬の発生と医学の成立
第2節 わが国の手本となった中国古代の医学・薬物学(本草学)
2-1 中国における最古の薬物書は『山海經』か?
2-2 中国における医学・本草学の成立
2-3 後漢〜六朝の本草書:『神農本草經』『名醫別錄』『本草經集注』
2-4 唐宋の国定本草書:『新修本草』と『證類本草』
第3節 東洋と西洋の古本草の比較
3-1 『神農本草經』の特徴
3-1-1 各薬物に充てられた四気五味の属性
3-1-2 『神農本草經』に色濃く残る神仙思想の残滓
①神仙を標榜する薬物がある
②不老あるいは不死を標榜する薬物がある
③延年・増寿・増年・長年・耐老・頭不白を標榜する薬物がある
④通神(明)を標榜する薬物がある
⑤輕身(身輕)を標榜する薬物がある
3-1-3 『神農本草經』収載薬物の薬能は古医方処方とどう対応するか
3-2 『神農本草經』との比較からみた『薬物誌』の特徴
3-2-1 『薬物誌』は実用性を重視した薬物書である
3-2-2 呪術的治療を示唆する記述がほとんどない
3-2-3 細胞内用物を薬物として積極的に利用
3-2-4 医薬品原料となった作用の激しい成分を含むものかなりがある
3-2-5 『薬物誌』に付け加えられた古代ロ-マ時代の本草図譜
3-3 『神農本草經』と『薬物誌』に収録される類縁薬物
3-4 西洋との比較から見えてくる中国古医学の特異性
第4節 歴史資料から上中古代のわが国の薬物事情を明らかにする
4-1 古代遺跡より出土した木簡に記録された薬物
4-2 正倉院文書に記録された薬物
4-3 光明皇太后が東大寺に献納した薬物:正倉院薬物
4-3-1 種々藥帳内品
1麝香 2犀角 3犀角 4犀角器 5朴消 6蕤核 7小草 8畢撥 9胡桝 10寒水石 11勒阿麻 12奄麻羅 13黒黃連 14元青 15青葙草 16 白皮 17理石 18粮禹餘 19太一禹餘粮 20 龍骨 五色龍骨 22白龍骨 23 龍角
24五色龍齒 25似龍骨石 26雷丸 27鬼臼 28青石脂 29紫鑛 30赤石脂
31鍾乳床 32檳榔子 33宍縱容 34巴豆 35無食子 36厚朴 37遠志 38勒呵梨 39桂心 40芫花 41人參 42大黃 43臈密 44甘草 45芒消 46蔗糖 47紫雪 48胡同律 49石塩 50猬皮 51新羅羊脂 52防葵 53雲母粉 54密陁僧 55戎塩 56金石陵 57石水 58内藥 59狼毒 60冶葛
4-3-2 種々藥帳外品
1藥壺 2雄黃 3白石英 4滑石 5麝香皮 6琥碧 7靑木香 8木香 9丁香 10蘇芳 11竹節人參 12 紫𨥥 13没食子之屬 14薫陸 15烏藥之屬 16沈香及雜塵 17紫色粉 18白色粉 19獸膽 20草根木實數種 21磺石數種 22藥塵 23丹 24銀泥 25夾雜物
4-4 各地から貢進された『延喜式』・諸國進年料雜藥の薬物の基原
【補足】古代で最高級の食材であった「蘇」
1.「蘇」と「酥」は似て非なるもの
2.わが国古典文学・史料における「蘇 」
4-5 正倉院薬物が語る〝古代の厚朴は「ほほがしは(ホオノキ)」ではなかった〟意外な事実
4-5-1 上代資料で厚朴を記録するのは種々藥帳のみである
4-5-2 ホオノキで間違いない万葉の「ほほがしは」
4-5-3 奈良時代では厚朴と認識されていなかった「ほほがしは」
4-5-4 古代の厚朴の正品はモクレン科ではなくクルミ科基原であった!
4-5-5 厚朴の正品がクルミ科からモクレン科へ転じた経緯
第5節 古代わが国の医制ならびに医方・薬方
5-1 唐制を導入した古代の医制の軌範:養老医疾令の概略
①甲乙 ②脉經 ③本草 ④小品・集驗 ⑤素問・黃帝針經
⑥明堂・脉决 ⑦流注、偃側の圖、赤烏神針等の經
5-2 上中古代の医療を主管した典薬寮の構成人員
5-3 わが国古代の医学と薬物学(本草学)について
5-3-1 わが国最初の薬物書・医学書:『藥輕太素』と『大同類聚方』
5-3-2 『本草和名』と『醫心方』
5-3-3 江戸時代になって成立した漢方医学
5-3-4 古代中国の医書
5-4 漢方の経典『傷寒論』は古代のわが国に伝わっていなかった
5-5 漢方の経典『金匱要略』は古代のわが国に伝わっていなかった
5-6 古代ではどんな処方が用いられたか?
①古代から現在まで最も普通の疾病「傷寒」とは?
②医疾令が定める教書『小品方』および『集驗方』収載の処方例
第6節 本草学・古医学の視点から見た古代の薬猟の歴史的意義
6-1 はじめに
6-2 薬に対する古代人の認識
6-3 古典および歴史資料に出てくる薬猟
6-4 薬猟を五月五日に行う意義は?
6-5 推古朝の薬猟の真の実態とその後の歴史への影響
6-5-1 推古朝の薬猟遂行の背景には優れたテキストの存在があった!
6-5-2 薬猟のテキスト入手の経緯
6-5-3 テキスト入手から薬猟に至るまで
6-5-4 単なる大陸渡来の儀礼ではなかった推古朝の薬猟
6-6 道士陶弘景が著した『本草經集注』は道教の方薬書か?
6-7 わが国の上中古代に仙薬は流行していたか
第7節 上中古代の疫病とその治療法
7-1 病気とは?
7-2 古代史に記録された疫病の大流行
7-2-1 藤原京時代〜奈良時代初期の疫病の大流行
7-2-2 多くの著名人も犠牲になった天平の疫病の大流行
7-3 平安の古典に登場する風病について考える
7-3-1 風病とは何か
7-3-2 古典に記述された風病の実例
7-3-3 風病に対してどう対処したか
①「湯茹で」の効果はいかほど?
②風病に対する薬物治療
1 朴(厚朴)の服用 2 韮(葫・薤)の服用
③御修法と陰陽道:平安時代に継承されなかった咒禁
③-1咒禁は原始呪術的医療に由来する
③-2唐代の代表的な医書にも記載される呪術的療法
③-3奈良時代後期に衰退した咒禁
③-4御修法・陰陽道による病気の治療
7-4 藤原道長を悩ませた疾病は?
7-4-1 古記録に見る道長の病歴
7-4-2 道長の健康状態の推移および摂関政治のトップとしての政務への影響
7-4-3 道長が病気治療に用いた薬方
①訶梨勒丸 ②葛根 ③韮
④紅雪
④-1紅雪とは何か?
④-2わが国における紅雪の使用について:道長および平安貴人の実例
④-3紅雪の類方「紫雪」の使用例
第8節 和漢の詩文に登場する薬用植物
8-1 黃連:かくまぐさ(キンポウゲ科オウレン)
8-2 麥門冬:やますげ[キジカクシ科(旧ユリ科)ジャノヒゲ]
8-3 澤蘭:さはあららぎ(キク科ヒヨドリバナ)
8-4 地黃:和名なし[ハマウツボ科(旧ゴマノハグサ科)カイケイジオウ]
8-5 松蘿:さがりごけ・まつのこけ(サルオガセ科サルオガセ)
8-6 人參:かのにけぐさ(ウコギ科オタネニンジン)
8-7 罌粟・米囊・芥子(誤用):けし(ケシ科ケシ)
8-8 菖蒲:あやめぐさ[ショウブ科(旧サトイモ科)ショウブ]
8-9 その他:采藥
第2章 古典に登場する染色植物
序 節 染色のもとである色素および発色について
①色素とは
②主な染料植物の色素とその発色のメカニズム
②-1アイ(藍)の色素:インディゴ
②-2 アカネ(茜草)の色素:アリザリン・プルプリンほかアントラキノン
②-3 ベニバナ(紅藍・紅花)の色素:カルタミン・サフロ-ルイエロー
②-4 スオウ(蘇芳)の色素:ブラジレイン
②-5 クチナシ(支子)の色素:クロシン
②-6 キハダ(黄蘗)の色素:ベルベリンほかプロトベルベリン
②-7 ムラサキ(紫草)の色素:シコニン
②-8 ヤマアイ(山藍)の色素:シアノヘルミジン
②-9 ケイトウ(韓藍)の色素:ベタレイン・ベタキサンチン
②-10 ツユクサ(鴨跖草・鴨頭草)の色素:コンメリニン
②-11 フラボンを含む染料植物:カリヤス(苅安)・コブナグサ(藎草)・
クワ(桑・波自)・ハゼノキ(黄櫨)
②-12 タンニンを含む染料植物:ドングリ(橡)・ハンノキ(榛)・ゲンノショウコ(土榛)・アカメガシワ(楸・比佐宜)
③主な天然染料の色素の構造
④媒染剤について
第1節 衣服令・延喜式に見る上中古代日本の服色
①「白」 ②「黃丹」 ③「 紫」 ④「蘇方」 ⑤「緋」 ⑥「 紅 」
⑦「黃橡 」 ⑧「纁」 ⑨「蒲萄」 ⑩「綠」 ⑪「紺」 ⑫「縹」
⑬「桑」 ⑭「黃」 ⑮「揩衣」 ⑯「蓁」
⑰「柴」 ⑱「橡墨 」
第2節 摺り染め・移し染めに用いる植物
2-1 カキツバタ
2-2 ツユクサ
2-2-1 ツユクサの二つの漢名:鴨頭草と鴨跖草
2-2-2 古典に登場するツユクサ
2-3 しのぶ摺り
第3節 熱帯原産の染料植物スオウ(蘇芳・蘇枋・蘇方)
3-1 スオウの基原について
3-2 わが国の歴史資料におけるスオウ
3-3 わが国の古典に登場するスオウ
3-4 漢籍詩文に登場するスオウ
第4節 ユーラシアで広く利用されたアカネ属染料植物
4-1 漢籍におけるアカネの漢名の変遷
4-2 わが国の上中古代の歴史資料に登場するアカネ
4-3 わが国の上中古代の古典文学に登場するアカネ
4-3-1 『萬葉集』に詠まれたアカネ
4-3-2 平安以降の古典に登場するアカネ
4-4 漢籍詩文に登場するアカネ
第5節 黄色染料植物:カリヤスとコブナグサ
5-1 国書古典に登場するカリヤス
5-2 イネ科カリヤスに対応する漢名はない!
5-3 漢籍古典における黄色染料植物
第6節 色が違うのに同じ藍の名で呼ばれる植物
6-1 東アジアに原産しない藍
6-1-1 一種ではない藍染め原料
①マメ科タイワンコマツナギ Indigofera tinctoria Linn. とその近縁種
②アブラナ科ホソバタイセイ Isatis tinctoria Linn. とその近縁種
③タデ科アイ Polygonum tinctoria (Aiton) Spach
④キツネノマゴ科リュウキュウアイ Strobilanthes cusia (Nees) Kuntze
6-1-2 わが国の古典文学に登場する藍
6-1-3 漢籍の古典文学に登場する藍
6-2 西域より渡来した紅藍(くれなゐ)
6-2-1 わが国の古典文学に登場する「くれなゐ」
6-2-2 漢籍古典に登場する紅藍
6-3 在来の藍染め原料といわれる山藍(やまあゐ)
6-4 染料としての実績に乏しい韓藍(からあゐ)
第7節 ブナ科クヌギおよびその近縁種:「つるばみ」
7-1 クヌギの古名は複数ある?
7-1-1 必ずしも植物名ではない万葉の「つるばみ」
7-1-2 本草から「橡」の基原植物を解明する
7-1-3 「とち」はクヌギ・トチノキに共通の古名である
7-1-4 和名と異名に見る和漢で異なる「橡」の種認識
7-2 平安以降の典籍に登場する「つるばみ」「くぬぎ」
7-3 漢籍詩文に登場するクヌギ
7-3-1 橡
7-3-2 櫪
7-3-3 櫟
【補足】「つるばみ」の類縁植物 1.「いちひ」 2.「しひ」
第8節 植物としては地味な紫染めの原料ムラサキ
8-1 ムラサキの漢名と基原
8-2 ムラサキの花には無関心であった万葉の歌人
8-3 古代わが国の各地にあったムラサキの栽培園
8-4 平安以降の古典・歴史資料に登場するムラサキ
【補足】紫草を産する万葉の歌枕「託馬野」の訓と所在について
第9節 摺り染めに用いられたハンノキ
9-1 ハンノキの漢名は「榛」ではない
9-2 上代の古典に登場する「榛」および「はり(のき)」
9-3 平安の古典に登場する「はり(のき)」
9-4 平安の古典に登場する「はしばみ」
9-5 漢籍に登場する「榛」
9-5-1 榛をハシバミとしてよい例
9-5-2 ハシバミとは無関係の榛を詠む例
①榛草 ②榛薄
9-6 ハンノキの真の漢名は?
9-7 「かには」と呼ばれたハンノキ属の一種
9-8 「つちはり」再考:「はり」の名をもつもう一つの万葉植物
第3章 中国における「菅」と「茅」の混とんとした関係
第1節 中国においてスゲに相当する漢名は?
1-1 現代の中国はスゲ属に「薹」を充てる
1-2 莎草から笠に作るというのは李時珍の一方的な解釈である
1-3 一筋縄では行かない莎草の基原
第2節 中国における「菅」を再検証する
2-1 中国最古の詩篇に登場する菅は高級な草履の原料であった
2-2 中国の菅はやはりスゲ以外にあり得ない
2-3 歴史的にあいまいであった中国における「菅」と「茅」の分別
2-4 白茅と紛らわしい白茅香ならびに茅香の基原
2-5 漢籍古典における「茅」
2-6 漢籍古典に登場する「菅」の総括
第4章 わが国の古典に登場する「すげ」
第1節 「菅」だけではなかった「すげ」と読まれる漢名
1-1 「すげ」に充てた「菅」ほか各種漢名とその訓
1-2 上代の古典資料に登場する「すげ(菅)」を再検証する
1-2-1 『古事記』と『日本書紀』の「すげ(菅)」
1-2-2 『萬葉集』の「すげ(菅)」
①生育環境(沢・湿地)を示唆する内容が読み取れる歌
②地名とともに詠まれたスゲの歌
③菅の根(掛詞を含む)を詠んだ歌:二十四首
③-1 『萬葉集』に詠まれた植物の根
③-2 漢籍詩文に詠まれた植物の根
③-3 『萬葉集』に詠まれたスゲの根
③-3-1「菅の(根の)ねもころ」
③-3-2「菅の根の長き」
③-3-3「菅の根の乱れて」
③-3-4その他の「菅の根」
④笠とともに詠まれたスゲの歌:十一首
⑤笠以外のスゲの用途を示唆する歌:二首
⑥菅の葉を詠んだ歌:三首
⑦その他:一首
【補足】「ねもころ」について
1.異なる漢語に充てた「ねもころ」の意味は同じか?
2.上代古典で「ねもころ」と訓読される漢字・漢語の例
①懃 ②慇懃 ③惻隱 ④心哀 ⑤叩叩
3.万葉仮名表記の「ねもころ(ごろ)」
4.そのほかの「ねむごろ」と読まれる漢語の例
第2節 平安以降の古典に登場する「すげ(すが)」
2-1 「すがのね」の「ながき(し)」「ながながし」
2-2 その他の「すがのね」
2-3 「すげのをがさ」「すげのあみがさ」「すげのかさ」「すげのをみの」
2-4 「すげのをまくら」「すが枕」
2-5 「すがぬき(く)」
2-6 その他の「すげ(が)」
第3節 スゲの生育環境と密接に相関する地名がある
3-1 古代と現在とで異なる地名の概念
3-2 「すか(が)」「菅」に関連する地名は全国各地に散在する
3-2-1 須賀(須加)あるいはその類名
3-2-2 大須賀・大須賀津
3-2-3 横須賀・横渚
3-2-4 (小)菅・大菅・青菅
3-2-5 (小)菅生・菅田・菅野・菅原
3-2-6 古文献に見える所在不詳の「すか」・菅田・菅生
3-3 万葉歌に登場する「すか(が)」を再検証する
3-4 スゲから蓑笠を作る職人「笠縫(かさぬい)」と地名との相関
3-5 上代の典籍に人名として登場する「笠縫」
第4節 万葉歌に詠まれた「笠縫の島」の所在:摂津か参河か
4-1 摂津説の経緯と矛盾
4-1-1 摂津説の舞台に山らしい山がない!
4-1-2 「笠縫の島」はどこにある?
4-1-3 四極山摂津所在の金科玉条とされた『日本書紀』の磯齒津路
①磯齒津路の起点住吉津の所在
②磯歯津路と古代日本の古道
1.茅渟道 2.倉歷道 3.不破道 4.石手道 5.丹比道
6.大津道 7.大坂道 8.上中下の道
③難波高津宮と難波津の所在
④磯歯津路と仁徳朝の難波大道
⑤『萬葉集』に詠まれたもう一つの「しはつ」
4-1-4 茅渟海に棚なし小舟は必要ない!
4-1-5 それでも四極山は摂津にあるか?
4-2 「笠縫の島」:参河説を再検証する
4-2-1 参河説の概要ならびに問題点
4-2-2 古代幡豆郡の海岸線の位置について
4-2-3 古代幡豆郡八郷の比定:出土木簡から紐解く中央との関係
①磯泊郷 ②修家郷 ③意太郷 ④八田郷 ⑤熊來郷 ⑥析島郷
⑦大殯郷 ⑧大川郷
4-2-4 加藤静雄説による四極山および「笠縫の島」の所在の検証
【付録1】持統太上天皇の参河行幸のルート
1.柿本人麻呂の「羈旅の歌八首」
2.高市黒人の「羈旅の歌八首」
2-1 黒人は人麻呂を強く意識していた
2-2 近江の旅路
2-2-1 黒人八首の①は参河・近江のどちらで詠まれたか
2-2-2 近江の旅路の通過地を究明する
2-2-3 黒人が辿った近江の旅路の足跡を考える
2-3 参河行幸の旅程
2-3-1 正史に記録された行幸の前後
2-3-2 万葉歌から見た参河行幸の足跡
2-3-3 参河行幸のル-トについて
①藤原京から伊勢国的方まで ②的方から三河国庁まで
③参河国庁から尾張国庁へ ④尾張国庁から美濃国庁を経て伊勢国庁へ
⑤伊勢国庁から帰京へ ⑥まとめ
【付録2】安礼の崎と引馬野の所在について
1.やはり安礼の崎は参河に所在する
2.「ひくまの」と訓じたため遠江に所在すると勘違いされた引馬野
2-1 中世の引馬宿は曳馬とは無関係である
2-2 中世の引馬宿はどこか
2-2-1 『延喜式』の引摩駅は曳馬ではない
2-2-2 引馬宿は『延喜式』の栗原駅の〝事実上の後継駅〟である
2-3 参河にも引馬に由縁のある地名がある!
2-4 まとめ
3.遠州平野の古地理について
4.おわりに
第5章 わが国の古典に登場する「かや」
第1節 ややこしい「かや」の漢名
第2節 なぜ萱を「かや」と訓ずるのか
第3節 万葉歌に詠まれる「かや」
第4節 平安以降の和歌に詠まれる「かや」
4-1「かや」
4-2「かやがした」「かやがうへ」「かやくき」
4-3 「かるかや」
4-4 「まののかやはら」
4-5 「かやすだれ」「かやまくら」「かやむしろ」
4-6 その他
第6章 和漢古典に出現する「菅」「茅」に似て非なる植物
第1節 アブラガヤ(蒯草)とエノコログサ
【補足】狼尾草・草狗尾の基原とその植物和名
第2節 三稜にウキヤガラ・ミクリという同名異物がある
2-1 中国本草における三稜の真の基原
2-2 漢籍古典におけるミクリ
2-3 平安の古典文学に登場するミクリ
2-4 平安以降の和歌に登場するミクリ
第3節 蒲・「がま」
3-1 「がま」の漢名
3-2 本草にいう蒲は二種類ある
3-3 蒲の名をもつ植物はいくつかある
3-4 有用植物「がま」の用途
3-5 漢籍古典に登場する蒲
3-5-1 蒲
3-5-2 綠蒲
3-5-3 蒲葉
3-5-4 新蒲
3-5-5 春蒲・蒲芽
3-5-6 蒲根
3-5-7 剣に喩えられた蒲の葉
3-6 わが国の古典に登場する蒲
第4節 マコモ(菰・茭・蔣)
4-1 マコモの漢名
4-2 唐詩に登場する菰
4-2-1 菰蒲
4-2-2 菰蔣
4-2-3 靑菰
4-2-4 菰葉
4-2-5 菰米
4-2-6 菰角
4-3 わが国の古典文学に登場する「こも」
4-3-1 『萬葉集』に詠まれる「こも」
①枕詞として詠まれる「こも」
①-1みこも刈る・まこも刈る
①-2刈りこもの
①-3畳薦・薦畳
②薦枕
③単に薦と詠まれるもの
4-3-2 平安以降の古典に詠まれる「こも」
第5節 莞と藺
5-1 伝統的な種認識では明確に区別されなかった莞・藺・蒲
5-2 莞:カヤツリグサ科フトイ
5-2-1 漢籍古典に登場する莞
5-2-2 国書古典に登場する莞
①おほゐぐさ・おほひぐさ
②まろ(こ)すげ
5-3 藺:イグサ科イグサ
第6節 漢名がない「すがも」(つくも)
引用および参考文献謝辞
本草和名・和名抄に収録される植物由来薬物の漢名とその異名・古名ならびに基原一覧(表1〜3)
索引(植物名ほか)
あとがき