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岡崎高校第19回(昭和42年、1967年)卒業の皆さん、このホームページを運営している同級生の木下武司と申します。覚えていらっしゃるでしょうか、卒業年次の所属は3年9組、担任は森島敬義先生でした。卒業してから、はや来年で50周年、今年は母校の創立120周年の記念すべき年で、われわれの在校時は70周年でしたから、ちょうど半世紀になります。ここで蘊蓄とトリビアを披露したいと思います。時の流れが早いのを「光陰矢の如し」といいますが、俗間では中国の古典由来といわれ、大半の人はそう信じているようです。実は私は一端の漢文学者などよりはるかに実力が上だと自負するほど中国古典にどっぷりと浸かって来ましたが、そんな表現はどこにも見当たらないのです。一方、ほぼ同じ意味で実際に英語圏でよく使われる表現に"Time flies"というのがあり、ラテン語の"Tempus fugit"を誤訳したものだそうです。fugitは、fugitiveという語彙があるように(デビッド・ジャンセンのThe Fugitive 逃亡者、懐かしいですね)、fleeすなわち逃げるという意味ですが、英語のfleeには時間の経過の意味もあります。flee、flyのいずれであっても時の流れの早さを実感できますので、誤りと目くじらを立てるほどでもないと思います。"Time flies"がさらに脚色されて"Time flies like an arrow; fruit flies like a banana"あるいは"Time has wings"というユーモア表現として派生したようです。したがって、「光陰矢の如し」が中国古典に由来するというのは誤りで、英語の表現を漢文風に訳したものにすぎないということになります。光陰を含む有名な詩の一節「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」もくせもので、岡高時代では朱熹作と習ったこと覚えてますか?実はこれも朱熹詩集に見当たらず、どうやら室町時代の邦人禅僧が作り出した句のようです。世の中にはとんでもない誤謬を信じ込まされているものも多くあります。たとえば「いはばしる 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも」は志貴皇子による万葉有数の名歌ですが、この「わらび」はワラビではなくゼンマイなのです。国語事典、百科事典を含め国文学の権威ある注釈書はことごとく誤りなのです。詳細は「古のわらびはゼンマイであった」をご覧ください。以上は日常生活でこれといった実害もないのですが、俗間にはとんでもないガセネタがあふれ、下手すると大やけどに至ることもあります。渡る世間は鬼ばかりを肝に銘じ、残り少ない(?)人生を生き抜かねばなりませんね。
冒頭におじさん(と少数のお姉さん方)ばかりが写った画像をドカンと据えながら、つい習性で蘊蓄ばかり傾けてしまいましたが、今年の1月4日に岡崎で開かれた「生きてる会19」の参加者全員の記念写真です。私も東京から参加しました。これまで同級会に参加されたことのないあるいは久しく参加されていない方には写真を見て誰だかわからないと思います。福山君(最前列左から2番目、昔とあまり変わっていません)が“生きてる会19ホームページ”(アドレスは後尾にあります)で写真と名前を対照させていますのでそちらをご覧ください。われわれの同級生は9クラス×55人=495人いましたが、そのうち確認された物故者が28人もいるのだそうです。当然ながら物故者にはもう会えませんが、消息の不明な方が69人もいます(生きてる会ホームページの行方不明者リストを参照)。中には物故された方もいるかもしれませんが、もしその中に自分あるいは友人の名前があったのならご連絡ください。連絡先のメールアドレスは“生きてる会19ホームページ”にあります。あるいは私のメールアドレスでもかまいません。
mail to: tk-1948[a]pharm.teikyo-u.ac.jp ([a] →@に変更)
生きてる会19: http://tfosc.o.oo7.com/ikiterukai19/main.html
(com →jpに変更)
では再会できるまでさようなら。
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