【解説】 欧州原産の多年草。根元および最下部の茎葉は、通例、開花時に萎れる。茎葉は8cm以下の有柄あるいは無柄、葉身は卵形〜広卵形、長さ5~15cm、幅3~8cmあり、羽状に7〜15裂して披針形状または線形状となり、無毛または小剛毛があり、基部は沿下して縁は全縁または粗い鋸歯状となる。花期6〜10月で、花序は散房状で、赤紫〜ピンクまたは白色の花を咲かせる。花冠は長さ4~6mmの漏斗形で5裂し、裂片は楕円形状、雄しべと花柱は花冠の外に突き出る(→花の拡大画像)。痩果は長さ4~5mmの狭卵形で両面が無毛または軟毛がある。根をワレリア根と称し、シーボルトがもたらした「十八道薬剤」のうち鎮痙剤(気持ちを安静にし,けいれんを和らげる薬)の一つとして紹介された。花は、通例、紅色がかったものが多いが、この画像のように白色もある。成分としてモノテルペン、セスキテルペンに富み、多くは精油として存在し独特の臭気がある。本邦産の同属種にカノコソウがあるが、薬用として優良と認定され、戦前は欧州に大量に輸出された。『薬物誌』では NARDOS、NARDOS KELTIKE、NARDOS OREINEの3品がスイカズラ(旧オミナエシ)科基原とされるが、それぞれの種の記載はきわめて貧弱で附図もないので、基原の比定は難しい。NARDOSはその中核となる薬物であり、ほか2種は、基原は異なるものの薬能が類似するものとされ、形容詞を付して区別した。ディオスコリデスはインド種とシリア種のNARDOSがあると記載する。今日、Indian Valerianとして知られているものはValeriana jatamansiであり、“Γαγγητικός” (Gangētikós)と呼ばれる“ガンジス”を付した名前があるというから、古代の欧州で珍重されていたのはインド種であったと推察される。ややこしいことに同じ種小名をもち、属名もまた“Nard”を冠する類縁植物にNardostachys jatamansi (英名:spikenard)がある。インド北部〜中国西部の山岳地帯に分布し、漢名を甘松香と称し、『開寶本草』(馬志)の中品として初めて収載された(『證類本草』巻第九「草部中品」所引)。本草書の記載はごく簡潔で宋代になって収載されたこと、インド人僧輸波迦羅訳『蘇悉地羯囉經 (Susiddhikāra Sūtra)』に多出するので(「SAT大正新脩大藏經テキストデータベース」(2018年版)」による)、もともとインドの仏教で使われていたのが隋〜唐代の中国に渡ったと思われる。種小名の“jatamansi”はIndian Valerianのサンスクリット名で、「行き詰まり」を意味する“जटा” (jaṭā)と「精神」を意味する“मनस्” (manas)の複合語で、“精神的に追い詰められた状態”という意であり、アユルヴェーダ医学で神経鎮静や不安緩解に使用されてきたことを反映する。ところがディオスコリデスは煎じて飲むと吐き気、胃病、鼓腸、肝臓病、黄疸、腎臓痛によく効き、煎液で温パックまたは腰浴すると外陰部の炎症を治すと記載するだけで、神経鎮静や不安緩解に関する効能にはまったく言及していない。ディオスコリデスはシリア種については多くを語らないが、シリア産ではなく、産地の山の一部がシリア方面に向いているだけだと断言しているので、古代の欧州においては2種の“jatamansi”をインド種、シリア種として混用していたと考えられる。したがって本種たるセイヨウカノコソウは後世になってインド種、シリア種の代用として選抜され、古代インド医学の知見を取り入れたと推測できる。第二のNARDOSたるKELTIKE (“Κελτικὴ”)は英語でいうCelticに相当するが、ディオスコリデスがLiguria、 Istriaに生育すると述べているように、今日のCeltの地理的認識とは大きく異なり、北部イタリア〜アドリア海北岸のイストラ半島に至る地域を指すことに留意する必要がある。Valeriana celticsは同属他種より比較的分布域が限られているので、通説にいうように、NARDOS KELTIKEの基原種としてよい。第三のOREINEは古代ギリシア語の“ὄρος” (óros)、その所有格の“ὄρεος” (óreos)によって類縁語と考えてよく、「山地の」という意となり、ディオスコリデスも“mountain nardus”と称している。これも基原種を比定するには情報があまりに限られるが、通説はV. tuberosumあるいはV. dioicaとしている。以上の2種はインド種などの輸入品に対する代用品として欧州産類縁植物から選抜したものだろう。属名の由来はカノコソウの項を参照。種小名はラテン語で“薬用にする”の意。
引用文献:References参照。