バイオプロスペクティング(bioprospecting)とは生物資源の中から有用な遺伝資源(→遺伝資源とは何か?を参照)を発掘することをいう。バイオプロスペクティングは通常の辞書には収録されていない新しい言葉であり、生物学あるいは生物一般を意味するバイオ(bio-)と鉱物資源の試掘を意味するプロスペクティング(prospecting)との造語である。その名の由来の通り、バイオプロスペクティングと鉱物資源の試掘には共通点がある。ここではバイオプロスペクティングの目的を天然資源の中から新薬シードを探索することと想定し説明するが、両者の共通性を対比すれば下の表のようになろう。
鉱物資源試掘 | バイオプロスペクティング |
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地質学的知見 | 生物相的知見 |
↓ | ↓ |
鉱区を設定 | 探索区域(生態系)を設定 |
↓ | ↓ |
鉱石の試掘 | 生物資源を採取 |
↓ | ↓ |
品位評価など | 生物活性評価 |
バイオプロスペクティングは地球上に生育する全ての生物、すなわち生物多様性(biodiversity)を対象としている。少なく見積もっても数百万種以上といわれる生物種の中から特定の目的のための有用遺伝資源を探し当てることは想像以上に困難な事業であり、その遂行には学際領域の広範な集約的知識が必要である。したがって、バイオプロスペクティングは単なるプロセスではなく、「遺伝資源の探索システム」というべきであろう。探索対象を高等植物に絞り、その中から新薬シードを探索すると仮定した場合、少なくとも植物科学、有機科学、薬理学に関連する広範かつ高度な学際的知識が必要となる。植物相的知見に基づく試料の収集には、植物系統分類学、植物生態学の知識が必要である。採集した植物試料から目的とする先導化合物を探索するには、共存する多くの二次代謝成分の中から効率よく活性物質を選抜するバイオアッセイ(生物活性試験)法の開発、さらに大量の試料を対象として生物活性試験を高速に処理するシステム(high-throughput system)の構築が必須で、そのためには薬理学の知識が必須である。生物試料から薬理学的モニターを用いて活性物質を単離しその構造を解析することは天然物化学の領域であり、広範な有機科学の知識を必要とする。通常、ここまでがバイオプロスペクティングに含まれるプロセスであり、うまく機能するには各分野間の密接な連携が必要である。これより先はバイオプロスペクティングの領域外になるが、得られた活性物質をシードとし、急性及び慢性毒性、遺伝毒性を指標とした安全性試験との連携で適度な活性と安全性をもつ薬に育て上げるというリスクの高い事業が待ち受けている。この遂行には高度な有機合成化学の技術に裏打ちされたドラッグデザインの知識、技術が必要である。このプロセスも「バイオプロスペクター」にとっては自らの手にかかった事業が実際に結実するか否か無関心ではいられないものである。
以上述べた全ての知識を個人が持ち合わせることは不可能であるので、実際にはバイオプロスペクティングはそれぞれの領域の専門家による統合的共同作業として実践される。さらにこれら3領域の連携を円滑に進めるには情報科学の知識が必要である。膨大な試料を扱うので、データベースの構築などデジタル情報化はごく自然の成り行きであるが、これ以外にも重要な役割がある。これまでは鉱物資源の開発との類似性の観点からバイオプロスペクティングを論じてきたが、バイオプロスペクティングにおいて収集した生物試料は別のカテゴリーの薬の開発に利用できるので、鉱物資源とは異なり一種のライブラリーとして情報的価値をもつことになる。また派生的に集積された情報資料は薬の開発以外の様々な目的(例えば、食品や香粧品分野など)に転用することも期待できる。このためには外部のデータベースと連携させて有用情報の発掘も可能であり、さらに情報をインターネットなど様々な情報ネットワーク上に発信することで更に可能性を広げることもできる。
バイオプロスペクティングのファーストステップである資料収集は必ずしもフィールドとは限らない。世界各地には未だ伝承医薬を用いて治療を行っている地域が多く残されている。一部の地域では市場で生薬原料を入手することが可能である。しかし、科学的に未検索の天然資源はもはやそのような地域では入手できないのが現状である。したがって現時点でバイオプロスペクティングを遂行しようとすれば、フィールド以外には選択肢はなく、前節ではフィールドにおける試料の収集を前提に説明したのはそのためである(左はフィールドにおける試料の採集風景)。探索する生態系の区域が大きければ大きいほど対象とする生物種数が多くなるので、労働集約的プロセスである試料の採集に対する負担は指数関数的に大きくなる。この場合、何らかの方法で採集する試料を絞り込む必要に迫られるが、化学分類学、民族植物学などの知識の活用が有効である。例えば、新薬シードはアルカロイドなど限られた二次代謝産物に集中している(→植物起源医薬品を参照)ことが多いので、化学分類学の知識があればそれらを含む特定の分類群のみを選抜的に採集することができる。ただし、的確な種の同定を可能にするだけの高度な植物分類学的知識が前提条件となる。また、歴史的に薬用に供されてきた植物から多くの医薬品が創製された事実は、未検索の薬用資源、例えば世界各地の少数民族の伝統医学で用いられている薬用植物から高い確率でシード物質を探索できることを示唆し、この場合は民族植物学の活用が有効である。一般にある生物種に対して生物活性を示す物質は別の生物種に対しても何らかの作用を示すことが多い。この観点で生物間の生理作用を指標とした試料(例えば、特定生物種を誘引または忌避するものなど)の採集も有効であろう。
バイオプロスペクティングの遂行において採集試料の同定は必須と考えられがちだが、種の区別さえできれば(重複採集という効率の悪い採集を避けることができれば)よく、必ずしも必要ではない。バイオプロスペクティングでは探索対象は必ずしも未知種である必要はなく、ひたすら新種を求める植物分類学領域の専門家との間に関心の対象の大きなずれがある。一般に分類学者は人里の森のような人の手の入った生態系での調査は好まないが、バイオプロスペクターにとっては原生林よりある程度撹乱された生態系の方が都合がよいことが多い。適度の生態系の撹乱があるところに様々な植物種の侵入があり、むしろ多様性が高くなるからである(日本でも照葉樹林帯の里山の多様度は原植生に比べて2倍になるとの報告がある)。したがって、分類学者からの積極的な協力はあまり期待できないという前提でバイオプロスペクティングを遂行した方がよい。植物種の同定は植物分類学の専門家にとっても時間のかかる仕事であり、どうしてもプロジェクトの進行から大きく遅れることは避けられない。もう一つ植物の同定を困難にしているのは「植物誌」等の種の記載は必ずしも正しいとは限らず、種の誤同定もしばしば起きるということである。右写真は沖縄以南に分布するキョウチクトウ科ゴムカズラ(Urceola micrantha;沖縄県西表島にて撮影)であるが、花序は明らかに腋生にもかかわらず、文献では頂生と記載する(これは誤りである)ものがあり、同定するのに随分手間取ったことがある。これほどの形態的差がれば、通常は種を区別しなければならないからである。以上の理由で、未同定のまま生物活性評価に供することもごく普通に行われている。ただし、さく葉標本の作成は絶対に必要である。また、採集試料の生態および資源情報や写真など画像データの収集も行うのが好ましい。仮に試料の再採集の必要性が生じたとき、標本から試料生品をイメージしてフィールドで採集するのは困難だが、画像や付帯データがあればはるかに容易となる。一般に植物種の記載は花、果実、葉など各器官の形態に基づいて行われる(→種の記載)が、採集時期に必ずしも開花、結実しているとは限らない。とりわけ熱帯植物は花期が不定であり、標本を作製しても不完全なものにならざるを得ないことが多い(左写真では花はないが果実はついているので迅速な同定が可能である)。この場合には、その地域の住民の間で用いられている通称名や、それがなければその植物の特色を表わした名前をかってにつけるのも有効な方法である。種の同定は生物活性試験で活性を示した試料についてのみ行ってもよい。試料の採集において、なるべく部位別にわけて収集することが推奨される。特に高等植物では部位(葉、樹皮、樹心、果実、根など)によって成分相が異なることがあり、それだけ化学物質ライブラリーを豊かにすることができる。試料の乾燥などの処理はなるべく現地で行うのが好ましく、腐敗劣化は避けなければならない。微生物汚染で腐敗や発酵が起きて試料本来の成分相が撹乱される例は少なくない。ただし、腐敗や発酵で既存の二次代謝産物が別の物質に転換され、新たな生物活性物質を生み出した例がある(ムラサキウマゴヤシを参照)。