あけましておめでとうございます
To Homepage(Uploaded 2012/1/1)
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 このカラムでは愚痴ばかり述べさせていただいているが、平成24年の新年を迎えるに当たって趣向を変えてみたいと思う。また、元日のホームページの更新は開設以来初めてのことである。最近は仕事上漢文を読むことが多くなった。本草学や漢方医学を研究しているのだから当たり前なのだが、時に漢詩を読むこともある。平成22年2月に「万葉植物文化誌 」を上梓したが、万葉集に詠われる植物を解説したものである。万葉時代の中国といえば唐代であるが、万葉歌に相当するものといえば、唐詩ということになる。万葉集ほどではないが、唐詩にも植物を詠ったものがあり、当然、植物名は漢字で表記されているから本草学との接点が出てくる。漢詩に詠われた植物を通して中国の植物文化を考証し、日本との共通点あるいは相違点を見出してみたいと思うようになった次第である。但し、そういう詩の多くは無名ないし日本ではあまり名の知られていない詩人によるものである。したがって、訓読されたことがない(少なくとも見つけることはできなかった)ので、自分で読み下すしかなく、結構大変な仕事なのだ。ケシ罌粟オウゾク)を詠った唐詩(無名詩人)を紹介しよう。ただし、詩題は「石榴」で詠人は無名氏となっている(『全唐詩』卷785-10)



 蟬うそぶ秋雲しううん槐葉くゎいえふととの
 石榴せきりう老庭らうてい
 流霞りうか色、染罌粟あうぞく
 黄蠟わうらふ紙、つつ瓠犀こさい
 玉刻ぎょくこく冰壺ひょうこ含露がんろうるほ
 斒斑はんばん似帶じたい湘娥しゃうが
 蕭娘せうぢゃう、初メテギテたしな甘酸
 しゃくセン水精すいしゃう千萬粒せんまんりふ

 本詩に出てくる句・語彙を簡単に説明しておこう。槐はマメ科エンジュStyphnolobium japonicum (L.) Schottのことで、「槐葉齊ふ」とは花が咲き散って葉が青々と茂っている様を示し、盛夏を過ぎ少し秋めいた情景が思い浮かぶ。石榴はザクロで、唐代の中国では大変賞揚された花卉の一つであった。流霞はたなびく夕焼けの雲、紫罌粟は紫色の花をつけるケシのことである。紫色のケシ花は実在しないが、異国から伝来したばかりの珍しい花卉に高貴な色を充てて、夕焼けの雲が折角の紫の色を無粋にも染めようととしていると第三句は詠っているのである。黄蠟はミツロウ(蜜蝋)のことで、紙にミツロウをしみ込ませたのが黄蠟紙である。瓠犀とはヒョウタンの種のことであるが、『詩經しきょう國風こくふう』・衞風えいふう碩人せきじんに、美人を形容して「手は柔荑じうていの如く、膚は凝脂の如し。くび蝤蠐しうせいの如く、歯は瓠犀の如し。」とあるので、女性の歯並びのよい白い歯を喩える意もある。ヒョウタンの種は白色であるが、「紅の」としているのは瓠犀が女性を指していることを示す。すなわち、第四句は思いを寄せていた女性が別人のもとへ嫁ごうとしていることを表し、第三句では全く別のものでもって表したのであり、そこにケシが利用されたのである。すなわち、第三、四句は対をなしているのである。冰壺は氷を入れた壺のことであり、一点の汚れもないことを喩え、玉刻の冰壺とあるから玉製であることを示す。斒斑似帶は難訓(と思う)であるが、玉刻冰壺と対をなしていること、そして似に「贈る」という意味があることから、ここでは斑模様(斒斑)の贈帯すなわち贈呈された帯と解釈した。湘娥の本来の意味は湖水の神であるが、ここでは美しい女性の意である。玉製の壺が氷で冷やされて表面が露でしっとりと濡れるのを想像し、それを婚礼用にと豪奢な帯を贈られた娘が感涙するのと重ね合わせ、第五、六句もやはり対となっている。蕭娘は男性側から心を寄せる女の子を親しみを込めていう呼称である。初嫁は女性が結婚したばかりのことを指し、「甘酸を嗜む」とは結婚後に娘が経験するであろう苦楽をいい、千萬粒もの水精を嚼破することになるだろうというのである。以上、この詩の主人公は美しい女性であり、誰かのもとに嫁ぐのを惜しみながら暖かく見守るという何とも切ない詩ということになろう。ここでは罌粟すなわちケシはザクロとともに脇役にすぎないが、中国に伝わって間もない珍しい植物であったケシや、ステータスの高いザクロを引き合いに出して詠うほど、女性に対して強く意識していたことを示している。
 ケシについては別ページに詳細な解説があるが、ここでも簡単に述べておこう。中国の本草書にケシの名が初見するのは973年の『開寶かいほう新詳定しんしょうてい本草ほんぞう』である。当初は甖子粟えいしぞくと称していたが、果実(ケシ坊主)が「かめ(甖)」に似ていること、種子がアワ(粟)に似ていることによる。後に甖は字体の似た罌に転じた。ケシの果実を乾燥したものが罌粟穀オウゾクコクと称され、麻薬成分を含み劇薬であるが、宋代以降の中国では中国伝統医学にも取り入れられ、下痢止めや咳止め、痛み止めの妙薬とされた。医書では粟殻と称されることが多く、これだとアワの抜け殻と勘違いされたこともあったのではなかろうか。因みに、日本ではケシノカラ、ケシガラと呼ばれた。未熟果実に切れ目を入れて分泌する乳液を集めて乾燥したものが阿片であり、麻薬成分が数百倍に濃縮されているのでケシガラよりずっと薬効は強くなる。
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