近年、生活の利便性追及の結果として、食品の中で加工食品の占める割合が飛躍的に多くなった。加工食品は一定期間の保存という観点から酸敗など食品劣化を防ぐため添加物の使用は避けられない。しかし、毎日摂取の可能性のある食品を対象とするだけに添加物の安全性には極力注意が払わねばならない。当研究者はかかる観点から食品、嗜好品や汎用生薬類などに含まれる天然物質を食品添加物として使用するのが最適と考え、その応用開発研究に着手した。食品の酸敗は主に微生物の増殖による腐敗と、食品中に含まれる三大栄養素の一つである不飽和脂肪酸類の過酸化による劣化の結果として起きるので、抗菌抗酸化作用を指標とした。スクリーニングの対象としては、古来汎用されている生薬のほか山菜など歴史的に食品として用いられた実績のあるものを選んだ。その結果、古来世界的に繁用されてきた生薬甘草の非配糖体画分に顕著な活性を見い出した。1)生薬甘草の主要基原植物としてマメ科Glycyrrhiza uralensis Fischer ex de Candolle、G. glabra Linné、G. inflata Batalinが知られている2)が、G. inflataは中国药典において薬用甘草として認定されているものであり、2)レトロカルコンなど他の甘草とは著しく異なる二次代謝成分を含むことが知られており、3)本年度においてはG. inflata基原甘草(生薬市場では新疆甘草と称される)について更に詳細な成分情報を明かにし、その抗菌、抗酸化作用について評価を行った。
前述したように、食品中の不飽和脂肪酸類は過酸化の連鎖反応により過酸化物に変換されて酸敗の一因となるのであるが、生体内でこれと同様の機構で起きるものに脂質過酸化(lipid peroxidation)がある。脂質過酸化は細胞や組織におけるフリーラジカル生成の結果として起きる反応であり、活性酸素の不飽和脂肪酸への攻撃により生成したペルオキシラジカルが更に連鎖反応を起こすことにより過酸化物が増殖する。4)細胞や各器官の膜組織を構成する膜脂質では適度の流動性を確保するため不飽和脂肪酸の割合が高く、更にP-450を始め各種酸化酵素及びそれをサポートする電子伝達系が会合し活性酸素やフリーラジカルを頻繁に生成するためとりわけ過酸化を受けやすい。生体膜の最も重要な構成要素である不飽和脂肪酸の過酸化は膜の基本構造及び機能を著しく損い様々な疾患を引き起こす原因となる。5)これまでに脂質過酸化の連座が指摘されている病理疾患として冠血管硬化症、真性糖尿病、慢性腸炎などが挙げられ、6)また老化や発癌過程においても重大な関連があるとされる。従って、脂質過酸化を阻止することができればそれに起因する多くの病気を予防できることになる。脂質過酸化はラジカル捕捉剤や抗酸化剤による活性酸素の失活、脂質過酸化物を増殖させる連鎖反応系の阻害により抑制することができ、実際、実験動物系においてはある種の抗酸化剤の投与により発癌や冠動脈性心疾患の予防及び実験的心筋裂傷から心筋層を保護するのに有効であることが報告されている。7)このため、抗酸化剤は癌や成人病など各種疾患の予防という観点から注目されつつあり、とりわけ安全性が高く長期投与が可能な抗酸化剤として食品や古来汎用されてきた伝承医薬に含まれる抗酸化作用物質に強い関心が寄せられている。かかる背景から生薬甘草に含まれる抗酸化作用成分に関しては、食品添加物として応用することにより食品を通して日常的に摂取することで癌など各種疾患の予防効果が期待できるのではないかという観点から、単なる化学的脂質過酸化抑制のみならず、各種の生物学的抗過酸化試験法に供しその活性を詳細に検討することとした。
近年、一般植物類を対象としてより強い抗菌抗酸化作用を有する天然有機化合物をスクリーニングし、医薬あるいは機能食品として応用しようという研究が多くなってきた。これに対して、当研究者は汎用生薬など歴史的に人類と関わりのあるものに限って行ったのであるが、これには理由がある。一般に天然有機化合物は合成物質と比べて安全という神話があるが、化学物質である以上その応用には一般の合成品と同じ規格の安全性評価が必要である。一方、薬用、嗜好品あるいは食用など限定的ではあっても何らかの形で歴史的に人類により汎用されてきたものはGenerally Regarded As Safe (GRAS)としてこれらを病気の治療や予防に積極的に活用することの有用性が欧米を中心に認知されつつある。米国国立癌研究所のデザイナーフード計画もその一つであり世界各国で食品または生薬として実績のある植物資源をGRASとして積極的に使用する姿勢を鮮明にしている一方で、そうでないものに対しては極めて慎重である。本研究は生薬甘草が癌予防などにその効果が最も期待されているものの一つであり、また世界的に伝承医薬の予防薬としての有効性が脚光を浴びている中で行ったものであり、天然物すなわち安全という安易な認識に基づいたものではないことを明言しておく。
(1)新疆甘草の化学成分の解明
新疆甘草はG. inflataの根茎であり、わが国へは専ら甘味成分グリチルリチンの抽出原料として中国から大量に輸入されていたが、近年は輸入量は大幅に減少している。本研究における研究材料として市場品を購入し、破砕した後、塩化メチレンにて室温下で抽出した。抽出物150g(乾燥試料5kg相当)について、シリカゲルカラムにより粗分画を行い、更に各フラクションをセファデックスLH-20によるゲルろ過クロマトグラフィー、順相および逆相シリカゲルを用いたフラッシュクロマトグラフィーに供した。構造解析は1H-NMR、13C-NMR、IR、UV、MSなど機器分析により行った。
(2)新疆甘草成分の抗菌作用およびGTase阻害活性試験
5種のレトロカルコン類、3種のフラボン誘導体、3種のジベンゾイルメタンを含めて当研究者によりこれまでに新疆甘草より単離された全ての成分について抗菌活性並びにglucosyl transferase (GTase)阻害活性について検討した。GTase阻害は虫歯予防に有効であると考えられ、本研究にも密接に関連して食品添加物による虫歯予防として興味あるテーマと考え、活性試験に加えた。
a)抗菌試験
活性試験には次の試験菌を使用した。グラム陽性細菌:Staphylococcus aureus、Bacillus subtilis;酵母:Saccharomyces cerevisiae、Candida albicans;かび:Mucor pusillus、Aspergillus niger。抗菌活性は標準寒天培地を用いた希釈法により最小発育阻止濃度(MIC)を求め、評価した。培養は、細菌は30℃、2日間、酵母およびかびは同温度、4日間培養した。
b)GTase阻害活性試験
2%ショ糖液1mLにStreptococcus mutansより調製した粗GTase液50mLを加えて酵素反応液とし、これにサンプル液を加えて37℃、5時間反応させた後、OD550nmを測定し、阻害活性を求めた。
(3)新疆甘草成分の抗酸化作用試験
a)リノール酸の酸化抑制作用試験
リノール酸の緩衝液を5日間40℃でインキュベートし、過酸化物をチオシアネート法にて定量し、無添加のコントロールに対する阻害率として表わした。
b)diphenyl-p-picrylhydrazyl(DPPH)を用いたフリーラジカル捕捉作用試験
ラジカル捕捉活性はDPPHの安定フリーラジカルの捕捉に伴う吸光度の変化を利用して行った。100mM酢酸緩衝液(pH 5.5)1mL、DPPHの2.5mMエタノール溶液0.5mLからなる反応液に試料を含むエタノール1mLを加えて室温下で20分間おいた後、残存するDPPHラジカルを517nmにおける吸光度により定量、阻害活性を計算した。
c)xanthine oxidaseにより生成されたSO2-の捕捉作用試験
xanthine-xanthine oxidase系により生成するSO2-がnitroblue tetrazolium (NBT)と反応して生成する青色色素formazanを定量することによりSO2-の生成量を求め、被験物質によるSO2-捕捉活性を評価する。反応液は3mLの最終溶液量に対して40mM炭酸ナトリウム緩衝液(pH 10.2)、0.1mM xanthine、0.1mM EDTA、25mM nitroblue tetrazolium、150mgのBSAを含み、3.3 x 10-3単位のxanthine oxidaseをを加えることにより25℃、20分間反応させる。6mM CuCl2を0.1mL加えて反応を停止させ、560nmにおける吸光度を測定する。
d)ラット肝ミクロソーム系により生成されたSO2-の捕捉作用試験
0.1Mトリス塩酸緩衝液(pH 7.7)、0.1mM EDTAと30mM succinoylated ferricytochrome cの混合物にに0.4mg/mLの最終濃度となるようラット肝ミクロソームを加えて反応液を調製し、37℃、30秒インキュベートした後、最終濃度0.2mMとなるよう電子供与体としてNADPHを添加し、その結果生成するSO2-によるsuccinoylated ferricytochrome cの還元を550nmと557nmの吸光度の差でもって定量する。succinoylated ferricytochrome cの還元がSO2-によるものか、あるいは直接酵素によるものかは過剰量のSODを加えることにより区別することができる。8)
e)ラット肝ミトコンドリアを用いた抗脂質過酸化作用試験
ミトコンドリアにおける脂質過酸化はTakayanagiらの方法10)を改良して行った。rotenoneにより電子伝達系を遮断し、ADP-Fe3+の存在下でNADHの酸化に伴うミトコンドリア脂質過酸化をTBA法にて定量する。蛋白量にして0.3mgのラット肝ミトコンドリア粒を0.05M HERPES-NaOH緩衝液(pH 7.0)、2mM ADP、0.1mM FeCl3、10mM rotenoneを含む1mLの反応液中に加え、最終濃度0.1mMとなるようNADHを添加することで反応を開始させる。37℃、5分間インキュベートした後、ミクロソームにおける脂質過酸化の場合と全く同様にTBA法にて求める。
f)ラット肝ミクロソームを用いた抗脂質過酸化作用試験
ミクロソーム脂質のNADPH依存過酸化はPedersonらの方法9)を改良して行った。すなわち、蛋白量にして0.2mg相当のラット肝ミクロソームを0.05Mトリス塩酸緩衝液(pH 7.5)、2mM ADP、0.12mM Fe(NO3)3を含む1mLの反応液中に加え、最終濃度0.1mMとなるようNADPHを添加することで反応を開始させる。37℃、5分間インキュベートした後、2mLのtrichloroacetic acid (TCA)-thiobarbitulic acid (TBA)-HCl試液(15%w/vTCA、0.375%TBA、0.25N HClからなる)と90mLの2%BHT液を加えて15分間沸騰水中で加熱する。この結果、生成した脂質内の過酸化物が熱分解でmalondialdehydeを生成し、酸性下でTBAと縮合するので、これを定量することにより、過酸化物量を定量できる。冷後、1,000gで10分間遠心して沈殿を除き上澄液中のTBA-malondialdehyde縮合物を535nmの吸光度でもって定量する。
g)赤血球膜の保護作用試験
健康ヒト赤血球を分離し、152mM塩化ナトリウム及び10mMリン酸ナトリウム緩衝液(pH 7.4)からなる溶液中に10%の割合で懸濁させ、37℃、5分間インキュベートさせる。これに同じ緩衝液に100mMとなるよう溶かした2,2-azo-bis(2-amidinopropane) dihydrochloride (AAPH)を等容量加えて37℃で穏やかに振とうする。一定時間毎に、混合物から溶血度測定のため2サンプルずつ取り出し、一つは20倍量の0.15M NaClで希釈し、もう一方は水を加えて完全に溶血させる。両サンプルとも1,000gで10分間遠心して沈殿を除き上澄液をそれぞれ540nmにおいて吸光度を測り、溶血度をMikiらの方法11)により計算した。
(1)新疆甘草の化学成分について
これまでに知られているものに加えて、新たにフェノール性成分(6)、(10)~(14)、(19)を単離し、それぞれ既知物質である4',7-dihydroxyflavone、glabrol、formononetin、licoisoflavone A、B、glabrone、caffeic acid esterと同定した。4',7-dihydroxyflavone(6)、formononetin(11)を除く他の成分は新疆甘草からは初めての報告である。ここにこれまでに当研究者が得たものも含めて全ての成分の構造を示す(Chart 1、2)。
(2)新疆甘草成分の抗菌作用およびGTase阻害活性について
既に報告した5種のレトロカルコン類、3種のフラボン誘導体、3種のジベンゾイルメタンを含めて、当研究者が単離した新疆甘草成分について抗菌活性並びにGTase阻害活性について検討し、その結果を表1に示す。
グラム陽性菌に対してはlicochalcone A (1)、C (3)、5'-prenyllicodione (15)、licoisoflavone B (13)が強い活性を示し、とりわけlicochalcone Aは強く抗生物質にも匹敵する程であった。しかし、酵母に対してはほとんど活性は見られなかった。一方、かびに対してはlicochalcone AなどがMucor pusillusに強い作用を示したが、Aspergillus nigerに活性を示すものははなかった。5'-prenyllicodioneはもともとカンゾウ属の一種であるG. echinataの培養細胞系においてストレス化合物として単離されたもので、表1に示すように広範な抗菌スペクトルを示していることはストレス化合物の意義を考える上で興味深いといえよう。
GTaseに対してはかなりの活性を示すものが多く、中でもlicochalcone D (4)、glycyrdione C (18)はとりわけ強い活性を示した。新疆甘草非配糖体画分を機能性食品添加物として実用化することへの期待を伺わせる結果となった。
(3)新疆甘草成分の抗酸化作用について
新疆甘草の成分の中で抗酸化作用を示すのはレトロカルコン類のみに認められたので、以下の各種抗酸化作用試験では全てレトロカルコン類に限って行った。
a)リノール酸の酸化抑制作用試験
Fig.1に結果を示す。ここには対照物質は示されていないが、α-tocopherolは30mg/mLの添加で約50%、BHTは3mg/mLの添加でほぼ100%の抑制効果が認められた。これによれば、レトロカルコン類は全てα-tocopherolよりも強い活性をもつことになり、とりわけlicochalcone AやB (2)は3mg/mLでそれぞれ90%、75%の抑制効果があるので分子量の大きさを考慮すればほぼBHTに匹敵する活性を有することが明かになった。licochalcone AやBは新疆甘草の主成分で含量も高い(それぞれ0.4%、0.2%ほどである)ので、食品劣化を防ぐ目的で使用する場合、十分に実用域に達していると思われる。
b)diphenyl-p-picrylhydrazyl(DPPH)を用いたフリーラジカル捕捉活性について
DPPHは安定なフリーラジカルであるのでラジカル捕捉活性試験の基質としてよく用いられるが、licochalcone BとDにはとりわけ強い活性が認められ、3mg/mLでも80%以上のDPPHラジカルの除去効果を示した(Fig.2)。licochalcone Aでも10mg/mLで約40%のラジカルの除去活性を示し、新疆甘草において非配糖体画分の主要成分を占めるレトロカルコンのラジカル捕捉作用の強さは非常に強力であることが明かになった。
c)xanthine oxidaseにより生成されたSO2-の捕捉作用試験
生体内における脂質の過酸化は種々の酸化酵素系で生じるラジカル分子種がイニシエーターとなって起きる。xanthine oxidaseもかかる酵素系の一つでスーパーオキサイドアニオン(SO2-)を生成するが、licochalcone BとDには低濃度でも強いSO2-除去活性が認められ、licochalcone AとCにも30mg/mLの濃度では60%以上の除去効果を示した(Fig.3)。本法は被験物質による酵素への直接作用もあり得るので、これが真のSO2-除去かどうかは他の方法と併せて評価する必要がある。本研究においてはミクロソーム系により生成されたSO2-の捕捉作用試験も行い、これは次の項に示す。
d)ラット肝ミクロソーム系により生成されたSO2-の捕捉作用について
肝ミクロソーム画分にはcytochrome P-450、cytochrome P-450 reductaseによる電子伝達系が存在し、ここでもSO2-が発生する。Fig.4にその結果を示すが、licochalcone Bには30mg/mlの濃度で約70%のSO2-の除去作用を示した。licochalcone Dにも活性が認められたが、licochalcone A、C及びechinatin (5)には認められなかった。
e)ラット肝ミトコンドリアを用いた抗脂質過酸化作用について
ミトコンドリアにはエネルギー生成のために電子伝達系が発達しており、その呼吸鎖の2ケ所で電子のリークがあり、これが酸素と反応してSO2-や過酸化水素を発生し、それから派生するヒドロキシラジカルがイニシエーターとなって脂質の過酸化が起きやすくなっている。本試験においては電子伝達系を遮断してADP-Fe3+でNADHの酸化に伴って起きる脂質過酸化を測定している。ミトコンドリアにおける過酸化脂質はFig.5に示すように各レトロカルコンにより極めて効率よく抑制された。ここでは参考のために通常のカルコン類も試験に供したが、これもかなり強い抑制効果を示した。
f)ラット肝ミクロソームを用いた抗脂質過酸化作用について
前述したように肝ミクロソーム画分に存在する電子伝達系からは、SO2-のほか過酸化水素など各種活性酸素が常時発生するので、やはり脂質の過酸化が起きやすい。また、四塩化炭素による肝障害や種々の薬物代謝プロセスでも過酸化脂質の生成が亢進する。Fig. 6に結果を示すが、licochalcone BとDには3mg/mLでほぼ100%の脂質過酸化抑制作用が認められ、licochalcone Aでも10mg/mLで90%以上の高い抑制効果を示した。
g)赤血球膜の保護作用について
細胞レベルでの抗酸化作用を検討する目的で、健康なヒト血液より調製した赤血球の溶血保護作用について調べた。赤血球は酸素分圧が高く、酸化反応の触媒である鉄が豊富なこともあって一旦正常な代謝が乱れると活性酸素が生じやすいので、不飽和脂肪酸の多い赤血球膜は過酸化を受けやすくその結果として溶血にいたる。実際、ラジカルイニシエーターであるAAPHを加えて赤血球を5時間インキュベートすると90%以上の赤血球が溶血する。Fig.7に示すように、予めlicochalcone BやDを添加しておくと30mg/mLでは溶血を60~70%阻止することがわかった。したがって、レトロカルコンは細胞レベルでの脂質過酸化を抑制することが明かとなった。
新疆甘草はレトロカルコンと称されるA環の2位にケトンとキレートする水酸基をもたぬ特殊なカルコンが主成分であり、フラボン、イソフラボン、ジベンゾイルメタンなどは微量成分にすぎない。本研究においては抗菌、抗酸化作用ともにレトロカルコン類の活性の強さが目立った。一般に、カルコンは広義のフラボノイドに属するフェノール性化合物であり、自然界には色素として存在するが、フラボンやフラボノールなどが抗酸化作用を含めて多様な生物活性が知られ注目を集めているのに対し、カルコンの生物活性についてはごく限られた報告しかない。したがって、カルコンの強い生物活性を明かにし、その応用の可能性に言及した本研究の意義は大きいと思われる。ここでは、新疆甘草の主成分たるレトロカルコンの抗菌作用、抗酸化作用について考察を加えることとする。
レトロカルコンはとりわけグラム陽性菌に対して強い抗菌性を示したが、その中でlicochalcone A、次いでCが最も強く、同じ基本骨格を有するechinatinはごく弱い活性を示すにすぎない。これは被験物質の膜透過性が抗菌活性に対して決定的要因となっていることを示唆する。何故ならば、A、Cともにプレニル基をもち、これにより親油性が著しく増加すると思われるからである。Dも同様のプレニル基をもつにもかかわらず、抗菌性が弱いのはプレニル基の結合する位置の違いによるであろう。Dではカテコールが存在し親水性の高いB環ではなく、A環にプレニル基がついているので親油性はあまり高くならないからであろう。プレニル基はメバロン酸起源であり、これを有するフェノール性天然有機化合物は数多く、12)この存在がフェノール性二次代謝物の構造を著しく多様化している。しかし、プレニル基の生物活性に対する影響という観点からはほとんど言及されておらず、以上の議論はプレニル基の存在の重要性を示唆する点でも意義深いといえよう。かかる経緯から当研究者らはレトロカルコンの抗菌作用メカニズムを明かにしようと試みた。まず、DNA、RNAや蛋白生合成に対するlicochalcone Aの効果も調べてみたが、放射性物質で標識したチミジン、ウラシル、ロイシンの取り込みが抑制されることが明かとなり、licochalcone Aはantimycinなどの抗生物質のようにエネルギー代謝を阻害することが予想された。そこで各菌の呼吸系に対する影響を調べたところ、licochalcone Aが強い活性を示す菌に対しては酸素消費量が抑制されたのに対して、感受性のない菌では変化がないことがわかり、呼吸系が作用点であることが明かになった。菌の生体膜におけるNADH酸化やNADH-cytochrome c reductaseはlicochalcone Aで阻害されるのに対し、cytochrome c、NADH-CoQ reductase、NADH-FMN oxidoreductaseでは効果がなかった。この結果からlicochalcone Aの作用点は菌の呼吸鎖電子伝達系においてCoQとcytochrome cの間であると推定された。以上は本研究の趣旨からは派生的なことであるので、考察の中でのみ言及し、研究方法では記述しなかった。
次に抗酸化作用について考察する。特に脂質過酸化は複雑なプロセスであり、過酸化の度合はイニシエーションメカニズムに依存し、酵素的あるいは非酵素的メカニズムのいずれかである。一般に抗酸化剤といわれるものはフリーラジカルの捕捉、触媒金属イオンに対するキレート化など単純なあるいは複合メカニズムにより過酸化過程に影響を及ぼす一群の物質である。鉄イオン依存の脂質過酸化は当然のことながらこれをキレート化する基質により阻害を受け、オルトジヒドロキシ基やケトンとキレートする水酸基を有する化合物などの抗酸化活性は主にこのメカニズムによる。13)特に、ミトコンドリアにおける脂質過酸化は鉄イオンにより誘起されているので、この系におけるlicochalcone B、D、isoliquiririgeninの強い活性の一部ははこのメカニズムに基づくと考えられる。しかし、licochalcone A、C、echinatinには鉄イオンをキレートするような官能基は存在しないので別のメカニズムを考えねばならない。フリーの水酸基を有するフェノール性化合物は水酸基水素の供与で容易に生ずるフェノキシラジカルが酸素ラジカルと反応し失活させるので多少なりともラジカル捕捉活性を示す。一般に、フェノキシラジカルは共役系における非局在化により安定化する。カルコンは長い共役系をもち、特にB環に電子供与基をもつ場合にはより長くなる。licochalcone A、C、echinatinはキレート性水酸基はないにもかかわらず強い抗酸化活性を示すのは、B環の2位にメトキシ基によりフェノキシラジカルの安定化によるものであろう。カテコールは一般に酸化に鋭敏であるが、とりわけフリーラジカルによる酸化には非常に鋭敏である。これはカテコール水素の供与により比較的安定なオルトセミキノンラジカルが生成するからだとされる。上述したように、カテコールは脂質過酸化の必須コファクターである二価鉄をトラップする能力があり過酸化過程を撹乱するが、むしろlicochalcone B、Dの強力な過酸化脂質生成抑制作用は生成したオルトセミキノンラジカルの強力な活性酸素失活能によるものであろう。フェノール化合物による非酵素的脂質過酸化の阻害はこのようなカテコール部分構造が存在することが多い。13)licochalcone B、Dの場合ではB環にオルトジヒドロキシ基が存在し、この官能基の存在によりそれを含まぬレトロカルコン(echinatin)と比べて一桁高い抗酸化作用を示している。これにはオルトジヒドロキシ基のオルト位に強い電子供与性のメトキシ基が存在するのでオルトセミキノンラジカルを更に安定化し抗酸化活性を更に高めるのに貢献していると考えられる。
天然に存在する強力な抗脂質過酸化物質としてしばしばポリヒドロキシフラボノイドやタンニンが言及されるが、hydrophilicityが高く生体膜を透過して組織内でいくつかの病気の原因となるフリーラジカルを不活性化するのは困難と思われ、潜在的な予防治療薬としての効果は疑問であろう。本研究において試験したレトロカルコン類はこれらよりはるかにhydrophobicityが高く、とりわけlicochalcone A、C、Dはプレニル基があり生体膜に対する親和性が一層増大していると考えられ、この点において今までに報告されている天然抗酸化剤よりも優れているといえよう。このことは抗菌活性についても同様の構造活性相関に言及した。
新疆甘草の主成分であるレトロカルコンにおいては、近年、他研究者により様々な生物活性が報告されている。奥田らはlicochalcone A、Bには抗HIV作用、ヒト多形核好中球におけるleucotriene合成阻害作用、xanthine oxidase阻害作用を認めており、14)また当研究者の恩師である柴田らはlicochalcone Aについて抗炎症作用、抗腫瘍プロモーション作用を報告している。15)特に、licochalcone Aの抗発癌作用については当研究者による強力な抗酸化作用との関連が注目されるところである。そのほか、デンマークのKharazmiらはlicochalcone Aがライシュマニア原虫およびマラリア原虫の増殖を抑制することを報告した。16)1990年度のWHO報告によれば全世界で3億5千万人がライシュマニア感染の危険にさらされており、またマラリアでは年間2億7千万人が羅患し、うち100万から200万人が死亡しているとしている。現在、用いられる抗ライシュマニア、マラリア剤は副作用が強く、また原虫の耐性が重要な問題となりつつあり、かかる研究は世界的視野でみれば極めて重要かつ興味あることである。ここでもレトロカルコンが歴史的に生薬として使用実績のある甘草(G. inflataの根)の成分であることが注目の的となっており、高含量であるのも部分精製エキスを治療予防薬として利用する点で利点とされている。食品、汎用生薬は癌などの病気予防物質の主要な研究対象であるのは世界共通の認識であることをここに再度強調しておきたい。