ノイバラの実を営実というわけ
引用参考文献
本ページの内容の無断引用を禁止します註1
To Homepage(Uploaded 2010/7/10; 2010/9/10 Revised)
(関連ページ)万葉の花と日本の民俗文化万葉の植物総論
日本人、日本文化と植物万葉の花ノイバラ
いにしえの「わらび」はゼンマイであった
【要約】:牧野富太郎は随筆集の中でノイバラの実の漢名である「営実」の語源に言及している。中国でもっとも著名な本草学者の一人である李時珍の本草綱目にノイバラの実は営星のようであると記述されている。牧野富太郎はこの真の意味について親友の恩田経介に問い質した結果、赤く熟した実を火星になぞらえたものであるという返答を得た。しかしながら、この仮説はいくつかの矛盾があって正しいとはいえない。たとえば、李時珍は房状のノイバラ果実の中からたった一つの実を取り出して火星のようであるといったわけではなく、群れて付く果実全体をみて、星を散りばめたようだとしているのである。恩田の誤謬は、古く江戸時代に本草綱目の和刻本が出版されたとき、当該部分に誤って訓読されたことに始まる。いずれにせよ、李時珍の營實の語源解釈を正しいという前提にたっているが、おそらく、営実の語源はノイバラの多果性に基づくものであり、その語源に関して特別な説明はいらないのではなかろうか。
TITLE: On the Etymology of the Chinese Name of Fruits of Rosa multiflora Thunberg
SUMMARY: Dr. Tomitaro Makino(牧野富太郎)referred to "the etymology of the Chinese name (營實;ying shi) of Rosa multiflora Thunberg" in his collection of essays. Lee Se-Zhen(李時珍), one of the most notable herbalist in Chinese history, describes in his "Ben-cao Gang-mu;本草綱目" (Detailed Outlines on Chinese Herbs) that the fruits of this plant are like "ying xing"(營星). He asked about what this really means to Mr. Keisuke Onda(恩田経介), one of Makino's close friends, and the answer was that the name of "ying xing" stands for Mars, which Lee imaged to be like red-matured fruits of this plant. However, Mr. Onda's hypothesis is not correct since there are several philological inconsistencies. For example, Lee did not necessarily take up one out of Rosa multiflora's clustered fruits describing it is like Mars, but simply referred to the wild rose spreading out many fruits throughout the whole plant as if it is a sky that is studded with stars. Onda's misassumption is derived from the mistranslation of the original Chinese literature into Japanese in the Edo era when Lee's book was published widely. His hyposethsis is based on the premise that Lee's comment on the etymology of "ying shi" is correct. Presumably, the literal meaning of "ying shi" only reflects Rosa multiflora's characteristic property of bearing numerous fruits, and thus any specific etymological account may not be required.

 わが国の山野・人里に普通に生え、通称“いばら”と称する植物がある。花は純白ですばらしい芳香(いわゆるローズ油と同じ匂いがする)があるにもかかわらず、鋭いトゲがあってやぶをつくるので一般には厄介者扱いされている。“いばら”はいくつかの近縁類似種の総称であるが、その中でもっとも普通にある種はノイバラである。これは和名であって、当然ながら日本でしか通用しないが、別にRosa multiflora Thunbergという名がつけられていている。これがいわゆる学名(ラテン名)といわれるものであって、世界で通用するように、共通のルール(リンネの二名法)でつけられた名前である(植物の名前と分類を参照。以上の名前のほか、日本に自生する植物の中で漢名がつけられているものが多くある。この場合の漢名とは、中国において用いられてきた植物の伝統的呼称をいい、「野茨」のような音訓の漢字で充てたものとは根本的に異なるものである。中国では「本草学」という薬用・有用植物を扱う学問が古くから発達し、独特の分類法でもって膨大な植物種を整理してきたという文化的な背景がある(→本草の歴史を参照)。外国産の植物を学名由来のカタカナ名で呼ぶことの多い昨今にあっては想像すら困難であるが、わが国は、当時にあってはすぐれた植物分類大系であった中国の本草学を導入し、それにしたがって和産植物に漢名を当てはめて整合させようとしたのである。古代から近世に至るまで、日本は中国の本草学の強い影響下にあったから、古い時代にあっては中国本草に準拠したこの漢名こそ今日の学名に相当する機能をもっていたといえるのである。しかし、中国にあって日本にない植物があり、またその逆の場合もあるから、誤ってつけられた漢名も少なくないが、リンネの学名が普及する以前では唯一の植物分類名であった。本論文の主題は、ノイバラの漢名の語源に関するものであるが、和名の語源解釈は多くの成書があり一般の関心も概して高いが、漢名については話題にすらなることは稀である。表意文字である漢字で表記されているから、表音文字による名前の場合より語源解釈は容易のようにみえるからであろう。しかしながら、長い歴史の中で名前が変わったり漢字の意味が変わったりして語源が不明瞭になったものも少なくない。また、表意文字であるが故に誤って解釈されることも多く、先に結論をいうことになるが、ノイバラの漢名はまさにこの典型といえる例であった。
 ノイバラの漢名は、中国歴代本草書によれば、營實エイジツ薔薇ショウビ山棘サンキョク牛棘ギュウキョク牛勒ギュウロク刺花シカ の六名がある。このうち、營實は中国最古の本草書『神農しんのう本草ほんぞうきょう 』に記載される唯一の名前であり、残りの五名は後世の本草書で記載されたノイバラの異名である。現今の『日本薬局方』(第十七改正版)に、營實と同音の品目「エイジツ」(薬局方では植物名と同様に薬物名もカタカナ書きを正名とする)が収載され、その基原はノイバラの乾燥果実としている註2。すなわち、エイジツは『神農本草經』以来の由緒ある薬物であるが、わが国の局方あるいは局方に準じる医薬品集に収載されたのは、1955年の『第二改正国民医薬品集』(『国民医薬品集』は後の薬局方第二部の前身となるもの)が初めてであり、局方の正品となったのは『第七改正日本薬局方』(1961年)以降と意外に新しい。しかし、「百毒下し」など江戸時代以来の民間の売薬で營實を配合するものがかなりあり、1823年には『營實えいじつ新效方しんこうほう(宇佐美主善著)という専門研究書も刊行されていることを考えると、わが国の医薬文化におけるエイジツの影響は無視できないものがある。
 ノイバラの漢名六名のうち、棘・刺の字をもつ四名は、そのするどいトゲに由来することは明らかであるから、語源説明の必要性はほとんどないだろう。一方、營實・薔薇は、よほど漢学に秀でた才の持ち主でない限り、まずその意味はわからないのではなかろうか。營實は、主題としてのちに議論するから、ここでは薔薇について簡単に説明しておこう。中国本草学史上空前の大部とされる『本草ほんぞう綱目こうもく』では各条に「釈名」の項があって編者りじ時珍ちん(1518-1593)による独自の語源解釈が記載されている。同巻十八上「草部」に營實蘠蘼の条があり、李時珍は『名醫めいい別錄べつろく』で初めて登場したノイバラの漢名「薔薇」を「蘠蘼」に通じさせた上で、その語源解釈を「此の草、蔓は柔らかにしてなびき、牆に依りきて生ず。故に蘠蘼と名づく」と解説している。すなわち、ノイバラは半つる性植物であるから、茎は柔らかく、牆(垣根のこと)に容易に靡いて寄り添うように生えるからその名の由来があるというのである。そのため牆と靡をそれぞれ艸につくっているが、薇はもともと蘼であるべきだから、この解釈は妥当であろう。また、これによって植物の漢名すなわち中国名はその植物のもっとも顕著とする特徴を表しているとは限らないことがわかるであろう。
 ノイバラのもっとも古い名である營實の語源については、李時珍は「其子、成簇而生、如營星。然故、謂之營實」と解説している。あえて訓読せず、句読点だけを付したのは、後述するように「如營星」の解釈が一義的ではないからである。著名な植物分類学者であり、植物名の語源解釈について自説を著書に発表するほど高い関心をもっていた牧野富太郎(1862−1957)は、李時珍の語源解釈にある「營星」の意味がわからず、英文学者であり天文民俗学者としても知られる野尻のじり抱影ほうえい (1885−1977)に書簡を送ってその意味を尋ねている。このことは『牧野富太郎選集』に収録される随筆「ノイバラの実を営実というわけ」に紹介されているが、野尻から返書があったにもかかわらず、ついにその内容を明らかにすることはなかった。そのかわりとして牧野が随筆集に紹介しているのが、友人であり東京帝国大学において植物学を専攻した恩田経介(明治薬科大学初代学長)の書信であった。牧野は野尻のほか複数の人物に問い合わせの書簡を送っていたようであるが、その中で恩田の見解にもっとも感心したとみえてその書信の全内容を引用し、「これはまことに啓蒙の文であるのみならず、あまつさえ同君快諾のもとにこの拙著のページを飾り得たことを欣幸とするしだいだ」と結んでいる。恩田による「營星」の語解を要約すると次の通りである。まず、李時珍のいう「營星」は紅色の星すなわち火星と見当をつけた上で、1716年に成立した『康煕こうき字典じてん 』に「熒惑、星の名なり。(中略)熒惑、亦た營に作る」(原文は漢文、著者訓読)とある註3のをみて、李時珍のいう「營星」は火星熒惑けいこくのことだろうというのである註4
 「營星」を紅い星と見当をつけた理由については、恩田は全く言及していないが、紅熟するノイバラの果実から火星を着想したことは間違いあるまい。相手が植物学者であるから当然承知と考えてのことであろうが、そもそも火星は東洋・西洋のいずれの世界でも古くから不吉な凶星とされてきたはずで、それに由来する名を薬物の名に冠するだろうかという疑問がまず思い浮かぶ。次に、恩田が引用した『康煕字典』の同条に「又、營室、星の名なり」という別の簡潔な記述があって、「 營室星 えいしつせい 」という名も出てくる。むしろこちらの方が李時珍のいう「營星」にずっと近く、そもそも音の違う「熒」と「營」を無理に通じ合わせる必要がない。恩田がこれに気づかなかったかあるいはあえて無視したのか定かではないが、「營室」とは中国の天文学ではどんな星を指すのか考証するのも無駄ではないだろう。実をいうと、筆者はこれこそ李時珍のいう「營星」と考え、恩田説の代替として論拠を強固にするため、中国の天文学について調べてみようと考えたのである。
 「營室」は中国の星座でいう二十八宿の第十三宿に相当し、北方玄武七星宿の一つとされる。今日の日本では中国の星座はほとんど知られていないから、西洋の星座に当てはめると、ペガスス座のアルファ星(マルカブ)とベータ星(シェアト)であって前者を距星とする。「營室」はわずか二星からなる小さな星座ということになるが、同じ北方玄武七星宿に属し隣に位置する星宿に「 東壁 とうへき 」というのがあって、西洋の星座でいうとペガスス座アルゲニブ・シラーの二星に相当する。すなわち、「營室」と「東壁」の四星を合わせたものがペガスス座に相当するのであり、明るい星から成り立って四辺形を構成しているため、天空上ではよく目立ち、世界各地で古くから知られている。1978年、河北省ずい曽候そうこう乙墓いつぼ(春秋時代末期の貴族の墳墓といわれる)から四獣を伴った二十八宿を記した漆器が出土したが、ここでは營室に相当するものを西縈、東壁に相当するものを東縈としている(大崎正次、1987年)。とすれば、營室・東壁すなわち西縈・東縈の二星宿をまとめて縈星と呼び、「縈」は「營」と同音・同義であるから、同音の營星と呼んでもおかしくないように思われる。また、『晋志しんし』・『随志ずいし』・『宋志そうし』では室(營室のことで晋志・随志・宋志では単に室とある)二星とは別に六星からなる星座・離宮の名が見られるが、『 史記 しき 』の「天官書」では離宮を營室の別名としているから、古い時代の中国にあって營室は後世の星座・離宮の六星を含めて八星であって、後世になって二つの星座に分割されたと推定される。
 以上、恩田経介の熒惑星説ならびに同説の論拠とする『康煕字典』の記述から派生した營室星説(実質的には筆者による旧説)について説明した。まず、恩田の解釈には致命的な弱点があることを指摘しなければならない。李時珍の語源解釈を論ずるのであれば、その記述全体も含めて検討すべきであるが、「其子、成簇而生、如營星」において恩田は「其(ノイバラ)の子、簇を成して生じ云々」とある部分について全く考慮していないことである。李時珍は、ノイバラの果実は群がってつく云々といっているのであり(写真左を参照)、これを受けて「如營星」としているのである。恩田説は、ノイバラの果実を熒惑星すなわち火星に見立てているが、いかなる星座にも属さない単独星であるから、「簇を成す」とはほど遠い存在であることはいうまでもないだろう。一方、營室は、いずれの場合すなわち營室単独および營室・離宮の合宿でも、複数の星から成り立っているから、群がってつくノイバラの果実を喩えるには火星よりずっと有利である。これを知っていたとして、なおかつ恩田が熒惑星にこだわったのは、ノイバラの果実が赤いことではなかっただろうか。營室星はどれも青白い星であって赤いといえる星はひとつもない。すなわち、恩田は『康煕字典』に營室星とあるのを承知で熒惑星説を提唱したとも考えられるのである。牧野への返書では、簡潔に説明するため、中国天文学の知識を要する營室星に対する説明をあえて省略したのかもしれない。しかし、ノイバラの赤い果実は決して恩田説に有利とはならないことも指摘しておこう。野生のノイバラの果実が鮮やかに紅熟するのは晩秋であって、このころはほとんど落葉して赤い実だけが目立つ時期である。中国の薬用植物においては薬物の原料たるものを採集する時期の状態がもっとも重要視され、それが植物名・薬物名に反映される傾向が強い。『本草綱目』では八月にノイバラの果実を採集するといっており、また『名醫別錄』でも八月、九月に採集するという記述があるが、旧暦でもこの時期のノイバラの実はわずかに赤味を帯びる程度にすぎない。『增訂和漢藥考』でも「未熟なる半青半紅のものを佳しとし、成熟のものは效少なし云々」とあり、『本草綱目』・『名醫別錄』にある營實の採集時期と合致する。このことは薬物たる營實が必ずしも赤い果実として認識されていたわけではないことを示唆する。したがって、赤い星に見立てる必然性はなく、營室のような青白い普通の星団でもかまわないことになる。前述したように、熒惑より營室の方がずっと有利であるのは、前者のように「熒」を音の違う「營」に通じさせる必要がないことである。中国の古典で「熒」と「營」の混淆はよくあることは確かだが註5、とすればノイバラの実に「熒實」と「營實」の両名があってもおかしくはないはずだ。しかし、『神農本草經』から『本草綱目』に至る歴代本草書、またいずれの時代の医書においても「熒實」の名は見当たらない。わずかに『聖濟せいさい總錄そうろく』に「檾實」と出てくる例がひとつあるが、「檾」は「熒」と同音であっても「營」に通ずるとした例は見当たらず、反って「營實」とは縁遠くなってしまう。因みに、李時珍はこれをイチビの実すなわち莔實けいじつとし、『中薬大辞典』もこれを踏襲する註6
 以上、恩田の「營星=火星」説の弱点を指摘してきたが、これをもってしても「營星=營室」説の方が理に適うことがわかるだろう。前述したように、恩田説の検証の途上で營室の名を見つけたことからたまたま派生したものである。かつては恩田説の熒惑星説に代わる有力な説と考えたこともあったが、必ずしも筆者がこれを支持しているわけではなく、「熒惑」のアンチテーゼとして紹介したにすぎないことを付け加えておく。このいずれの説も『本草綱目』にある李時珍による語源解説に準拠したものであった。これまで「如營星」の訓読についてあえて避けてきたが、その解釈によっては必ずしも李時珍がノイバラの実を「營星」という星に見立てたわけではないからである。「熒惑星」を略して「熒星」と呼ぶ例が中国の古典で見当たらず、また、「營星」という語彙は中国にはなく日本の文献にしか出てこない。このことは「如營星」の部分を誤って解釈した可能性もあることを示している。江戸時代には多くの『本草綱目』の和刻本が刊行されたが、中には訓点を施したものもあった。『重訂本草綱目』もそのひとつであり、当該の句を「如營星」すなわち「〜營星の如し」と訓読している。本草書のみならず『和漢わかん三才さんさい圖會ずえ』の「墻蘼」の条にも同じ訓点を施した『本草綱目』の記述がそのまま引用されている。昭和初期に出版された『國譯本草綱目』は以上の訓点にしたがって「その子は簇って生える狀態が營星さながらだ。故に營實といふ。」(鈴木眞海訳読)としている。牧野富太郎は『國譯本草綱目』の校注者の一人であるから、『本草綱目』の原文(漢文)ではなく、鈴木眞海の訳読を参照した上で恩田経介に問い質したと考えられる。また、中国の文献にないはずの「營星」に関して、江戸期の版本のみならず『國譯本草綱目』も含めて、全く註釈されていない。『和漢三才圖會』の「天文 室」には、室宿・離宮・雷電・土公吏などの隣接星座が図とともに「營室二星は大廟天子の宮を爲す云々」と記載されているので、日本では「營星」を「營室二星」と解釈して訓を付けたという推測も成り立つ。鈴木眞海も、「營星」という星が実際にあるかのように、何の疑問も持たずに訳読したように見える。恩田の推測とは裏腹に、実際のノイバラの果実の形状の如何を問わず、「營室」と解釈して訓読した結果と思われるのである。表意文字である漢字だけからなる中国語は、名詞・動詞などの品詞の区別のみならず、名詞の単数・複数の区別と格変化、動詞の時制、形容詞の格変化などがないので、これに似たようなことはしばしば起きる。これが中国語表現の曖昧さの構造的要因となっているが、その影響は日本にも及んでいるのである。
 「營星」という名の星が実在しないとなれば、やはり「營」の真の意味を再検討する必要があることになる。『大漢和辞典』には、「營」について「めぐる。めぐらす。縈に通ず」とあり、また『字通』も同様に記述している註7。現在でもよく用いられる営塁や陣営という語彙もこの意で考えると理解しやすい。『春秋しゅんじゅう公羊傅くようでん』の「莊公二十五年」に「六月。辛未朔。日有り之を食ふ。鼓して牲を社に用ふ。日食、則ち曷にして、鼓を為り牲を社に用ふ。陰之道を求めるなり。朱絲を以て社を營らす。或は曰ふ、之を脅すと。或は曰ふ、闇と為すと。恐れて人は之を犯す。故に之を營らす。」という日食に関する記述があり、「營」を「營らす」と読む実例がある。とすれば、『本草綱目』の「其子成簇而生如營星」は「其の子、簇を成して星をめぐらすが如し」と訓読することが可能となる。この場合、ノイバラの果実がたくさん群れてつく様子が星を(枝先などに)散りばめたようだという意味になって無理のない解釈となる。ノイバラは、自然状態ではお椀をかぶせたようなブッシュ状になるが、枝先につく円錐花序は、通例、椀形の特定の位置に集中せずに万遍なく付く(右の写真を参照)。ノイバラの学名Rosa multifloraの種小名はその多花性に由来するものである。花が熟して果実となった果序も同様で、李時珍はこのことを表現しようとして、満天の星の状態に擬えたと推測されるのである。ノイバラの実をきらきらひかる星に喩えたとも解釈できるし、また多果性で枝先に実を万遍なくつけた状態をちょうど天空に散りばめられた星のようだとの解釈も成り立つのだ。營實という名前を改めてみると、単純に「營らした實」の意味であるから、きらめく星の意ではないと思われるが、こればかりは李時珍に直接問い質す以外に正解を得ることはできないだろう。
 植物の中国古名は観念的なものが多く、一般の興味を引くようなものは少ないが、かかる中でノイバラの果実を星に擬えたようにみえる李時珍説は珍しくロマンを感じさせる。熒惑説と營室説のいずれも、その考証の過程において、古代中国人の宇宙観や哲学など中国固有の文化の核心にふれるものであった。しかし、それは真の語源を追求する観点からすれば、必ずしも本質的ではなく、蘊蓄を傾けることで考証者が自己満足しているにすぎないともいえる。古典の蘊蓄から離れ、改めて原点に立ち戻って考えてみると、これといった特殊な解釈の必要ない、結果としてはつまらない語源解釈となってしまった。植物和名の語源解明は、古くは新井白石の『東雅とうが』までさかのぼることができるほど、日本人の関心は高いのであるが、ここに語源俗解の温床があるともいえよう。
→戻る

  1. 本記事の内容は『日本植物園協会誌』第44号、78頁−82頁(2010年)に「ノイバラの実を営実(營實)というわけ」のタイトルで発表済み。
  2. 營實はノイバラの果実を基原とするので、その名は薬用部位を含めたものと考えられがちであるが、「營」という植物名はいかなる文献にも見当たらない。中国の古医書である『外臺げだい秘要ひよう』巻八・『太平たいへい聖惠方せいけいほう』巻四十四・『聖濟せいさい總錄そうろく』巻一百九に「營實根」を配合する処方が記載されているので、「營」という植物の果実という意味ではなく、營實の名そのものが植物名であることを示している。
  3. 説文せつもん解字かいじ』の「熒」に「屋下の灯燭の光なり。焱冖に从ふ。」とあり、火に因むことから五行説では「熒惑」を火星に当てた。
  4. 『原色牧野植物大図鑑』の「ノイバラ」では、「果実は落葉後も残り漢名営実(赤い星、火星)といい薬用にする」(原文のまま)とあり、恩田経介の説を採用していることがわかる。
  5. 『史記』の「孔子世家」に「匹夫(身分が低く教養のない男の意)にして、諸侯を熒惑する者は、罪當に誅すべし」とあり、この熒惑は火星の意ではなく、文章の前後関係から「惑わす」以外の意味は考えにくい。これを「けいわく」と読み、火星を意味する場合は「けいこく」と読んで区別する。一方、『漢書』の「淮南衡山濟北王傳」に「膠西王端議曰く、安んぞ法度を廢するや、邪辟(邪僻に同じで、よこしまで片寄ること)を行なひ、詐有り心を偽り、以て天下を亂し、百姓を營惑し、宗廟に背畔(背くこと)し、妄りに妖言を作す」とあって「營惑」という語彙が出てくるが、これも「惑わす」という意味である。すなわち、熒惑は營惑と同義とされることが実際にあったことを示す。『康煕字典』が指摘するように、營と熒は字体がよく似ているので、かなり古くから相通じる関係であったことを示す。
  6. 『説文解字』に「檾は枲屬。从 熒省聲。詩曰く、衣錦檾衣」、また『爾雅翼』に「檾は枲屬、高さ四五尺或は六七尺、葉は苧に似て薄く、實は大麻子の如し。今の人、績ぎて布を爲り、及び繩索を造る。或は に作り、又、苘に作る」とある。檾はアサやカラムシの類と考えられ繊維原料とされた。
  7. 【形声】旧字は營に作り、𤇾(えい)声。 (えい)と呂に従う字である。𤇾は金文に に作り、炬火(たいまつ)を組んだ形で、庭燎にわび。軍営や宮殿にこれをめぐらした。呂は建物の相接する平面形。〔説文〕に字を宮に従う形とし、また「市居なり」とする。「市居」は「帀居そうきょ」の字の誤りであろう。
    [1]軍営、陣営、宮殿、住居。営造のものをいう。[2]そのような建造物を造営することをいう。営む、経営する、つくる。[3]炬火をめぐらす意より、めぐる、めぐらす。[4]営域、さかい。[5]熒に通じ、まどう。(以上、原文のまま)
引用参考文献(順不同)