漢方医学の現状と近代西洋医学
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 現在、わが国の医学の主流はいうまでもなく西洋医学であるが、これは明治時代の1876年にそれまでわが国の医学の本流であった漢方医学を排除するとともに導入したものである。漢方医学はいわゆる伝統医学の一つであり、西洋医学への移行は革命的変革のように思われるかもしれないが、幕末には実証主義的漢方医学で研鑚を積み上げた革新的医家(『解体新書』で著名な前野了沢、杉田玄白など)により蘭方らんぽう(オランダ医学)の積極的導入があったため、さほどの混乱はなかったと思われる。漢方医の多くは西洋医学の優れた点を肌で感じてきたはずであり、抵抗したのはあくまで伝統にこだわる頑迷な守旧派だけであったと思われる。当時の西洋医学はそれまでの伝統医学にはなかった解剖学的知見を基盤にしたことを除けば、今日ほど際立った差はなかったのである。また、西洋医学の源流をたどればギリシア、ローマ医学やエジプト、メソポタミアあるいはインドの医学にさかのぼることができ、もとといえばいくつかの伝承医学の集合体からな成り立ったものといえる。ただ、西洋医学はいわゆる伝統医学とは異なり自然科学的概念を基盤として近代科学の成果を積極的に導入したため、今世紀になって伝統医学との差が拡大したにすぎない。
 今日、われわれは病気になれば病院や診療所にいって西洋医学に基づく診察を受けるのが普通である。一方で、腰痛や肩こりを訴える場合、病院へ行くのではなく針灸師やカイロプラクター(これも伝統医学の一形態である)の下で治療を受けることもごく自然に行われている。また、疲労感などがあれば、薬局へいって漢方の強壮剤を求めることもある。このように伝統医学あるいはそれに由来する医療行為は無意識のうちに意外とわれわれの日常生活に深く浸透しているのである。欧米諸国でも事情はよく似ており、ここではドイツの例を紹介しよう。ドイツではいうまでもなく世界最高水準の近代西洋医学の治療を受けることができるが、一方で自然療法(Naturheilverfahren)という伝統医学の範疇に属する治療行為が盛んである。これは植物療法(Phytotherapie)、ホメオパシー、物理療法(針灸など)などがあり、特筆すべきことはこれらが既に医学教育のカリキュラムに繰り込まれていて一般に認知されているということである。ある報告によるとドイツ国民の9割は現代医療より自然療法の選択を望むという。いわゆる自然療法の中でも植物療法は最も普及しており、ドイツのOTC(店頭)製剤マーケットでは6000種の生薬製剤があり、売上高ベースでは4分の1以上のシェアがあるといわれる。ただし、これには近代西洋医学的病名治療に使われているものも含まれ、伝統的病名論に基づいて使用されるケースはそれほど多くはない。すなわち、ドイツでは合成純薬の代替薬物として生薬を積極的に使用する基盤ができつつあることを示し、近年の世界的ハーブブームとも関連して注目すべき現象といえる。