ゲッキツの形態的並びに化学系統分類学的研究
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薬学雑誌総説

1.序  論

 当教室主任木下武司は様々な生薬に関する基礎科学的研究に長年従事してきた。近年、わが国と地理的に近い東南アジアとの関わりがとりわけ深くなり、この地域への渡航も既に10回を超えている。この渡航で見聞したものの中でとりわけ印象が深かったのは、熱帯の豊かな生物多様性を背景とした多様な生薬類の存在であった。また、生薬類の積極的活用という最近の世界的趨勢もあって、各国で国策としてこれら多様な生薬の医療分野における積極的な活用を推進する方向にあるが、一方で東南アジア諸国の研究者との交流を通して各生薬の品質管理や規格化の問題に苦慮し、この点で日本薬局方に蓄積された豊富なノウハウをもつわが国の協力を求める声も聞いてきた。地理的及び歴史的に比較的近い東南アジアで繁用される生薬類の中には将来わが国でも利用されうるものが多くあると予想される。こうした状況から、東南アジア諸国の研究者たちと共同でこの地域の繁用生薬類に関して前述のコンセプトに基づいて基礎研究を行うことを着想するに至り、その中でミカン科ミカン亜科に属するゲッキツを主たる研究対象として選んだ。この理由としてゲッキツが奄美大島以南の南西諸島を含めてアジアの熱帯、亜熱帯に広く分布すること、形態的及び化学的変異が大きいにもかかわらず分類学的には一種にまとめられているため生薬として有効利用を図る上で障害となる基原上の深刻な問題があること、伝承療法における用法が各地各民族により多様であること(表1)、さらにフェノール性成分、アルカロイド、クマリンなど多様な二次代謝物を含み生物活性の観点からも興味あるからである。

2.ゲッキツの形態的的多様性について

 ゲッキツはアジアからオセアニアの熱帯、亜熱帯に広い地理学的分布をもつミカン科の低木~小高木である。果実はいわゆるミカン状果で種子は胚乳だけからなり、ミカン科の中ではミカン亜科(subfamily Aurantioideae)に分類されている。ミカン科植物の分類で著名なWalter T. Swingle表2に示したようにミカン亜科を2連6亜連33属203種38変種に分類した。ゲッキツ(Murraya)属はワンピ連(Tribe Clausenae)に分類され、ハナシンボウギ(Glycosmis)属、ワンピ(Clausena)属とともにワンピ亜連(Subtribe Clauseninae)に所属するとしている。表3にはゲッキツ属の分類と構成種を示したが、Swingleは11属4変種を認め大きく一つのグループにまとめている。一方、Swingleと並ぶミカン科植物分類の泰斗田中長三郎はゲッキツ属をオオバゲッキツ節(Sect Bergera)とゲッキツ節(Sect Murraya)に二分している。オオバゲッキツ節に属する各種はカルバゾールアルカロイドを含み、ゲッキツ節の各種はカルバゾールアルカロイドを全く含まずプレニルクマリンを含むという明確な植物化学的特徴がある。カルバゾールとプレニルインドールはともにトリプトファンを前駆体として生合成的に相関が推定されるので(相関図はこちらを参照)、化学分類学的見地から田中の分類は妥当と思われる。ゲッキツ節の各種はゲッキツとの形態的差異はいずれも軽微であり、Swingleは第三紀始新世にアジアから切り離されたオーストラリア大陸に分布するvar. ovatifoliolata (Engl.) Swingleが母種との形態的変異が相対的に小さいことに着目してゲッキツ属(この場合はゲッキツ節の各種)の形態分化の速度は遅いとしている。一方で、ゲッキツは形態学的にきわめて多様であることも事実であり、これまで明確な形態分類学的指標がなかったため、ゲッキツを一つの種としてまとめざるをえなかったのである。
 ところが、中国の黄成就は中国産のゲッキツの形態学的検討の結果、M. paniculata (L.) JackM. exotica L.(後述するが、沖縄産にはこの学名をあてる)の2種に分割し、その指標として小葉(倒卵形~倒披針形vs卵形~楕円形)と果実(卵形~楕円形vs長楕円形)の形態的差異を挙げている図1 M. exotica (1)、M. paniculata (2,3)のイラスト; 黄成就、「中国植物誌芸香科」(1986年)より引用)。また、台湾の属島である蘭嶼の特産変種とされたナガミゲッキツvar. omphalocarpa (Hayata) Swingle;帝京大学薬学部薬用植物園植栽 2000年2月;写真1)を認めずM. paniculataに統合した。ナガミゲッキツは田中により母種より区別されたもので、果実は大きく先細[未熟の場合はくちばし状(写真2)]、小葉は広く卵形としているが、黄はこの特徴をほとんど考慮していないようにみえる(少なくとも図1からこれらの特徴を読み取ることができない)。筆者はフィリピン国立博物館に所蔵されるゲッキツ標本を鑑別した結果、バターン、バブヤン諸島から採集されたものが田中の記述と完全に一致することを見出した写真3;左:バターン、右:バブヤン諸島産)。バターン、バブヤン諸島は蘭嶼とルソン島の間に位置するので植物地理学的にナガミゲッキツが分布しても不思議ではないが、フィリピンの他の地域から採集されたものの中にもよく似た形態的特徴が見られ、形態学的にナガミゲッキツとフィリピン産ゲッキツを区別するのは困難であると結論した。パラワン島におけるフィールド調査で採集されたゲッキツ写真4;パラワン島イラワン産、1996年3月)は以上述べたナガミゲッキツの形態的特徴がよく現れている。筆者はゲッキツをM. paniculataM. exoticaとに分割することでは黄の見解を支持するが、両者を識別する形態的指標については見解を異にする。著者は次のような形態的指標でM. paniculataM. exoticaを区別することを提唱する。

Murraya exotica L.ゲッキツ
 成長した複葉は5~9片の小葉からなり、小葉は倒卵形~倒披針形で長さは3~4cm以下、葉先は鈍頭、時に鋭頭となる。果実は球形~楕円形で、頂端部はわずかに尖るにすぎない。(参考:本邦南西諸島におけるゲッキツの分布図
Murraya paniculata (L.)Jackナガミゲッキツ
 成長した複葉は3~5片の小葉からなり、小葉は披針形~卵形で長さは5~9cm、時に10cm以上に及び、葉先は鋭尖頭ないし緩やかに長く尖る。果実は大きく長楕円形で頂端部先細となり、未熟果では著しくくちばし状となる。

 著者は平成10年8月にインドネシア東ヌサテンガラ州のティモール島とコモド島でフィールド調査を行う機会を得て、同所に産するゲッキツの変種(var. zollingeri)を採集した写真5;インドネシアコモド島、1998年8月、ツォリンガーゲッキツと新称す)。本変種も田中により命名されたものであるが、果実は球形で頂端に短い突起があって柔毛が密生し、小葉は小型で葉端は円頭に近く、葉縁は波打つように曲がるなどかなり形態的に異なっている。系統的にどのタイプのゲッキツと類縁があるのか興味あるところであるが、花、果実付きの完全標本があるので今後世界各地の標本館のゲッキツ標本との比較で検討していきたいと思っている。

3.ゲッキツの化学的多様性の解析

 これまでに著者は台湾本島図2、蘭嶼図3、フィリピンルソン島、インドネシアジャワ島図4産のゲッキツについて化学的検索のメスを入れ、クマリンやフラボノイドなど多くの成分を単離、構造決定した。これらの地域は植物地理学的には東南アジア区系とマレー群島区系の交錯地域にあたり図5、ゲッキツの種分化を考える上で重要な地域と考えられる(ゲッキツとその近縁種の分布図は図6を参照)。他研究者の結果も含めて検討した結果、プレニルクマリンを指標物質としたゲッキツの化学系統分類が可能であることがわかり図7、仮想的生合成前駆体として4つのクマリンを考え図8、これに基づいて各地産ゲッキツの成分相を解析した。その結果。琉球、台湾、南中国と蘭嶼以南では顕著な成分相の相違のあることが明らかとなった表4。これは東南アジア区系とマレー群島区系の境界とも一致する点で興味深い。従来のゲッキツの分類では蘭嶼の特産変種とされたナガミゲッキツ写真1var. omphalocarpaとフィリピン産ゲッキツ写真4が化学的にはほとんど相同であることも明らかとなり(フィリピン産ゲッキツ成分は図9を参照)、上述の形態分類学的検討の結果とも一致する。以上の結果はゲッキツをM. paniculataM. exoticaに分割する化学系統分類学的指標として支持するものである。平成10年8月にインドネシアティモール島及びコモド島におけるフィールド調査で採集したツォリンガーゲッキツ(var. zollingeri (Tanaka) Tanaka)について化学成分情報を解明し図10、本変種の系統類縁関係を明らかにしている。

)ゲッキツは、本研究の結果、Murraya paniculataM. exoticaとに分割するのが適当であることが明らかとなった。それぞれに和名を付けなければならないが、M. paniculataに対してナガミゲッキツの和名を提唱する。ナガミゲッキツはもともと田中長三郎が台湾蘭嶼産を特産変種として区別したものにあてたものであるが、同変種は無効とされたのでM. paniculataに対する和名として適当と思われる。M. exoticaにはゲッキツをあてるが、本文中ではやむおえず旧名を用いざるをえない場合もあり、必ずしもM. exoticaを指すわけではない。