筆者は2004年9月、このページのタイトルにあるシンポジウムに参加した。このシンポジウムの名前からどんな学術発表がなされているかわかる一般人はおそらく皆無であろう。たとえいかめしい学問分野であっても、その名前がついていれば専門分野以外の人でもある程度想像がつくものである。フローラマレシアナシンポジウム(Flora Malesiana Symposium)は特定の学問分野の名称を冠しておらず、部外者からはその内容がわかりにくい極めて稀なシンポジウムである。まず、その名称の由来と歴史について説明しよう。
フローラとは古代ローマの「花と豊穣と春の女神」であり、その心地よい響きと相俟ってしばしば欧米女性の名前に使われる。また、フローラ○○などのように花屋さんの屋号としてもよく使われる。この場合はFloraであって大文字から始まるのであるが、floraとなれば「植物相(一定の地域の全植物の種類)」あるいは「植物誌(一定の地域の植物相を系統的に記述したもの)」という植物学領域の専門語としての意味をもつ。フローラマレシアナとは「マレシアという地域の植物相」あるいは「マレシア植物誌」という意味である。マレシア(Malesia)はしばしば国名のマレーシア(Malaysia)と混同されるが、植物地理学(Phytogeography)上の呼称であり、右上図に示す地域、すなわちマレー半島からインドネシア群島、フィリピン群島を経てニューギニア島に至るまで、マレー群島区系という植物区系に属する地域を指す。植物区系とは系統的に近縁の植物群を基にして世界を区分けしたもの(植物区系図参照)である。因みにわが国は日華区系に属し、ヒマラヤから中国華中、朝鮮半島を経て南西諸島を除く日本列島全土がこの区系に含まれる。国名のマレーシアはしばしばマレシアとも呼ばれるので、とりわけ一般人は両者を区別できず、フローラマレシアナシンポジウムをマレーシア国の園芸関係のシンポジウムと勘違いするかもしれない。マレシアはほぼ全地域が熱帯雨林帯に属し、4万種以上の高等植物が分布するといわれる世界でも有数の生物多様性の豊かな地域である。1980年代に同地域の植物誌「Flora Malesiana」の編纂プロジェクトが国際フローラマレシアナ財団の援助の下でオランダのライデン大学が中心となって発足したが、その途上で得られた成果の発表の機会を研究者に提供するためのフォーラムとしてフローラマレシアナシンポジウムが設立され、第1回は、1989年ライデンで行われた。以降、3年ごとに開催され、第2回はインドネシアのジョグジャカルタ(1992年)、第3回はイギリスのキュー(1995年)、第4回はマレーシアのクアラルンプール(1998年)、第5回はシドニー(2001年)、そして2004年9月フィリピンロスバニョスで行われたシンポジウムは第6回目になる。本シンポジウムはマレシア域内国と域外のフローラマレシアナプロジェクトに協力する先進諸国とで交互に開催されるので、次に同地域で開かれるのは2010年になる。
以上、フローラマレシアナシンポジウムの歴史について説明したが、第6回シンポジウムは2004年9月20日~24日にフィリピン大学ロスバニョス校(UPLB)で行われた。欧州、米国、日本、オーストラリアほか東南アジア諸国から約130名ほどの参加者を集めたが、この数は前回のシドニーとほぼ同じという。本シンポジウムに先立って各参加登録者宛に電子メールで空港への到着時間と航空便の問い合わせがあったが、当日、空港に関係者がちゃんと出迎えてくれた。マニラからロスバニョスまで70kmほどあり、高速道路を利用すれば車で1時間あれば到着する。タクシーでは2000ペソ(約4000円)が適正な相場だが、外国人にはこの数倍は吹っかけるというのがここフィリピンである。筆者はフィリピンには何度も渡航しているのでタクシーを拾うのに慣れているが、そうでないものにとってはフィリピンは決して安全なところではない。大都会マニラからロスバニョスという田舎町に行く場合、知らず知らずのうちに人気のない土地へ連れ込まれて身ぐるみはがされる事件も少なくない。組織委員会が参加者に送迎の車を用意したのもそういう理由からであろう。ロスバニョスにはタクシーはないので帰りのトランスポテーションも組織委員会が用意してくれたことを付記する。
通常の国際学会と同様にレジストレーションの後は名札を付けるのであるが、本シンポジウムの特色として名札にはファーストネームあるいはニックネームが大きく表示されている。ニックネームの場合、人によっては本名とは大きくかけはなれていることがあり、後で参加者名簿と照合するとき不都合を感じることもしばしばあった。参加者数が少ないので顔を覚えておけばよいということであろうか。筆者も含めて参加者の大半はキャンパス内の宿泊施設に滞在したのであるが、会場となった林学天然資源学部(College of Forestry and Natural Resources)のTraining Center for Tropical Resources and Ecosystem Sustainability (TREESと略称;右上写真)へは徒歩では遠すぎることもあって、参加者は組織委員会が用意したシャトルバンで通うという形をとった。また、朝食なども各宿泊施設では提供されないので早朝(7時)シャトルバンで送り迎えされる有様であった。UPLBのキャンパスは日本では考えられないほどの広大な面積があり、しかも熱帯雨林の中に各学部校舎がちらばって存在するような感じがする。その総面積が幾ばくか日本人なら誰しも興味をもつところだが、UPLB関係者の誰一人知らず、そんなことは一度も考えたことはないというふうだった。おそらく1,000ヘクタールはあるのではなかろうか。因みに学生はそんな広大なキャンパス内をバイクかロスバニョス市内とキャンパス内を循環するジープニーに乗って移動する。前述したように、キャンパス内の宿泊施設は食事を提供しないのであるが、毎夕、キャンパス内の場所をかえて行われるカクテルパーティー(UPLB、国際植物分類学会などスポンサーの提供であるが)が夕食代わりであった。コンパクトなシンポジウムということもあるが、毎日宴会があるというのは珍しいのではなかろうか。そのほか、特筆すべきことはパーティー会場にカラオケがあって参加者それぞれ楽しんでいたことだった(左写真参照)。組織委員会委員長であるE. S. フェルナンド博士が大のカラオケ好きということで用意されたようだ(もっとも興に入っていたのは組織委員長であった!)。また、ある日には組織委員会メンバーの私邸でホームパーティーが催されたこともあった。右下の写真はそのひとこまである。プール付きのびっくりする程の大邸宅で、参加者の中には水着に着替えて泳いだものもいた。このホームパーティーはキャンパス外のロスバニョス市内の高級住宅地で行われたのであるが、貧富の差の少ないわが国とはかなり異なる事情に複雑な思いがしたものである。普通の学会でいうバンケットは21日にNational Arts Center (NAC)で行われた。NACはキャンパス内にあるというがシンポジウム会場からシャトルで熱帯雨林の中の道を20分ほど登った丘の上にあり、眼下にフィリピン最大の湖であるバエ湖、ロスバニョス市街地をのぞむ眺望がすばらしいかった。雨期というのに当日は天候もよく夕焼けも見られた。バンケットではUPLB学生による歌唱ショーやバンブーダンス等のアトラクションもたっぷり用意され、ここが人里から隔絶されたところとはとても思えないほど華やかであった(下の写真参照)。
さて、シンポジウムの内容についてであるが、当然のことながらマレシア地区の植物に何らかの関連のある学術発表から成り立っている。トピックス別に植物系統分類学、隠花植物、民族植物学、植物相・植物地理学、分子系統分類学、植物保護、バイオインフォーマティクスの7つのセッションに分かれ、植物の分類、生態、分布、保護等について口頭およびポスターによる発表が行われた。口頭発表の後にショウガ科など植物科別のワークショップセッションも行われたが、筆者の興味であるミカン科はなく、もともと植物分類が専門ではないのでミカン科以外は議論にも参加できないと考え参加しなかった。しかし、後になってトウダイグサ科Sauropus(アマメシバ)属(わが国で健康被害を起こしたアマメシバやその類縁植物)が議題となったことを知り後悔した。発表は口頭発表とポスター発表の2形式が用意され、ポスターセッションはTREESから徒歩圏内にある別の会場でシンポジウム期間を通して常時掲示され、昼食後の休憩時間を利用して質疑応答をする形式であった(左写真上参照)。全体の感想としてポスターの質疑応答時間は短すぎる(実質30分程度)気がした。因みに筆者はポスター発表であったが、全演題の中で唯一のケミストリーに関連する(化学系統分類学)ということもあって、とりわけ大学院生や若手の研究者の興味を引いたようであった(左写真下参照)。口頭発表の方は20分で、関連する4~5つの発表の後に演者が演台に集合し、オープンフォーラムとして20~30分間の質疑応答を行うという形式であった。質問者からの指名で演者が質問に答えるのであるが、すべてファーストネームで呼ぶなど、こじんまりとしたシンポジウムならではのよさというものが感じられた(右写真参照)。発表形式は全てPower Pointを用いて作成したスライドを液晶プロジェクターで投影し、演者自身が操作するというものであった。プレゼンテーションファイルは予めノートパソコンにインストールされており、参加者は事前にファイルを書き込んだCD-ROMを送っていたようだ。プレゼンテーションのほとんどはPower Pointのアニメーション効果を利用しており、中にはどのようにして作成したのかと思われるほど凝ったものもあった。現在ではそれが世界の標準であろうが、薬学会などわが国のほとんどの学会ではポスター発表が主流と思われるが、Power Pointなどのプレゼンテーションソフトを自由自在に操ってプレゼンテーションを行うというのは若い研究者も含めて慣れていないのではなかろうか。
本シンポジウムの開催中、22日は全日ミッドシンポジウムツアーに当てられた。Mt. Makiling演習林(UPLBの付属施設)における植物採集ツアー、フィリピン国立博物館標本館ツアー、ラグナ・ケソン州カルチャーツアーの3つのコースが用意されていたが、このうち観光ツアーの色彩の濃いラグナ・ケソンツアーは参加者が少なくキャンセルされた。筆者はMt. Makiling演習林ツアーに参加した。Mt. Makilingは標高1090mの独立峰であり、全山が鬱蒼とした熱帯雨林に覆われている。1933年、フィリピン初の国立公園に指定されたのであるが、1963年にUPLBの演習林に移管されたというちょっと変わった運命をたどった山である。自然破壊の著しいルソン島にあって自然林が残された数少ない地域の一つとして名高く、また当地をタイプローカリティ(植物種記載の基準とする標本の採集地)とする植物種の多いことで知られている。事前に参加登録した参加者はTREESに集合し、そこで弁当、水、おやつ等の入った袋を配られた。当日、参加者の大半はTREESの食堂での朝食を期待していたのだが、配られた袋に入っていたスナックが朝食の代わりだったようだ。このことは事前に知らされていなかったので、多くは戸惑いを隠さなかった。やむおえずスナックを食べながらジープニーに乗り込んで標高400mの地点(右写真)までのがたがたの山道をジープニーで揺られながら到達した。ここで、山に登らず中腹の山林を探索するグループ、山に登って雲霧帯まで探索するグループ、雲霧帯を経て山頂を目指すグループの3つに分かれた。さすがに植物分類・生態学の関連シンポジウムだけあってフィールドに慣れた参加者が多いこともあり、筆者を含めて大半は山頂コースを選択した。このコースでは雲霧帯に入るとトレールが湿って滑りやすく、山頂周辺はかなり険しい急な登りであった。一般的には急峻なトレールを歩いて標高差約700mを往復するコースは健脚向きといえるだろう。中には70歳を越える参加者も参加し頂上まで難なく登頂しており、この専門分野の水準では初級コースといった感じであった。比較的標高の低い熱帯の山にもかかわらず、暑さはほとんど苦にならなかった。流れ出る汗をタオルで拭き取りながらの登山を覚悟していたのだが、快適だったのは意外だった。このコースは一般の登山客にも開放しているが入山料を払わねばならない。猛獣はいないのでヤマヒルさえ気をつければ熱帯の割には快適なトレッキングが楽しめるといえるだろう。このコースのトレッキングの詳細はスライドショー形式で別ページに示す。
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