近代科学が成立する約200年前までは「くすり」といえば、全て動植物などの天然物の全体あるいはその一部分を生品のまま、または乾燥し、時にはそれに抽出、蒸留などの操作を加えただけの文字通りの「生薬」であった。「生薬」という言葉はもともと英語でいう”crude drug”、つまり、”成分的に未精製の薬物”を意味する訳語である。したがって、植物精油、脂肪油など、動植物が生成する細胞内容物といわれるものも”crude drug”、すなわち「生薬」である。人類が初めて「生薬」の中から有効成分を純粋な形で分離し、天然物から離れた形で利用することができるようになったのは近代科学の成立してからであった。アヘンの鎮痛成分であるモルフィネ(Morphine)が結晶として単離されたのは1806年ドイツの薬剤師Serturnerによってであるが、20世紀に入ると、天然物から成分を単離精製し、その化学構造を明らかにする学問の一体系天然物化学が成立し、次々と重要な成分の構造が決定された。また、天然成分の構造決定の過程で多くの興味ある有機化学反応が見い出され、有機合成化学の進歩に寄与したのである。今日では治療薬として用いられる医薬の多くは合成医薬であるが、そのほとんどは天然から抽出された薬効成分を化学的に修飾、あるいは新たにドラッグデザインにより創出したものである。合成薬品のモデルとして使われたものを先導化合物(英語ではlead compound またはchemical leadという)と称する。ここでは先導化合物から医薬品の創製の実例を挙げる。
前述したように、現在使われている医薬は生薬の有効成分をそのまま、あるいはそれを先導化合物として化学的に修飾を加えたり、合成して創出したものが多い。こうしたことをふまえれば今日の医薬は文明の発生以来数千年にわたる人類の英知の歴史的遺産(世界各地に残る伝統医学で用いられる生薬類)の上に成立したものといえるだろう。近代科学といえどもそのような膨大な財産を築くのは容易ではないはずであり、現代は次世代のために新たな財産を形成すべく地道な努力を要求される過度期にあるといってよいだろう。
さて、新しい医薬の創出は新しい先導化合物を見い出すことと同義といってよいことはいままで述べてきたことから容易に理解されるであろう。薬物としてのポテンシャルを有するものはただ天然物から抽出すれば得られるというものではない。天然から医薬品素材を探索する(このプロセスをバイオプロスペクティングという)のは単純ではないが、一定のプロトコールに従えば達成は可能である。下の図にそのスキームを示す。まず、特定の薬効を想定し、適応する薬理活性に焦点をあてた検定法を確立しなければならない。次に、研究材料であるが、生薬を始めとして様々な天然資源が対象となるので事前にその確保にあたって地道な調査が必要である。こうして集めた材料について薬理検定法を指標としてスクリーニング(選抜)を行い、その対象とする薬理作用を有する材料を見い出してやっと研究(天然物化学)が始動する。これで活性物質が単離、構造決定できれば、それを先導化合物として前節に述べた過程を経て合成化学の技術を用いたドラッグデザインにより膨大な数の医薬品の卵が創製される。この中から、急性及び慢性毒性試験、遺伝毒性試験などの安全性試験をクリヤしたものが臨床治験に供され、一定の薬効評価が得られれば中央薬事審議会の認可を経てようやく医薬品として市場に出回るのである。また、医療分野でEBM
(Evidence Based Medicine)が浸透した最近では、薬効のメカニズムの詳細な検討が平行して行われる。以上述べたようなプロセスを経て医薬品が創製されるのだが、最近では一つの医薬品を開発するのに数百億円以上の経費を要するといわれ、典型的なハイリスクハイリターンの商品といってよい。近年、開発リスクを分散するため、世界的規模で製薬会社の合従連衡による巨大化が進んでいる。