サフラン(アヤメ科)
Crocus sativus (Iridaceae)

safron

→戻る(2002.11.16;東京薬科大学薬用植物園)

【解説】 地中海沿岸から西アジア原産といわれる球根性多年草。葉は苞とともに地下茎から直接出て長さ15~20㎝、幅2~3㎜の線形。花期10~11月、花茎も地下茎から出て1〜4個の花を咲かせる。外花被と内花被がそれぞれ3枚ずつで淡紫〜紫色、倒卵〜倒披針形で先は鈍形。雄しべは3つあり、黄色の葯は細長く先が尖って曲がる。雌しべは鮮やかな真紅で、花柱はごく短く、柱頭は先端で大きく3分割して長く3cm以上に伸びる。柱頭を乾燥したもの(→生薬サフランを鎮静、通経薬として婦人用民間薬、家庭薬の原料とするほか、食品着色料として用いる。カロテノイド系色素クロチン(Crocin)を含む(→主な天然色素関連ページ。紛らわしい名前の薬用植物にイヌサフランがあるが、イヌサフラン科の別種である。地中海サントリーニ島のアクロティリ遺跡から、サフランを摘む女性たちが描かれた紀元前16世紀といわれるフレスコ画が発見され、青銅器時代には栽培されていたと考えられている(Moshe Negbi, “Saffron: Crocus sativus L.”, CRC Press, 1999)。しかしながら野生種は発見されておらず、3000年以上前から球根の分割を繰り返して栄養繁殖されたため不稔性となったとされる。『薬物誌』ではKROKOS(附図)に相当し、消化を促進し、収斂作用、利尿作用があり、目やにを止め、性病に効果があり、塗ると丹毒に伴う炎症を鎮め、耳の炎症にも効くと記載されている。英語でsaffronサフランというが、ラテン語の“safranum”に由来し、アラビア語の“az-za'faran”(زعفران)、ペルシャ語の“zarparān” (زرپران) などとも同源と考えられている。言語学的には「金の糸が張られた」という意味で、鮮黄色の雄しべ、あるいは本種の乾燥した柱頭が市場で高価で取引され、黄金に等しい存在だからと思われる。属名は古代ギリシア語の“κρόκος” (krókos)に由来し、『薬物誌』のKROKOSも同源である。この名もギリシア神話に所以があり、伝令神Hermēsヘルメース(“Ἑρμῆς”)の同性愛の恋人Krókosクロコスは、運動競技の最中、頭にヘルメースが投げた円盤が直撃して致命傷を負い、悲しみに沈んだヘルメースが彼を花に変身させ、頭から落ちた三滴の血がその花の3分裂した柱頭になったという。種小名はラテン語で「作物として栽培される」という意で、多くの有用作物の種小名に繁用される。
 西洋で3500年の長い歴史をもつ本種が中国に伝わったのは紀元後であり、現存漢籍では『證類しょうるい本草ほんぞう唐慎微とうしんびに「陳氏云ふ、其れ香ること十二葉にして百草のはならん。按ずるに魏略云ふ、秦國(“”の誤りでローマ帝国を表す)に生ずと。二月、三月に花有り、狀は紅藍の如し。四月、五月に花を採れば即ち香るなり」(巻第十三「木部中品」)とある“鬱金香ウコンコウをもって、中国におけるサフランの文献上の初見とする。鬱金香に初めて言及した「陳氏」とは陳蔵器ちんぞうき(739年に成立した傍流本草の『本草ほんぞう拾遺しゅうい』の編者)であり、前述の記述は陳蔵器注を引用した。一方、“魏略云”については『藝文げいもん類聚るいじゅう(唐代初期に成立)に「魏略に曰ふ、大秦國に鬱金をだすと」(巻八十一「藥香草部上 鬱金」)とあり、サフランに鬱金香という見当違いな名が付けられたヒントがここにある。鬱金は熱帯アジア原産だから大秦國ローマ帝国に産するはずはないが、西洋とインドとはペルシアを介して紀元前より頻繁な交流があり、古代の近東諸国においてはインド原産の鬱金Indianインディアン saffronサフランの名で呼び、その名は今日でも残る。両品の基原植物にはまったく類縁はないが、成分としては別系統ながら、いずれも黄色色素(サフランはクロシン、鬱金はクルクミンを含むという共通性がある。したがって鬱金、サフランのいずれも産しない古代の中国では、サフランを鬱金香と名づけて鬱金と区別し、本草では草部を避けて木部に収録せざるを得ず、時に混同することもあったのである。元代の薬膳書『飲膳いんぜん正要せいよう忽思慧こつしけい、1330年)に「咱夫蘭 味は甘く平にして無毒。〜即ち是れ回回の地面の紅花、未だ是否詳らかならず」とあり、ここで初めて“咱夫蘭サフラン”という西洋名を忠実に音写した漢名が登場した。“咱”は現代中国語では“zán”の音であるが、『康熙こうき字典じてん』は“咱”の音を「咂」(『篇海』)あるいは「査」(『中州音韻』)としているから、古くは“さ”と音読された。ところが明代後期に成立した『本草ほんぞう綱目こうもく李時珍りじちん番紅花バンコウカという新名を立て、『飲膳正要』の夫蘭とは微妙に異なる夫蘭を異名とした。『康熙字典』によれば、“洎”の音は「墍」「曁」あるいは「䀈」と同音で、いずれも“き”あるいは“ぎ”の音であるから、「さふらん」とは読めない。『本草綱目』はもう一つの異名「撒法郎」を載せており、“săfăláng”の音であるから、李時珍が“咱”を字体の酷似する“洎”と取り違えてしまったことがわかる。一方、番紅花は、李時珍が集解で「西番(新疆とその外境)囘囘回回の地靣(イスラム圏の地)及び天方國(アラビア)に出づ、即ち彼の地の紅藍花なり」と述べているように、紅藍花ベニバナの類と考えた。李時珍は「元時、以て食饌に入り用ふ」とも述べているので、『飲膳正要』を直接あるいは間接的に参照したことは間違いないが、同書を引用せず、あたかも『本草綱目』における新称であるかのように記載した。わが国では寛永十四(1637)年に和刻本『本草綱目』が刊行され、李時珍注がそのまま受容されたが、江戸中期に洋書が解禁されると事情は一変する。1763年初刊の『物類ぶつるい品騭ひんしつ(平賀源内)は、「ラテイン語サフラン紅毛語オランダ語フロウリスヱンタアリス又コロウクスヲリエンタアリ」とあるように、外来名を載せて記述している。「フロウリスヱンタアリス」はFloris entalis (entallis)かと思われるが、意味はまったくわからない。一方、「コロウクスヲリエンタアリ」は辛うじてCrocus orientaleと読み取れ、15世紀ドイツの“Gelb farb zu machen(訳:黄色を作るには)”というタイトルの文献に出てくるArtechne database。いかにもラテン学名のように見えるが、サフラン(Crocus)属各種の正名・異名に該当するものは見当たらず、Artechne databaseはCrocus orientaleをhistorical nameとし、current nameを“Crocus sativus L. (Saffron) colorant”としているので、サフランを用いた染色技術を指す名のようである。『物類品隲』はこのようなかなりマニアックな情報まで載せる一方で、第五巻に洎夫藍サフランの図絵を載せる。「此の一圖、紅毛本草を以て臨む」というように、オランダ人博物学者Rembertus Dodoneusの『CRUYDT-BOECK(草木誌)』(1554年)の図を書写したものである。平賀源内によると、生品も伝わっていたようであるが、絶滅したと述べている。サフランの乾燥花は輸入され、『廣惠こうけい濟急方さいきゅうほう(1789年)では通理方に、また『救急方』でも洎夫蘭を用いた処方を記載し、“血の道”(月経、妊娠、更年期障害など、女性に特有の病症に関連するものを総称していう)に用いるとあるように、当初では李時珍の影響を強く受けて紅藍花コウランカ紅花コウカに準じて用いられた。無論、『遠西えんせい醫方いほう名物考めいぶつこう(宇田川榛斎訳述・榕菴校補、1822年)では雜腹蘭サフラン丁幾ティンキ去爾テゥルすなわちサフランのチンキ剤について記載され、薬能を「蒸氣及ビ汗ヲ發病、毒、惡液ヲ皮表ニ驅發ス。惡性ノ痘、潜伏内攻シテ危險ノ諸症ヲ發スルニ用ヒテ速ニ排泄シ其諸症ヲ治ス」(巻十九 「左」)と記述し、当然ながら漢方とは大きく異なる。以上、本種の生品がわが国に伝わったのは、平賀源内のいうように、江戸中期であるが、定着して図絵に表されたのは幕末の1863年にフランスから球根を取り寄せてからであり、伊藤圭介の『植物しょくぶつ圖説ずせつ雜纂ざっさん』に彩色図絵とともに詳しい記載がある(191)。ただし、秋咲きの真生サフランのみならず、紫斑花、黄花、白花の春サフランや花サフランなどと呼ばれる園芸種も含まれ、また「紅毛オランダニテト呼モノ」は前述のIndian saffronではなく、インド産のsaffronの意であることに留意する必要がある。すなわち、この時期に薬用サフランと園芸サフランも合わせて渡来したのである。以上の詳細は総説「カミツレ、サフラン、ローズマリーの渡来と語源」を参照。
引用文献:References参照。