●今日でもあまり変わらない万葉の花の名前
筆者は身近な生活空間に分布する植物の写真をホームページ上で公開している。写真画像のほかに簡単な解説を付けているのだが、もっとも苦労しているのが植物名の語源の説明である。植物名の語源は一般の関心がことのほか高く無視できないのである。在来種でどこでも普通に見られる植物ほど、その名の起源は古く語源がわからないことが多い。日本の自然は多様であり、亜種以下を除いても約5,565種の野生植物がこの狭い日本列島にひしめき合っている(環境庁自然保護局編、「植物目録」、1987年)。無論、5,565種という植物種の全てが昔から一般の日本人に認知されてきたわけではない。大半は植物分類学が確立した近世以降に専門家によって名付けられている。植物名には和名と学名があり、基本的にはどんな名前を付けてもかまわない。本サイトの別ページでは列記とした学名(ラテン名)にとんでもない名前が付けられた例を紹介した。日本列島産の植物で新種として記載されたもっとも最近のものは、奄美大島に生育するワダツミノキNothapodytes amamianus Nagam. et Mak.Kato(Icacinaceaeクロタキカズラ科)である。この植物は、長い間、八重山諸島の西表島と石垣島に生える同属のクサミズキNothapodytes nimmonianus (J.Graham) Mabb.註1(右写真)と同種とされてきた。ワダツミノキとクサミズキの違いは花の微細構造によるので、植物分類学の専門家でなければこの両種を区別するのは難しい。ワダツミノキの名の由来ははっきりしていて、奄美大島出身の歌手元ちとせ(1979年生まれ)のヒット歌謡曲「わだつみの木」に因んだものである。この植物名と歌謡曲名の間を結びつける接点は奄美大島というだけで、命名者の軽い思いつきでそう名付けられた。命名の経緯が原論文(Nagamasu, H. and Kato, M., Acta Phytotax. Geobot., 55, 75, 2004)に記載されているわけではないが、命名者が堂々とそういっているのであるから、これ以上確かなことはない。因みに、ワダツミノキの近縁種クサミズキの名は「臭水木」が語源であり、ミズキに似ていて葉を揉むと不快な臭いがするから名付けられた。これも最近の命名であるから語源は実に明快である。しかし、これから何十年何百年の時代を経て、元ちとせの島歌が歴史から消え失せたと仮定すれば、もともと植物に何の関係もない名であるから、後世の人は「ワダツミノキ」の名の語源の解明に苦しむことだろう。「ワダツミ」の語源が南方系の“海つ神”であり註2、信仰に関係があるのではと考えるかもしれないが、実際には信仰とは無関係に命名者の軽い思いつきで付けられたにすぎないからわかる方がおかしいのである。一般に、植物名には何らかの由来、起源があるとしても、果たして論理的つじつまを考えてつけられたものがどれだけあるだろうか。「ワダツミノキ」のようにちょっとした気分で付けたとしたらその語源の解明は本質的に不可能である。仮に論理的由緒があるにしても、途中で訛ったり別名との交雑があったり、名前そのものが変質していくから、古いものほど辿るのが困難になる。古くから日本人が多くの植物を認識してきたことは、1200年以上前に編纂された万葉集に約166種の植物が詠われていることでも明らかである(松田修、「萬葉の花」、芸艸堂、1972年;中尾佐助、「花と木の文化史」、岩波新書、1986年;→万葉の花、植物とその名前について)。中尾佐助によれば、その数は聖書に記載されるもの(約100種という)よりはるかに多く、しかも聖書にはブドウやコムギなどの有用植物がほとんど占めるのに対して、万葉集では野山に生育する普通の野生植物が圧倒的に多い点で特筆に価するという。この中には現在までほとんど変わらずに伝承されている植物名も多い。下の表に万葉時代から現在まで名の変化が軽微と思われる植物を挙げてみた。
現在名 | 万葉名 | 万葉漢字名 |
---|---|---|
アカネ | あかね | 茜、茜草、安可禰 |
アシ(ヨシ) | あし | 葦、安之 |
アセビ | あしび | 安之妣、馬酔木 |
アジサイ | あぢさい | 味狭藍、安治佐為 |
イチイガシ | いちひ | 伊知比 |
エノキ | え | 榎 |
オギ | をぎ | 荻、乎疑 |
オケラ | うけら | 宇家良 |
オバナ | をばな | 尾花 |
カキツバタ | かきつばた | 垣津幡、垣津旗、垣幡 |
カシワ | かしは | 柏、我之波 |
クズ | くず | 真葛、田葛、久受 |
クリ | くり | 栗、久利 |
マコモ | こも | 薦、許毛、許母 |
サクラ* | さくら | 佐久良、作楽 |
サカキ | さかき | 賢木 |
ササ* | ささ | 佐佐、小竹 |
サネカズラ | さねかづら | 狭根葛、佐奈葛 |
シイ* | しひ | 椎、四比、思比 |
シキミ | しきみ | 之伎美 |
スミレ | すみれ | 須美礼 |
スギ | すぎ | 杉、須疑、椙 |
スゲ* | すげ | 菅、須気 |
ススキ | すすき | 為酎木、須々吉 |
セリ | せり | 世理、芹子 |
タチバナ | たちばな | 橘、多知波奈 |
タケ* | たけ | 竹、多気 |
チガヤ | ちがや | 茅 |
ツガノキ | つがのき | 樛木、都賀乃木 |
ツツジ* | つつじ | 都追慈 |
ツバキ | つばき | 都婆吉、都婆伎、椿、海石榴 |
ナデシコ | なでしこ | 石竹、奈泥之故、矍麦 |
ニレ | にれ | 爾礼 |
ハギ* | はぎ | 波疑、波義、芽子 |
ハマユウ | はまゆふ | 浜木綿 |
ヒノキ | ひ | 檜 |
フジ | ふぢ | 藤、敷治 |
フユアオイ | あふひ | 葵 |
マツ | まつ | 松、待、麻都 |
マメ* | まめ | 麻米 |
ミル | みる | 美留、見流、海松 |
ムラサキ | むらさき | 紫草、紫、牟良佐伎 |
モ | も | 藻、毛、母 |
ヤマブキ | やまぶき | 山吹、山振、夜麻夫伎 |
ヤナギ* | やなぎ | 也奈宜 |
ユズリハ | ゆづるは | 弓弦葉、由豆流波 |
ユリ* | ゆり | 百合、由利 |
ヨモギ | よもぎ | 余母疑 |
ワラビ | わらび | 和良比 |
ワカメ | わかめ | 和可米、稚海藻 |
万葉集の用字法は、漢字の意味を無視してその音または訓を利用したもの(これを万葉仮名という)と、漢字本来の意味を利用したものとがある。万葉仮名は漢字を表音文字として利用するものである。漢字の音を一字一字当てて子供の名前をつけることがあるが、それはまさに万葉仮名の用字法そのものである。したがって、万葉仮名は今日の人名や地名の多くに用いられており、現代でも生き続けているといってよいだろう。万葉の植物名も万葉の用字法にしたがって記述されており、上の表で明らかなように一つの植物でも複数の表記があるものもある。例えば、マツは、「麻都」は漢字の音を利用した万葉仮名、「待」が訓読みの漢字によるもの、「松」が漢字のもつ意味を利用するものである。中には「海石榴(ツバキ)」のような中国名もあって簡単には読めず、別途、考証が必要となるものもある(→ツバキの語源について)。上の表で挙げたものから万葉の植物には身近な植物が多いことがわかるだろう。表中、赤青で表示したものは当時の植物の名がはっきりとわかるものである。万葉時代には8母音87音節の上代日本語が話されていたといわれる。今日の5母音47音節より多く、当然、発音は異なるはずである。それを差し引いたとしても、万葉時代から1200年以上経っているにもかかわらず、上表の植物名はほとんど変わっていないと考えてよい。中には全く名が変わってしまった植物もある。万葉集中にある「安佐我保」、「朝皃」、「朝容皃」とあるのがそれで、いずれも“あさがほ”と読む。今日にいう「朝顔(アサガオ)」ではなく、キキョウのことを指すと考えられている。“あさがほ”は朝にきれいな花を咲かせる植物に対して与えられた名前のようで、平安時代に中国から渡来したアサガオにその地位を譲り、中国名の桔梗と名を変えたのである。一時はムクゲも“あさがほ”と呼ばれた時期があったともいわれる。一方、目立つ花と違って、地味な野草は他種に脅かされるほどの地位もなければ立派な名前をつけられているわけではないので、今日まで名前が変わらなかったといえるだろう。万葉の植物の名はそれより古い時代から継承されてきたはずだから、当然、それより古い時代の言葉による語源があり変化してきたはずである。しかしながら、上代より古い時代では日本には文字がなかったのだから考証する術はない。したがって一部を除いてもっともらしい語源はわからないのである。
●万葉の花の語源の解明は無意味である!
植物名の語源の考察は学問的意味や実用的意味はほとんどないので、学識の高い人ほど関心は低い傾向がある。逆に、学識とは遠い一般人ほど語源、ルーツに高い関心を示す。したがって、好奇心の高い一般人は語呂合わせだけで作り上げられた語源説を簡単に信じ込む傾向が強いのである。これがさらに一般人によってネット上にもっともらしい説として流布され、これが循環となって怪しい説が次々に出てくるのである。もっとも胡散臭いのは朝鮮語起源説である。日本にない植物であって朝鮮半島原産であれば朝鮮語に由来しても不思議はない。しかし、朝鮮では歴史的に花卉園芸の発達は未熟であり、また同じ植物区系(日華区系)に属し生物多様性も日本列島と比べるとずっと貧弱であるから、朝鮮から日本へ渡来した植物はきわめて限られている。朝鮮原産とされ日本に渡来した植物の一つにコリヤナギSalix koriyanagiがあるが、柳行李の原料として用いられるのでその名の由来があり、かろうじてコリ(Koli)に朝鮮語名の残滓を見るのみである。韓国の国花であるムクゲHibiscus syriacusは意外なことに中国原産であって漢名を「木槿(もっきん)」という。ムクゲは日本でも広く植栽されるが、中国からではなく朝鮮半島を経て渡来したため朝鮮語名である「無窮花」が伝わった。ムクゲは無窮花の日本式読みである「ムキュウゲ」が訛ったものであり、朝鮮語音の「ムグンファ」から転じたものではない。このように列記とした朝鮮由来の植物でも名前は漢字名(ハングルはごく近世に普及した)で伝わるので、語源は必ずしも朝鮮語音に由来する訳ではないのである。日本に自生しない植物ならともかく、自生種の名前まで朝鮮語由来とする説があるには閉口する(例:トチノキ;トチノキ属は朝鮮にはない)。次にその例を挙げる(深津正、「植物和名語源新考」、八坂書房、1995年)。中には日本語名が朝鮮語に転化したと考えるべきものもある(カシ、クリ、ツバキ)。
日本語名 | 朝鮮語名 | 日本語名 | 朝鮮語名 |
---|---|---|---|
カシ(の木) | Kasi | ツバキ | Ton-baik |
クリ | Kul | トチ(ノキ) | Totol |
タブ(の木) | T'on-baik | ナズナ | Nazi |
チ(カヤ) | Ttui | ヒル | Pil |
ツツジ | Tchol-tchuk | ユリ | Nari |
ユリは万葉では由利または百合として出現するが、これはユリ属の総称であって特定の種を指すのではない。日本は野生ユリの世界的な宝庫として知られ、東日本を中心として分布するヤマユリL. auratum、主として西日本に分布するササユリL. japonicumはユリの中でもとりわけ美しく、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」といわれるに恥じない野草の女王に相応しい。古い名であるユリの語源として朝鮮語のnariに由来するという説があるが、音韻から考えても無理と考えざるを得ない。また、朝鮮にはもっともユリらしいヤマユリ節やテッポウユリ節種(これらがいわゆる百合はこれらに属する)は分布せず、中国でいう山丹(オニユリの類)、巻丹(ヒメユリ)しか分布しない。したがって紅赤色の花被が大きく反り返り上あるいは下向きの花をもつ朝鮮産ユリ(Nari)が白色で横向きの大型筒状花の日本産種(ヤマユリやササユリなど)にNariの名が冠せられるとは考えにくい。沖縄には園芸価値の高いテッポウユリL. longiflorumが海岸近くの岩場に自生し、本土産のユリ類は栽培種としても見られない。琉球語ではこれを「ユィ」と呼ぶ。多分、yuriでrの発音が欠落したもので、古い日本語の特徴を残すといわれる琉球名からもユリの語源は純粋な和語というべきである。クリ(久利、栗)は縄文時代早期から果実を食料に幹は建築材に広く用いられてきたことは三内丸山遺跡などの考古学資料から明らかであるが、その語源は朝鮮語のKulに由来するという説がある。縄文時代~古代の日本人が重要な有用植物であるクリに名前をつけなかったとは考えにくい。また、朝鮮ではクリだけでなくクヌギなどの堅果類もKul-bamと呼ぶという。すなわち、名前のすみ分けが未熟であり、むしろ名前のすみ分けが明確な日本からクリの名前が朝鮮に渡ったと考えるべきである。朝鮮ではクリは南部の限られた地域にのみ分布する。日本列島が大陸と陸続きであった時代に、いわゆる満鮮植物要素と呼ばれる草本植物群(オケラ、ムラサキなど)が日本に渡来した。一方、日本列島からはクリ、ツバキ、カシ類の一部が朝鮮に渡った。これらは比較的最近に起きたことなので、種分化はほとんど進行していない。したがって朝鮮半島のクリの遺伝的多様性が低く、朝鮮産クリの品種改良は低調だったのもそのためである。江戸時代の朝鮮通信使の記録(第十四回通信使南龍翼の『扶桑録』による)によると日本でふるまわれたクリをわざわざ「大きなクリ」と記載しているのも、朝鮮に品種改良した大きな果実のクリがなかったことを示している。丹波栗が朝鮮半島からの優良なクリ品種を起源とするというのは誤りであることがわかるだろう。もともと朝鮮栗と称するのは中国原産のアマグリであって、李氏朝鮮時代には清朝中国への主要な朝貢品でもあったのだ。カシ類は照葉樹林の代表的樹種だが、朝鮮南端部にアカガシがかろうじて分布するにすぎない。にもかかわらず、カシは朝鮮語のKasi-namに由来するという説がある。朝鮮ではカシの堅果をKasi-bamという。驚いたことに、同属(Quercus sp.)ながら落葉樹種であるコナラ類の果実もKasi-bamと称する。ここでも植物種名の分化が不十分なのだ。日本ではカシ類は建築工芸材に古くから利用しているので、人の生活との結びつきは強く自前の名前がないと考える方が不自然である。これもやはり日本語のカシが朝鮮語のKasiに転じたと考えるのが自然なのだ(→万葉歌の植物:カシとその語源についてを参照)。カシの語源は「堅し」が「カシ」になったものである。これ以上、文句付けようがないが、これでも納得いかないご仁がおられるようだ。これがこじつけなら、万葉名の「はちす」が訛ったハスはどう説明するのだろう。ツバキと並んで照葉樹林の代表的樹種として知られるクスノキ科タブノキMachilus japonicaの語源も朝鮮語の丸木舟を意味するt’on-baiに由来するという説がある。古代に丸木舟を造ったからという註3が、別に丸木舟をつくったのは朝鮮半島人だけでなく縄文以来の日本列島人もつくったのであり、それをもって語源の由来とするのはあまりに安易な発想である。ツバキやカシ類と同様、亜熱帯性のタブノキは朝鮮半島の南部にしかなく、冷涼な朝鮮では船を造るほどの大木は育ちにくい。沖縄では山地にごく普通に生える植物であるが、古くからタブと称している。タブのほか、タモ、タマなどの多様な類似方言名があり、朝鮮語からの転化を考えるのは不合理であり、やはり和語と考えるべきで、逆に日本語から朝鮮語に転じたとしても全く不思議はないのだ。朝鮮語起源説に共通するのは、いずれも古代の朝鮮語ではなく現代ないし中期朝鮮語に基づいていることである。しかし古代朝鮮語というものがほとんど解明できていない現状では、朝鮮語起源を前提とする語源考察は全く意味はない。また、前述したように、植物の名前の多くは漢字で伝わる。これは中国産、朝鮮産のいずれでも同じであり、日本人はこれを日本式に読んで植物名としてきた歴史がある。すなわち、必ずしも原産地の語音に由来するとは限らない註4のである。このことは学識者には通じても非学識者あるいは学識者を装う者(特におたく)には通じない。前述の例のように朝鮮語名と日本語名が似ているというだけで、あるいは一定の音韻変化で両名が関連づけられる場合は、なおさら、自分が語源を明らかにしたという誇大妄想に耽溺する。それは学識に乏しいものが必ずといってよいほど陥る落とし穴であり、そこからは自説以外は全く見えなくなってしまうのである。
身近な植物の名は、山、空、雪、雨、風などのように、いずこの民族にとっても生活していく上での基本的語彙であったと思われ、それぞれ固有の名前を持っていたはずである。しかし、ある限られた地域にしかないものは必ず起源地があり、それが有用であれば時間とともに伝播していく。その一例がアヘンであり英語でopiumと称する。その語源はラテン語にあり、さらにその語源を辿ると古代ギリシア語のopionに行きつく。古代ギリシアはヨーロッパ文明の発祥地だから、全ての起源と見なされ、それ以上の追求はされない。万葉植物の大半は日本列島に原産するのであって朝鮮半島から伝播してきたのではないから、古い植物古名が朝鮮語に置き換わること註5はあり得ない。万葉の植物でもスギ註6やヒノキ、ヤマブキ、タチバナ、フジなどは朝鮮半島に分布しないから、さすがにこれらの名前を朝鮮語に求める説は見当たらない。しかし、ツバキのような朝鮮半島のごく一部にしかない植物でも必ずといってよいほど朝鮮語起源説があり(→ツバキの語源について、植物:和名および学名の話題)、無責任な語源説が巷を徘徊しているありさまである。前述したように、万葉集には160種以上の植物が認識され、歌に詠われるほど文化的地位があるのだが、朝鮮にそれに相当する文化があったという証拠は全くない。そういった背景からも朝鮮語に語源を求める必然性は全くないといっても極言ではないだろう。
植物名の語源説はネット上だけでなく単行本として出版されているのもある。しかし、学術的価値のあるものはほとんどなく、いわゆる「おたく」の一種といえるだろう。通例、植物名の由来の出典が明らかになれば、それがすなわち語源のはずである。前述の万葉植物の多くは今日に継承されているから、「○○の語源は万葉集に由来する」としてそれで十分である。実際には、万葉名の語源に言及する説が多くある。しかし、何度も繰り返すように、万葉以前の日本語の資料は残されていないから、その語源的根拠は全くない。一部の例外を除いて、語源おたくによるつまらぬ言葉の遊びと考えてかまわない。少なくとも筆者の知る限りでは、日本人ほど植物名の語源にこだわる国民はいない。「おたく」はOtakuとして海外にも知られるようになり、現代日本文化の特徴の一つと考えられている。新聞、雑誌等のメディアが植物に関する記事を掲載するとき、語源をネット上で検索することが多いと思うが、それが確かなソースに基づくかどうか吟味する義務があるだろう。何故ならば一般人を活字になった情報を無批判に信用する傾向が強いからである。
万葉の植物はそれなりの理由があって詠まれたと考えられるから、それだけ人と植物の濃厚な関わりがあったとして差し支えないだろう。古代人は有用な植物や身近にある植物種を識別して何らかの名前を付けていただろう。日本ではあまり知られていない学問分野に「民族植物学」という学問がある。これは英語のethnobotanyを和訳したもので、比較的新しい語彙である。この学問では、「植物が人によってどのように認識され使いこなされているか」、「人間社会とその依存する植物との間の互恵的関係」を研究する。基本的には、高度に文明が発達した現代社会では植物起源のものでも必ずしも身近な生活空間の中で調達しているわけではないから、こんな学問は成り立たないのであるが、ある程度過去に遡れば必ず植物を栽培あるいは野生から採集していた時代に行き当たるから研究対象はいくらでも出てくる。わが国でもこれほど豊かな植物資源があるのだから、長い歴史の間には人々が様々な目的で、外来植物も含めて多くの植物を利用してきたことは想像に難くない。ここでは万葉集に詠まれた植物を民族植物学視点にたって古文献を検証することによって考証してみたいと思う。その過程で植物名の語源の解明に役立つ情報に遭遇するかもしれない。前述したように、筆者は「おたく」ではないので、無理してまで植物の語源の由来を求めるつもりは毛頭ない。1200年以上前に編集された万葉集にある植物の名はそれぞれの語源の起源であり、文字のない時代にあってそれ以上遡って考証しても得るものはないからである。むしろ民族植物学の観点から長い歴史の間に積み重ねられてきた「人と植物」の相関関係を明らかにすることの方がはるかに有益であり、本サイトではそれを主目的とする。中には、古い時代の風習が意外な形で今日に伝承されている場合が多いことを予め強調しておきたい。