薬用植物イチョウGinkgo bilobaについて

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 表題として薬用植物イチョウGinkgo biloba L.と記したが、これに違和感を感じる人は少なくあるまい。何故ならイチョウはわが国でGinkgo_bilobaは公園樹や街路樹としてごく普通に植栽され、大きいものは樹高45メートル、胸高直径5メートルになる落葉高木であり、天然記念物として保護されている巨樹も少なくないからである。しかしながら、イチョウ葉エキスが欧州において脳血管障害などに繁用され、それが世界中に広まりつつある今日では薬用植物といって差し支えなかろう。ここでは薬用植物としてのイチョウについて、基原等について述べてみたい。

1.イチョウは生きた化石植物である

 イチョウは今日では野生は知られていない起源の古い植物である。日本には樹齢1000年以上と称するイチョウの巨樹が各地にある。そのうち、長崎県対馬つしまきんにある「琴のイチョウ」は樹高23メートル、幹周13メートルもある巨樹だが、1500年前に百済から伝えられたという。日本一といわれるイチョウの巨樹は青森県深浦ふかうらまちの「北金きたかねさわのイチョウ」で、樹高40メートル、幹周22メートル、樹齢1000年以上とされる。青森県にはその他にも巨樹が多い。日本各地からイチョウの化石が出土しているので、日本原産であっても不思議はない。しかし、これほど目立つ特徴のある樹木でありながら、『万葉集』はいうに及ばず『古今和歌集』など多くの植物が詠まれている古典にはイチョウに相当する植物の記述はない。現在では、中国が原産地と考えられているが、中国でも10世紀以前には都ではほとんど知られていなかったようで、唐宋八大家の一人であるおう陽修ようしゅう(1007年-1072年)が「銀杏ギンキョウ」、「鴨脚オウキャク」を詩に詠んだのが最初といわれる(『欧陽文忠公集』)。本草書では、『紹興しょうこう校定こうてい經史けいし證類しょうるい備急びきゅう本草ほんぞう(1152年)巻二十四之下に「銀杏 世の果実、味は苦・甘、平にして無毒。唯だ炒り或は煮て食ふ。生にて食すれば人を戟す。諸処に皆産す、唯だ宣州の者が佳し」とあるのが初見であるが、記述の内容からまぎれもなくギンナンであり、「諸処皆産」という句から中国ではかなり短期間に栽培・普及したことを示唆する。宣州ぎしゅう産を良品としているので、宣州(中国安徽あんき省宣城)をイチョウの原産地とする説もある。『日用にちよう本草ほんぞう(1329年)巻之六には「土人呼びて白果と爲し、又鴨脚と名づく。味は甘・苦、平にして無毒。生にて多食すれば痰動、風氣す。鰻、鱺と同じに食すれば軟風を患ふ。惟だ炒り或は煮て食ふ。生は則ち人の喉を戟す。小兒之を食すれば發驚す」(龍谷大学版では薬物名の部分は破損による欠字であるが、白果・鴨脚の別名及び『紹興本草』と記述が共通するから銀杏で間違いない)とさらに詳細に記述されている。以上のことは、文献上のイチョウの出現に関することであり、それ以前に中国で知られ、日本に渡来した可能性を否定するのは難しいが、その有用性が知られないまま伝播するとは考えられないから、日本への渡来はいくら早くても11世紀以降ということになるだろう。14世紀の『玄奘げんじょう三蔵絵さんぞうえ』」にはイチョウらしき植物(葉の形からイチョウ以外は考えられない)が描かれている。日本の文献で「銀杏」の字が記載されたのは1370年頃成立した『異制いせい庭訓ていきん往来おうらい』が最初といわれる。1000年以上と通称される前述の巨樹の樹齢はかなり割り引いて考えなければならないが、13~14世紀には既に日本に植栽されていたとしても矛盾はなさそうである。イチョウは成長の早い樹木であり、白井光太郎博士は、胸高直径が一メートル以上、樹高30メートル以上のイチョウの巨樹の年輪を数えたと自著に述べているが、それによれば樹齢200~300年程度であったという。とすれば、上述の巨木の樹齢も600~700年程度ということになり辻褄が合う。日本へは朝鮮経由か中国から直接渡来したと思われる。
 植物分類学的にはイチョウ一種だけでイチョウ綱(Ginkgopsida)イチョウ目(Ginkgoales)イチョウ科(Ginkgoaceae)を構成する(「植物の分類と名前について」参照)。この仲間は1億5000万年前に地球上に出現してジュラ紀に全盛期を迎えたが、その後衰退し約170万年前に現生種を除いて絶滅した。イチョウがしばしば”生きた化石”といわれるのはそのためである。種として非常に起源が古いこともあって生殖器官は通常の植物種には見られない特殊な形態、機能をもつ。例えば、雄花(雌雄異株なので雄株だけにある)から風で運ばれた花粉(イチョウを始めとする裸子植物は風媒花である)が雌株の雌花の胚珠はいしゅに到達すると、花粉室内で発芽して2個の精虫(精子ともいい、精核に繊毛がついたもので自ら運動することができる)となり、その1個が卵細胞を受精させて種子に発達する。いわゆる種子植物でこのような生殖系をもつ(すなわち精虫が存在する)のはイチョウとソテツ類だけであり(種子植物以外ではシダ類、蘚苔類、藻類などがあり、系統発生学的に両分類群の中間に位置する)、いずれの精虫も日本人科学者により発見された(イチョウ:平瀬作五郎(1896);ソテツ:池野成一郎(1895))ことは特筆に値しよう。
 冒頭で述べたようにイチョウイチョウ精子発見記念碑は日本人にとって身近な存在であり、秋の紅葉時に多くの人々が落下した銀杏を拾う光景は一種の風物詩とさえなっている。日本以外では、原産地である中国と朝鮮半島に広く植栽されるが、欧州には江戸時代(1730年頃)にケンペル(Engelbert Kaempfer)によって日本に植栽されていたものが紹介され(→日本産植物研究の歴史の概略を参照)詳しくは、当地では”極東の珍木”という眼差しで見られたらしい。イチョウの学名をGinkgo biloba L.といい、欧州では属名Ginkgoをそのままイチョウの一般名としているが、その由来については英国の2大英語辞典であるThe Oxford Dictionary、Webster's Dictionary of the English Languageによれば日本語のginkyo(ギンキョウ;銀杏の音読み)に因むことが記されている。ginkgoはginkyoのyが筆記体ではgと区別しにくく誤認されたものと思われる註1が、このことについてはいずれの英語辞典でも触れていない。皮肉なことに今日のわが国ではギンキョウと呼ぶことはなく、漢字名の銀杏もギンナンと発音し、この場合はイチョウの実のことを指す。イチョウの別名に鴨脚オウキャクというのがあるが、これは葉の形がカモ(鴨)の足に似ていることに因む。和名のイチョウの語源については、鴨脚の宋音イーチャオまたはヤーチャオから転じたものという説註2が有力である。欧米ではイチョウの一般名としてginkgoあるいはgingkoという呼称が定着しているが、その語源が日本語に由来し、それがもはや今日のわが国では使われていないのは面白い。

2.薬用植物としてのイチョウの歴史

 イチョウはわが国では種子である銀杏を茶碗蒸しや炊き合わせの食材として利用する。このことは中国の本草書で初めてイチョウを記載した『紹興本草』にも記載されている。13世紀には『全芳ぜんほう備祖びそ(陳景沂)など農業書にも扱われるようになり、最初は銀杏を美味な穀果として用いていた。1329年の『日用本草』には銀杏の別名「白果ハクカ」の名前が見えるが、イチョウ果実の外果皮を除いた種子が白いからこの名がある。また、1379年の『種樹書しゅじゅしょ』では銀杏に毒性のあることが記載されている。16世紀後半の李時珍による『本草ほんぞう綱目こうもく』では銀杏、白果ハクカ鴨脚子オウキャクシとして紹介されている。実際の薬用としては、明代のきょう廷賢ていけんが1581年に著した『萬病まんびょう回春かいしゅん』」に「一狗の咬傷。杏仁甘草口嚼して傷む處に搭てる。又、宜しく銀杏を傷む處に塗るべし」とあるように、犬などの蟲獣に咬まれたときに用いるとの記載がある。また、同書に「八仙膏。専ら食の噎ぶを治す。生藕汁・梨汁・蘿葡汁・白果汁・竹瀝・蜂蜜・甘蔗汁、右の各汁一盞を和して一處飯甑に盛り、蒸熟して任意に之を食す」とあり、白果を配合した処方名とその適用が記されている。そのほか、白果を配合した処方に定喘ていぜんとう(明・張時徹著『攝生せっせい眾妙しゅうみょうほう』に所収され、白果・麻黃・蘇子・甘草・款冬花・杏仁・桑白皮・黃芩・半夏からなる処方。同名の処方でも出典によっては白果を含まないものがある。)などがあるが、数は少なく、いずれも明代以降に登場したものである。したがって、中国でもイチョウを薬用に用いるようになったのはそれほど古くなく、イチョウ葉(銀杏葉)を薬用とするようになったのはかなり後になってから、おそらく清朝以降であり、「心を益し肺を斂める。湿を化し止瀉する。胸悶心痛、激しい動悸、痰喘咳嗽、水様下痢、白帯を治す」(『本草ほんぞう品彙ひんい精要せいよう』による)効果があるとされている。無論、これは中国伝統医学の本流ではなく、銀杏葉を配合する処方はほとんどないから、多分、民間療法に基づくものであろう。第二次大戦後の中国では伝統医学(中医学)の再評価の流れの中でイチョウ葉を冠状動脈硬化性の心臓病の治療に用いた実績がある(イチョウ葉末を錠剤として用いる)が、欧米において、今日、注目されているのはそれが脳血流を増大させるのに効果があり記憶力の回復や痴呆症の治療に効果があると期待されている点である(→EGb761(イチョウ葉エキス)の薬理活性について参照)。実際、欧州ではイチョウ葉エキス製剤であるEGb761がアルツハイマー痴呆症などに繁用され、その販売高は常に上位にランクされている。これに触発されるようにわが国でもイチョウ葉エキスに関する関心が高まりつつある。しかしながら、イチョウ葉エキスに関する基礎研究はほとんど欧米で行われており、わが国における知識の集積は決定的に不足している。欧州においては後に述べるように基礎研究あるいは臨床治験結果に基づいてEGb761が列記とした医薬品として使用されているのに対して、わが国では広く植栽されるイチョウの葉を採取して自家製のエキスを調製し服用するケースや、あるいはイチョウ葉末をティーバッグ風にしたものが販売されるなど、健康食品あるいは民間療法の側面が濃い。かかる状況において、わが国ではイチョウ葉エキスについて本来なら相応の知識を備えていなければならない薬剤師も含めて必ずしも正しく理解されていないと思われるので、本サイトではイチョウ葉エキスの化学成分薬理作用について概説する(冒頭のプルダウンメニュー参照)


  1. 蛇足ながらこれに似た事例として現在は沖縄市と呼ばれる米軍統治下の旧コザ市の地名の由来を挙げる。この由来は胡屋ごやであり、当時沖縄を統治していた米民政府がgoyaをgozaと誤認(この場合は筆記体のyがzと誤認された)し、それが訛ってコザとなったとされる。
  2. 植物名で中国語音が訛って和名となった例はきわめて珍しい。他には、ウメが烏梅ウメイに由来したぐらいである。ウメの名は広く用いられ別名はないのだが、イチョウはそれほど一般的ではなかったと思われる。江戸時代には銀杏と書いてギンキョウと読んでいたように、日本読みの方が主流であった。イチョウの呼称は明治になってから植物学者がつけて正式名称になった。