サクラ、日の丸と君が代の悲劇
To Homepage(Uploaded 2006/9/24)
(関連ページ)日本人、日本文化と植物

 今はサクラに注目する人は誰もいないが、半年前がそうであったように、あと半年も待てばほとんど全ての日本人がその百花繚乱に興奮する。しかし、ごく一部の日本人にとってサクラは許せない存在らしく、日本文化におけるその文化的地位を執拗に貶めようとするようだ。今日、サクラといえば、ほとんどの場合、ソメイヨシノを指すが、それを韓国原産とする説があるらしい。これについては別ページ(ソメイヨシノの真の起源について)で扱うとして、受難はサクラだけでなく日の丸、君が代にもふりかかっている。この三つを”軍国主義の象徴”として徹底的に日本から排除しようとする勢力は今でも確実に存在するからである。九月二十一日、都立高校の卒業式で、国旗掲揚のときに起立せず国歌斉唱にも従わなかったとして、東京都教育委員会から処分を受けた教員たちの起こした訴訟で、原告の言い分を認め全面的無罪を言渡した。日の丸、君が代に対する原告らの行動はかってサクラが受けた文化的迫害と同質のものである。これがいかに非理性的な論理に基づくものであるか、まずサクラについて検証してみよう。
 別に法律で定められているわけではないが、サクラは日本の国花として広く定着している。最近は、サクラをモチーフとした若いアーティストたちのアルバムが目立つ。サクラといえば、純日本調のゆったりとした邦楽が定番のように思いがちだが、意外と現代の音楽とサクラがしっくり合い、これも立派なサクラ文化のうちといってよいだろう。サクラを英語でcherryとしばしば英訳するが、これは正しくない。cherryというのはサクランボをとるために栽培する果樹に対する名称であり、純粋に花だけを観賞する花卉のサクラとは根本的に異なる。但し、植物学的にはバラ科Prunus属に属するから全くの誤りというわけでもない。テストの採点では△に相当するだろうか。『平凡社百科事典』(電子版)のサクラの項目では「サクラと日本人」についてびっくりするようなことが記述されている(要約)。

  1. サクラは日本のみの原産ではなく、中国、インド、ミャンマーなどの山岳地帯にいくらでもあり、日本固有ではない
  2. 万葉集でウメが118首に対してサクラはわずか44首詠まれているにすぎず、日本人が昔からサクラに親しんでいたわけではない
  3. 近代以降の日本人は子供の自分からサクラに関する予備観念を植え付けられ、サクラは国花である、日本のみの原産であると思い込まされてきた

 この項目のライターは根本的な過ちを犯している。この世にサクラという名前の植物は存在しないことである。サクラは日本固有の呼び名であり、植物学的にはサクラ亜属に属し日本に野生する数種の総称である。確かに中国、インド、ミャンマーなどの山岳地帯にサクラの近縁種は自生するが、日本産種とは別種である。日本でサクラと呼ぶ野生種は、南西諸島のカンヒザクラ、本州、四国、九州のエドヒガン、ヤマザクラ、オオシマザクラ、北海道のオオヤマザクラの主要五種のほかはマメザクラ、カスミザクラなど数種にとどまり、意外にもこの中に日本固有種といえるものはない。しかし、サクラというのは野生種だけを指すのではなく、サトザクラという膨大な栽培品種群があり、その数は軽く二百種を越す。八王子市高尾にある森林科学園にはほとんどのサクラの品種群が植栽されており、三月末から一ヶ月にわたって花見を楽しむことができる。サトザクラは全て日本産野生種を改良して日本人によって創出されたもので、これこそ日本固有のものである。現在の日本でもっとも広く栽培されるソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンの雑種を起源とするもので、東京駒込の染井で発生したからその名がある。サクラは野生種のほかサトザクラも含めた総称と考えるべきであり、サクラとしての存在感はサトザクラが圧倒しているのであるから、サクラは日本固有といっても全く差し支えないのである。その点はイギリスの国花バラと対照的である。栽培種のバラは世界中の野生バラの遺伝子を交配して今日のバラの原型が作られた。その大半はイギリス人がつくったものだが、その由来からしてイギリス固有とはいえないのはいうまでもなかろう。
 奈良時代はウメ、平安以降はサクラという固定観念は今も根強いようだ。万葉集のウメが118、サクラの44でもってサクラがウメより圧倒的に軽く見られていたというのは必ずしも的を射たものではない。実は、万葉集でもっとも多く詠まれているのは138首のハギであってこれを伏せてはまともな議論はできない(→万葉の植物総論を参照)。ハギは典型的な人里植物で、森林を切り開いた後の原野によく出現するので都の郊外に住む下級官吏にはごく普通の植物のはずであり、花もそこそこに美しく、季節になれば結構目立つ。ウメは中国から渡来したもので、外来植物でもの珍しさもあって都のいたるところに植栽され、万葉歌人の多くを占めた貴族にとってはごく普通の存在であっただろう。また古代の都あるいはその周辺にしかで栽培されていなかったから、東歌や大和地方以外の地で詠まれた歌には全く出てこない。一方、サクラは山地に生えるものであり、ウメのように簡単に移植・栽培できるものでない。万葉集の花ランキングは、結局、詠み人の身近にある植物のランキングと考えるべきであって、サクラは万葉時代に決して低く見られていたわけではなく、その美しさは認知されていたものの栽培の難しさから都ではあまり見ることができなかったと解釈すべきだろう。断トツでランキング1位のハギを差し置いてウメを万葉の代表花とするのは正しくないこともいうまでもない。日本では、中国本草の影響を強く受け、中国にある類似植物の名をとって漢名とするのが普通であった。しかし、ハギやサクラのように中国文化圏でほとんど相手にされないものは、古い和名をそのまま用いている。サクラの漢名は櫻であるが、櫻桃オウトウから借用し、後に桜の国字が作られ、そのままサクラと訓読みした。強い中国文化崇拝の傾向は平安時代初期まで続いたが、次第に日本化されていった。いわゆる国風文化の台頭であるが、ハギやサクラは中国文化崇拝の最盛期でも親しまれていたことに留意する必要がある。古今集以降でサクラがウメを追い落として詩歌で詠まれる植物のランキングのトップに君臨するようになったのは、野生種から選抜して栽培する技術が発達し、美しいサクラが身近に見られるようになってからと思われ、当然の成り行きだったのだ。もともとウメがハギやサクラより重く見られていたとする方が誤っていたのである。
 日本人が子供の頃からサクラに関する予備観念を植え付けられ云々というのは反論するも億劫で、開いた口が塞がらないという言葉はこういう時に使うものだということがよくわかった。人間は予備観念を植え付けられるべく生を受けるのであって、こうして民族固有の各種の儀式・習俗や文化が継承されてきたわけで全く驚くにあたらない。日本人の血を引くものであっても、アメリカ人の家庭に引き取られて育てられれば、日本文化との接触がなく完全にアメリカ人化するだろう。逆に青い目をしていても日本の風土で日本人として育てられれば面立ちを除けば意識の上では全く日本人と区別できないはずだ。
 また、このライターは次のようにも言う。

明治国家のオピニオンリーダーが脱亜入欧政策の一環として新たに植え付けた「国花はサクラ」という考えのおかげで、いまだに大多数の日本人は、サクラを愛するに当たり、国花だからサクラを愛するといった心理的虚構に寄りかかったままである。(原文)

 これを真に受ける日本人はごく少ないと思うが、何を論拠にこのように結論するのか理解に苦しむ。平安時代、西行法師の「願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月の望月のころ」という歌でサクラの文学的地位は不動のものとなった。温帯の日本にあっては三月から四月にかけて約一週間程度の誤差で開花、また二週間ほどで花が散るサクラは気象に敏感な農業で生物時計として重要な存在であったはずだ。江戸時代、既にサクラは花見の対象となり、平安時代以降の絵画にはサクラを題材にしたものが多く登場する。サクラを描くのはウメよりはるかに難しいのだが、それだけサクラの地位が磐石のものであることを示唆する。また、「さくら さくら 弥生の空は見渡す限り 霞か雲か にほひぞいづる いざや いざや 見に行かん」という日本国民のほとんどが知っている「さくら」の童謡は江戸時代に既に謡われていたという。2004年の9月、フィリピンのロスバニオスで、Flora Malesiana Symposiumが開かれ、欧米やアジアの植物学者が参加したのであるが、歓迎レセプションにカラオケが用意されていたので、筆者はこの「さくら」を絶唱(?!)した。もちろん、歌う前に参列者に一定の説明をしたのだが、世界で特定の植物を歌にしたというのはほとんど例がないようであり、わずかにドイツの学者から「エーデルワイスの歌」があると聞いたぐらいだ。教養ある植物学者に聞いて回っても他にそういう例を聞いたことがないというから間違いないだろう。また、「わが国は草もサクラと呼びにけり」というのは江戸時代に園芸栽培が大流行したサクラソウのことを詠った俳句だが、サクラの存在の大きさを示唆するものである。このような確固たる文化的背景がありながら、なぜ「国花だからサクラを愛するといった心理的虚構」となるのか、どうやらこのライターの個人的な妄想に過ぎないらしい。
 サクラは散り際がよいとされ、戦前では軍国主義の精神的支柱にも利用されたのは確かである。軍歌にも「同期の桜」というのがあって、「貴様と俺とは同期の桜、(中略)、見事散りましょう 国のため」と歌われた。戦後では、一転して「軍国主義の象徴」として、日本中の公園からサクラが切り倒されたという。これも『平凡社百科事典』には、「植物文化史を通観しても、これほどまでに一つの国民が一つの植物を玩弄し冒涜した事例は他に見当たらない」と記述する。これも全くの誤りであり、確かに一部でそういう動きはあったことは事実であるが、全ての日本人がそういう行動をしたというのはまさに針小棒大の捏造的解釈というべきであって事実に反する。進駐軍が支配していたのであるから、一部の日本人が戦前の日本の全てが悪と勝手に解釈して、GHQにおもねろうとした結果に過ぎない。大多数の日本人はそこまでしなくてもと考えていたはずだ。戦中では、ジャズのような黒人音楽までを、別に法律で禁止されていたわけでもないのに、敵性音楽として排除すべきだと吹聴した輩がいたのと同じことであり、おそらくこういう輩が、戦後、全く逆の行動をとったのではないかと思われる。無論、サクラには全く罪はないわけで、一部の人間の勝手な解釈で長い歴史の間に構築されたサクラの文化的価値が変るわけでもない。このライターのように誤った考証でもってそれを貶めようというのは看過できないので、ここで筆をとった次第である。
 サクラとよく似た扱いをされるのが日の丸と君が代である。冒頭で述べたように。九月二十一日、信じられない判決が東京地裁で言渡された。都立高校の卒業式で、国旗掲揚のときに起立せず国歌斉唱にも従わなかったとして、東京都教育委員会から処分を受けた教員たちの起こした訴訟で、全面的に原告と言い分を認めたのである。卒業式といえば学校ではもっとも厳粛な儀式であり、日本に限らず多くの国で国旗掲揚や国家斉唱は当たり前のことである。判決理由に、日の丸と君が代が軍国主義の精神的支柱として利用され、いまだに誰もが素直に受け入れられるものにはなっていないとして、自らの思想や良心の自由に基づいて国旗掲揚、国歌斉唱を拒む自由を持っているとして、原告らの行動は正当化できるとあった。すなわち国旗掲揚に敬意を払う必要はなく国歌斉唱の義務もないということである。そもそもこの判決理由の根底が完全に間違っていて、サクラが軍国主義の濡れ衣を着せられたのと同じことである。日の丸と君が代が軍国主義の精神的支柱として利用されたことは事実だが、軍国主義の跋扈した第二次大戦や日中戦争よりずっと前に成立したものではなかったか。軍国主義の精神的支柱にしたのは軍国主義者であって、日の丸と君が代は決して軍国主義を背負って成立したものではない。だからこそ、大多数の良心ある日本国民は現在でもそれを抵抗なく受け入れているのではないか。サッカーのワールドカップの予選や本戦でも、サポーターは日の丸を振って応援した。オリンピックでも日本選手がメダルを勝ち取れば日の丸が掲揚され国家が演奏され、それに対して他国の観客も静粛に見守るのが礼儀とされる。これに関連してある事件を思い出す。長野で行われた冬季オリンピックでは日本選手が大活躍し、連日、日の丸が掲揚され君が代が演奏されたが、ある競技で国旗が掲揚されるとき、日本選手が脱帽しなかったことが新聞記事になった。外国のメディアが最初に指摘したと記憶している。しかしながら、現在の日本でその選手を誰が非難できようか。何しろ、公立学校の教員が堂々と日の丸、君が代を無視し、それどころか日の丸に×印をつけたTシャツを着てサンダルで卒業式に参列する(九月二十二日朝日新聞朝刊社会面)のだから、こんな教員に教育された若者がまともな礼儀を持ち合わせるはずがないからだ。東京地裁の裁判官そして原告たちとその支持者は、自分の国の国旗と国歌(これは国花とは違って法律で決められている)をないがしろにするような人物が世界で全く相手にされないことを知っているのだろうか。そのような教員のもとで教育を受けた生徒が大人になって他国の国旗や国歌に対して無意識のうちに不敬をはたらくことは十分に考えられる。現実に長野五輪で日本のメダリストがその過ちを犯しているのである。外国でのトラブルを起こした場合、不測の事態が起きることは十分に予想の範囲内であり、そのときの責任は誰がとるのか。あくまで本人の個人的な責任として突っぱねるというだろうか。世界では国旗や国歌は日本以外では想像以上の重みをもつ存在であり、一定の敬意を払うのは当然と考えられている。教員はそれを教育の現場で反映させる義務を負う。国旗、国歌を否定するというのが思想の自由に反するというのなら、教育上の義務を放棄することになる。軍国主義思想に反対するというのなら十分に理解できるが、それを国旗や国歌に転嫁して否定するというのはおよそ分別をわきまえた大人のすることではないだろう。真の敵はそれを利用した軍国主義者であったはずで、日の丸や国歌に責任を負わせるというのは筋違いも甚だしい。また、日の丸と君が代が植民地支配の過程で強要されたから否定すべきだという論理もしばしば聞く。中国、韓国との間で靖国参拝問題、歴史認識でギクシャクした関係が続いているが、この両国を含めて世界のいずれの国および国民が日の丸と君が代を否定することがあっただろうか。せいぜい一部の国で嫌われているぐらいで否定するまでに至っていないはずだ。もし、この論理を正しいとするのなら、植民地支配のもとで強要された日本語をどうするのか。この論法では日本語も否定しなければならないことになってしまうが、日本人は何語を話せばよいのだろうか。軍国主義の残滓を消し去るのは結構だが、論理的かつ現実的な整合性をもってその線引きを行う必要があるが、少なくとも原告らの口からは納得できる議論を聞いたことがない。