万葉歌の植物:カシとその語源について
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 カシの木は、通例、樫の字が充てられるが、これは、材質が堅いことから作られた国字である。中国では櫧の字を使う。また、橿の字も使うが、もともとモチノキに充てられていたものである。モチノキも常緑樹で材が堅いので、しばしばカシと混同された。万葉集にはカシ、シラカシとして三首に詠われている。

1.静まりし 浦浪さわく 吾が背子が
  莫囂圓隣之 大相七兄爪謁氣 吾瀬子之
           い立たせりけむ 厳橿いつかしもと
               射立為兼   五可新何本

巻1の0009 額田王

 額田王のこの歌は万葉集の中でもっとも難解とされ、未だに定訓がない。ここでは沢瀉久敬博士の注釈から訓を拝借して紹介する。通常の万葉仮名を解読するようにはいかず、万葉集のみならず、日本書紀、古事記まで含めた上代日本語に精通した相当の碩学でないと解読は難しい。このような難読歌は万葉集中に数十首あり、一九八〇年代にはこれらが朝鮮語で解読できるとして大ブームになった(→日本文学の始祖:万葉集を参照)。無論、全てがこの方法で読めるわけではなく、ごく一部を朝鮮語で読めるとしたにすぎない。それは古代朝鮮語(現存しない)ではなく近世以降の朝鮮語による相当無理な解読だったため、専門家からは完全に無視されている。本書で万葉仮名の原文を付しているのは、万葉歌のほとんど全ては通常の解読で十分読めるということを示したいがためである。千数百年前であれば、世界どこの言語でも解読は相当の困難を伴うのは当たり前であり、日本語だけが特殊なわけではない。解読が困難とされたものは一パーセントあるかないかに過ぎないのだ。
 この歌では可新を「橿かし」として読む。契沖の訓では、「いつか逢はなむ」となり、カシは詠われていないことになるが、多くの万葉学者は「厳橿いつかしもと」を支持している。この歌の意味は、静まっていた浦の波が今騒いでいる、我が愛しい人のお立ちになっていた神聖なカシの木の下でとなる。カシの木は照葉樹林を構成する主要樹種であり、鎮守の森には特に多く見られる。この歌のカシの木も海辺の鎮守の森の中にある神聖な木を指すのであろう。この歌の序に、「温泉いでましし時、額田ぬかたのおほきみ の作れる歌」とある。紀の温泉は和歌山県の白浜あたりの温泉と推定されている。『日本書紀』に、斉明四(658)年十月から翌年正月にかけて斉明天皇の行幸があったという記述がある。紀伊半島は典型的な照葉樹林帯にあるので、海岸沿いにある神社の境内であれば、この情景にぴったりだろう。

2.若草の つまかあるらむ 橿の実の
   若草乃  夫香有良武   橿實之
           ひとりか寝らむ 問はまくの
               獨歟将宿     問巻乃
           欲しき我妹が 家の知らなく
               欲我妹之   家乃不知久

巻9の1742 高橋虫麻呂

 橿は『和名わみょうしょう』に「橿 音畺 加之」とあり、カシと読めることがわかる。「橿の実」は“独り”に続く枕詞である。カシの木の実は一殻に中身が一個しかなのでそのような枕詞に用いられるのである。一方、同じブナ科ながら、クリは一殻に中身が、通例、三個入っているので、「三栗の」と読まれる。この歌は高橋虫麻呂歌集の長歌の後半の部分を抜き出したものである。したがって、全体の意味はなさないが、意訳すると、「夫がいるのだろうか、それともカシの実のように独身で一人ぼっちで寝るのだろうか、そのことを問いたいのだが、私のものにしたいという女の家がどこにあるか知らないので、聞くことができない」となる。

3.あしひきの 山路やまぢも知らず 白橿の
    足引     山道不知    白牫牱
           枝もとををに 雪の降れれば
              枝母等乎乎    雪落者

巻10の2315 柿本人麻呂

 この歌では、牫牱を「カシ」と読む。『和名わみょうしょう』に「唐韻云 牫牱 ?柯二音 楊氏漢語抄云 加之 (以下略)」と記されており、これを“カシ”と読むことがわかる。 “とををに”は“たわわに”の意である。この歌は柿本人麻呂の歌集にあるものであるが、「シラカシの丈夫な枝がたわわになるほど雪が降り積もると山道もどう行けばいいのかわからない」と雪の山の情景を歌った純粋な叙情歌であり、まるで絵のような情景が思い浮かぶ。この歌で読まれている白橿はシラカシでいいのだろうか。アラカシやアカガシなどとは、材が淡い(白くはないが淡紅色でアカガシと比べるとずっと色は淡い)のと葉の裏が緑白なので区別できるが、これと似た種にウラジロガシがあり、古代人はこの二種を識別できただろうか。ウラジロガシは葉の裏が蝋白質なのでその名の由来があるが、素人にはシラカシとは両方を並べて比較しないと区別は難しいだろう。両種の形態上の差は軽微に見えるが、シラカシの実は一年で熟し、ウラジロガシは熟すのに二年かかるという生殖上の大きな違いがあるので、完全な別種として区別される。おそらくシラカシとウラジロガシを併せて白橿と称していたと思われる。いずれの材も堅くて強靭なので、木刀や槍の柄などに用いた。ただ、ウラジロガシはシラカシと比べるとずっと少ない。シラカシは関東地方ではごく普通にある樹種であり、剪定にも耐えるので公園樹や庭木とするほか、強靭な性質を利用して生垣防風林とする。関東地方の屋敷林では、シラカシを上部、マサキを下部にした生垣が多く見られるが、その防風効果は絶大である。
 カシの木は万葉集だけでなく古事記や万葉集にも出てくるので紹介しておこう。

 命の  全けむ人は  疊薦たたみこも  平群へぐりの山の
 異能知能 摩曾祁務比苔破 多々瀰許莽 幣愚利能夜摩能
       白檮しらかしが葉を うずに挿せ その子
        志邏伽之餓延塢 于受珥左勢  許能固

日本書紀 景行記

 疊薦たたみこも は平群に掛かる枕詞で、うずとはびんずらの髪(髪を左右に分け、耳の辺りで束ねて緒で結ぶ)という意味と考えればよいだろう。この歌の意味は、「命の完全な人は、平群の山の白樫の葉を髪に挿せ、その人々よ」となる。『日本書紀』に出てくる上代歌謡だが、シラカシは常緑で性質が強靭なので、生命力に溢れるものと考えられ、それを髪に挿すことで命を奮い立たせる意味があったようである。
 中国本草にはあまりカシの名は出てこない。『本草ほんぞう綱目こうもく(李時珍)に櫧子(ショシまたはチョシ)の名前が見えるが、この名は『本草ほんぞう拾遺しゅうい(陳蔵器)に由来するという。因みに現在の中国ではこの名は全く使われず、漢和辞典にも載っていない字を使うのでここに紹介できない。李時りじちんによると、「櫧子は江南に産し皮樹はクリのようで冬季にもしぼまず果実(堅果)は橡子(クヌギ)より小さい」とあり、アラカシを指しているように見える。ちん臓器ぞうき によれば「櫧子の実を食えば飢えず、歩行を力強くし、洩痢を止め、悪血を破り、渇を止める」、また「皮葉の煮汁を飲めば産婦の血を止める」という。アラカシなどいわゆるカシの実はあく抜きをすれば可食であるが、うまくはない。『大和本草』(貝原益軒)には櫧には赤櫧と白櫧の二種があるとし、建築材として白櫧の方が有用であると記述している。また白櫧の実は甘く赤櫧より味がよく、救荒に用いると記述している。赤櫧と白櫧はそれぞれアカガシとシラカシを指すとしてよいだろう。近年、ウラジロガシとシラカシの葉の煎液を腎石症、胆石症によいとして用いるようになったが、その作用は実験科学的証明されているという(難波恒雄、和漢薬百科図鑑、保育社)。成分としてタンニンやフラボノイドなどのポリフェノールに富む。ウラジロガシ、シラカシの葉は土佐地方では古くから民間薬として用いられていたといわれるが、定かではない。高知市、室戸市で、1990年ころ、実際に販売されていたのを筆者は確認している(標本は帝京大学薬学部創薬資源学教室標本館にある)。この民間療法は主として四国地方に限られ、そのほかにはあまり広がっていないようだ。もともとはウラジロガシの葉なのだが、後にシラカシの葉も基原に加えられた。
 最後に、カシの語源について考察してみたい。冒頭で述べたように、カシの材は堅く、さまざまな工芸材料に用いられるのもその強靭な性質にあるといってよい。カシの語源はその性質に由来し、「堅し」が訛ったとするのが定説である。樫という国字まであるのだから、全く問題ないように思われる。しかし、カシは朝鮮語のKasi-mokから転じたという説もあるらしい。いわゆるカシというのは、ブナ科コナラ属のうち、常緑広葉樹を総称していい、日本には八種が知られている。

種 類 分 布
ウバメガシ 神奈川以西南、中国中南部
イチイガシ 関東以西南、済州島、中国中南部
アカガシ 東北南部以西南、南朝鮮、中国中南部
ツクバネガシ 東北南部以西南
アラカシ 東北南部以西南、済州島、中国~ヒマラヤ
シラカシ 東北南部以西南、済州島、中国中南部
ウラジロガシ 東北南部以西南、済州島
オキナワウラジロガシ 奄美大島以南の南西諸島

 この中で、シラカシとアラカシがもっとも広く分布し、古来、カシといわれたのはこの二種として差し支えないだろう。アラカシの名は樹皮に皮目や割れ目が多くてざらついているから名づけられた。アラカシは日本から中国中南部を経てヒマラヤまで分布し、照葉樹林帯の標識種とされている。植物地理学の専門用語でシイノキ線というのがある(右図:クリックにより拡大)。シイノキの分布の北限が、最寒月の平均気温が2℃の等温線とほぼ一致するので付けられた。実は、このシイノキ線と照葉樹林の北限がほぼ一致するのである。次の表にわが国に分布するカシの種類とその分布を示した。日本列島では東北南部以南、中国では揚子江流域以南にカシ類が分布し、ちょうど照葉樹林帯に相当することがわかる。一方、朝鮮半島では、済州島を除けば、この植生帯は最南部をかろうじてかすめるにすぎない。また、朝鮮本土に分布するカシはアカガシだけであり、照葉樹林帯は存在しないに等しいことがわかるだろう。最寒月の平均気温は木浦が1.3度、釜山が3.0度で、いずれも海に面した朝鮮半島最南部であるが、対馬海峡を挟んで対岸にある日本各地と比べると相当に冷涼であることがわかる(長崎6.4度、福岡5.7度、厳原4.9度)。朝鮮ではアカガシをKasi-nam、また広くカシ類をそう呼ぶようである。しかし、アカガシの分布も最南部に限られ建築工芸用に適した有用カシ類がないのだから、人との関わりが希薄なのになぜそのような名前が発生するのか誰しも疑問に思うだろう。民族植物学的にみればそれはごく自然な疑問なのだ。結論を先に言えば、Kasi-mokあるいはKasi-namは、民族植物学的にカシとの関係がはるかに濃厚な日本の「カシ」を輸入したものであり、日本語カシの語源にはなりえないということである。興味深いことに、朝鮮では落葉樹のナラ類(コナラ、クヌギ、ナラガシワなど)もKasi-namと呼ぶという。カシ類とナラ類は同じブナ科の同属に分類されるが、共通する特徴といえば、堅果すなわちどんぐりをつけることぐらいである。どんぐりは救荒食料に利用されることはあるが、建築工芸材としての価値の方がはるかに高い。常緑のカシ類と落葉のナラ類では材の性質が全く異なるので、同じ名前で呼ぶ方が不自然である。もし、カシが朝鮮語由来とするなら、なぜ日本にも広く自生するナラ類もそう呼ばなかったのだろうか。朝鮮では文献は全て漢字で記録され、表音文字のハングルは十五世紀に発明されたものの、実際に使われるようになったのは十九世紀といわれる。したがって植物名も漢字名がはるかに長く使われ、表音文字がなかったから古い時代にどう発音されていたかわかる由もない。朝鮮に産しないスギがSugu-mokと呼ばれている事実を考え合わせると、Kasi-mokあるいはKasi-namという名称は、ハングルが本格的に使われるようになってから、それまで使われてきた漢字の読みに日本語を充てたと推定される。朝鮮の植物相、植生は日本より貧弱なので、民俗学的に植物との結びつきも希薄とならざるを得ない。万葉歌など日本の詩歌に何百という植物が詠まれるのは日本人と植物の関わりがそれだけ濃厚であることを示唆する。中国では古くから世界最高レベルの本草学が発達した。日本にはそれが古くから伝えられ、日本の植物の多くは、中国の本草書を参照し、中国産類似植物の名を充て、和名と漢名が併用される状況が江戸時代まで続いた。それは『本草ほんぞう和名わみょう』、『和名わみょうしょう』、『心方しんぽう 』など文献に顕著に表れている。日本固有植物で朝鮮に類似するものがないものは、当然朝鮮名は存在しないが、和名は存在していた。朝鮮の植物の六割は日本に分布するが、それは日本の植物の三割にしかならない。こうした事実を考慮すると、本草学などで植物相の貧弱な朝鮮の影響はほとんどないのは納得できるだろう。したがって植物に関しては、古代から日本の朝鮮に対する影響の大きさを考えた方がよいのである。以上の朝鮮語語源説は深津正氏の『植物和名語源考』に紹介されていたのを引用したことをお断りしておく。
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