新しい医薬資源を求めて
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創薬のプロセス

(1).生薬、民間薬-先人の残した偉大な歴史的遺産-

 わが国ではほとんどの人が近代医学的診察をうけ、またそれに基づいた薬物療法をうけている。しかし、世界的にも近代医学が発達したのはここ一世紀にすぎず、それまでは薬といえば天然薬物(生薬)であった。近代医学の粋である外科手術も麻酔薬あってこそ成立するのであり、それまではなかったのである。ところが南米のインカでは数百年前に既に高度な外科手術を行なったという痕跡が遺蹟に残されている。インカの故郷であるアンデス山地は麻酔薬原料として知られるコカノキ(Erythroxylum coca)の原産地であり、この薬物(生薬)の存在が近代文明の発生以前にこのような高度な医療を可能にしたことは注目に値する(文字をもたなかったインカ文明でこのような高度の知識の継承が可能であったか疑問視する見解もある)。わが国でも外来の麻酔薬を用いて200年ほど前に紀州の医者である華岡青洲により乳癌の外科手術が行われたとの記録が残されている(確実な資料に基づく世界史上最初の麻酔による外科手術)。世界の各地には有史以来それぞれの地域に産する天然物薬物を用いて疾病の治療をしてきた特有の体系的民族医学(folk medicine) が今日でも残されている。ここではおびただしい数の生薬が治療薬として使用されており医薬資源としても貴重であり、現在もなお精力的に研究が進められている。

(2).医薬資源としての未利用植物-熱帯降雨林帯の植物-

 表1には重要な治療薬の原料植物の起源地を示した。これを見ると、野菜、果実、穀類など今日の主要栽培植物の発生中心地(ロシアの農学者バビロフの業績による)と重複することがわかる(図1)。世界で体系化された主要な民族医学は全てこの中心地あるいはその周辺地に発達したのである。漢方医学の発生地中国、アユベ-ダ医学のインドは4大文明の発祥地であるとともに、世界有数の豊かな植物相(フロ-ラ;flora)に恵まれた地域でもあり、伝統医学が発達したのは納得できることである。しかし、この地球上で最も植物資源の豊富な(すなわち生物多様性biodiversityの豊かな)地域は熱帯雨林(tropical rain forest)である。先導化合物のソースである二次代謝物は各生物種に固有の存在であるので、生物多様性が豊かであればあるほど多様な二次代謝物が存在することになる。表2は世界の国別分布植物種数のランキングを示したものであるが、この17ケ国だけで全世界の3分の2以上の植物が分布するので、これらの諸国をmegabiodiversity countriesあるいはG17(政治経済大国クラブであるG7に喩えたものであろう)と称している。米国と中国などごく一部を除けばいずれもアジア、アフリカ、アメリカ大陸の熱帯雨林帯に存在する国々であり、面積の割に分布植物種数の多いのが特徴である。しかもこの地域は歴史的に体系的医療を発達させるほどの文明が育っていない未開地域であったからほとんどの植物種は未だ研究されていない処女地でもある。したがって、今日ではこれらの地域の植物が未来の潜在的医薬資源として注目を集めている。実際には先導化合物は植物資源の中に埋もれているので、膨大な生物資源の中から先導化合物を探索することはしばしば地下に眠る鉱物資源の発掘に比肩される。潜在的医薬資源のみならず、バイオテクノロジーに利用する有用生物資源の発掘することをバイオプロスペクティングという語彙で表現されているが、わが国におけるバイオプロスペクティングの重要性に関する認知度は欧米に比べると極めて低く、それがどういう意味なのかを理解する研究者もほとんどいない。

(3).民族植物学の効用

 前節でに述べたように、現在製薬企業は新薬資源として再び伝承医薬や高等植物資源に注目し始めている。生薬あるいは植物起源の医薬品はすこぶる多いのであるが、製薬企業の多くは1970年代になると高等植物成分から微生物の代謝物に研究の重点をシフトし始めた。その理由として高等植物は採集や成分の分離精製上のコストが高いこと、それとは対照的に土壌菌などの微生物は採集や培養が容易であり、その代謝産物(抗生物質)が強い生物活性をもつことのほか、合成化学や分子生物学の進歩により旧来の植物成分をリードとした新薬創製の新しい技術が発達してきたことなどがある。では、何故また振り子は伝承薬や高等植物に戻ってきたのであろうか。一つには副作用の強さ及び耐性菌の出現により抗生物質の有用性にかげりが見え始めたこと、またエイズ、マラリアなど新旧の感染症の蔓延がこれまで以上に新しい先導化合物を必要とするようになったからである。そのほか、1970年代から1980年代にかけて民族植物学者による新しい発見も背景にある。「民族植物学(ethnobotany)」とは、人々がどのように植物を利用しているかを調べる学問であるが、近年では民族植物学が新しい医薬資源の発掘をターゲットにするようになって高等植物の薬用資源としての潜在力の高さを証明してきたのである。地球上に高等植物は250,000種ほど存在するといわれているが、そのうち何らかの化学成分情報が知られているのはわずかである。過去に薬用植物から多くの医薬品が創製された(「植物起源医薬品」を参照)が、地球レベルでいえばほんの一握りの植物から生まれたのである。当然、残りの多くの植物から相応の医薬品が発見されることは十分に期待できる。残りの植物を対象にランダムに生物活性を指標として検索することも不可能ではないが、あまりに膨大すぎて高い効率は期待できない。そこで効率よく潜在的薬用資源を発掘(バイオプロスペクティング)するには一定の絞込みが必要となるが、方法論として三つある。第一は有用な成分の存在が知られている植物の系統分類学的近縁種を中心に採集することである。これは化学系統分類学の成果を応用したものであり、例えばケシ科植物は全てベンジルイソキノリンアルカロイドを含むので、ケシアルカロイドのような生物活性に富む成分の探索が期待できるのである。第二は生態学調査に基づいてある特定の動植物に対する作用分子を生産するものを採集する方法である。例えば、ある植物が昆虫による摂食を忌避している場合、何らかの生理活性物質が関与していることが予想され、その物質は人類に対しても生物活性が期待できる。第三は伝承薬に対する民族植物学情報に基づいて採集を行うものであり、現在では最も高い効率が期待できるとして注目されているものである。何故ならその絞込みの有力な指標が各民族による医薬(天然起源治療薬)としての歴史的使用に基づくものだからである。アメリカの医科大学で薬理学の定番教科書として名高いグッドマン・ギルマン著「薬理書-薬物治療の基礎と臨床(広川書店)」には、主要な収載薬物についてその歴史的由来が記載されている。それによれば、今日、強心薬として知られるジギタリスは1250年にイギリスで既に薬用としての記載があったといい、その心臓に対する作用についてはじめて言及したのはウィザーリングという医師で1785年とされている。この教科書では紹介されていないが、ウィザーリングが記載した最初の論文では、ジギタリスの有効性を知るきっかけとなったのはイングランドシュロップシャー州の老女(民間治療師)が医師でも治せなかった多くの病人を治すことのできた伝来の秘法が「ジギタリスの服用」であることを知り、それを信頼した結果であったと記されている(ノーマン・テーラー「世界を変えた薬用植物」;参考ページ。今日では、正規の医学教育を受けていない民間治療師の秘法は笑い話のネタにしかならないが、ウィザーリングがまじめに老女の秘法を研究しなかったら有効な強心薬の開発はずっと遅れたであろう。現在、地球上には多くの民族が様々な環境のもとで生活し、その地域にしかない植物を何らかの用途に利用している。前述したように植物の分布はきわめて不均等であり、「照葉樹林文化論」(中尾佐助ら)などで明らかにされているように植物相が文明の発展に多大の影響を与えてきたことは確かである。たとえ、未開発地域であってもそこに住む民族は流行病などの様々な試練を乗り越えるために膨大な知識を集積しているはずである。中世イギリスの片田舎の老女が伝来してきたのと同様の秘法を各民族がもっていても何ら不思議はない。とりわけ、熱帯地域は文明圏外にあったこともあって、そこに住む各民族は熱帯病などの蔓延する過酷な生活環境の中で自ら生存するしか術はなかったと予想され、また地球上で最も生物多様性が豊かであることも相俟って最も豊かな潜在的薬用資源の存在が期待されているのである。薬をゼロから創製することは科学技術が高度に発達した今日でも困難である。われわれが有効な治療薬の恩恵を享受できるのもわれわれの祖先の知恵の賜物でもある。知的所有権の概念が定着した現在では、重要な薬用情報の提供者に対しても相応の利益配分を行うべきだとの意見が大勢となりつつあるが、一方で「情報提供」は知的所有権の対象とはならないという意見もアメリカなど一部先進国には根強い。これに対して地球上で大半の植物資源を保有する熱帯圏に位置する途上国側では民族植物学研究などの資源調査に対する規制を強化しつつあり、将来の医薬需要をまかなうのに必要な先導化合物の不足を憂慮する声もある。また、近年の地球規模の急速な経済発展に伴って、熱帯雨林の大規模な開発で急速に消失しつつある。一方で、各民族の交流が活発になるとともに、天然起源薬物を利用して治療を行う固有の民族医学も風化しつつある。とりわけ、社会的規模の小さな少数民族社会では顕著であり、熱帯雨林が消え去るより前に植物に関する知識が消失する徴候のあるのは憂慮すべきことである。しかし、民族植物学は古めかしく非科学的だとする意見も薬学関係者の中で根強く、以上述べたことが如何に重要であるかは全てを失ってからでないと理解できないのかもしれない。