毎日新聞に「14色のペン」というコラムがある。14人の中堅どころの記者が交代で執筆するおよそ2000字前後のコラムであるが、facebook上にもアップされるので、定期購読者でなくてもfacebookのユーザーであれば目にした人は少なくないだろう。ここで言及するのは本年1月29日付けの「国会はダイエット?」というタイトルのコラムである。ダイエットはいうまでもなく英語のdietに由来する外来語であるが、Merriam-Webster Dictionaryは次のように記載する。
一方、日本国語大辞典では「健康増進や体重減量などのための規定食、または太りすぎ防止のためにする食事制限」とあるので、わが国ではMerriam-Websterにいう4の意に限定して使われていることになり、厳密には“diet=ダイエット”ではないことに留意する必要があろう。実はMerriam-Websterにはほかに“a formal deliberative assembly of princes or estates(王族または特権階級による形式的な審議会)”と“any of various national or provincial legislatures(さまざまな国または州の議会一般)”という意味の記載がある。それにもかかわらず、当該のコラムはそれにいっさい言及せず、国会の公式英語名“The Diet”を俎上に上げ、“なぜ日本の国会をダイエットというのか”と論じるのは片手落ちというほかはあるまい。その是非については後に譲るとして、まずこのコラムの概要を紹介しておこう。本年1月23日の通常国会の施政方針演説の冒頭において、岸田首相は欧州のある首脳から「なぜ日本では議会(国会)のことをDietと呼ぶのか」と質問されたことを紹介している。たまたま産経新聞1月23日電子版が岸田首相の演説文の全文を掲載していたので、正確を期すため当該部分を引用する。
先日の欧州・北米訪問の際、ある首脳から、「なぜ日本では、議会のことを、英語でparliamentではなく、Dietと呼ぶのか」と問われました。確かに、ほとんどの国は、議会を英語でparliamentと呼ぶようです。調べてみたところ、Dietの語源は、「集まる日」という意味を持つラテン語でした。
岸田首相の演説文ではこれ以上追及することはなかったが、それに対して毎日新聞のコラムニストは皮肉たっぷりに次のように述べている。
ただ、首相のエピソードは「ラテン語でした」で終わってしまった。質問した外国首脳はこの内容を聞いても「言葉の由来は分かったが、私の問いには答えてくれていない」とフラストレーションがたまるのではないだろうか。
首相は外遊先での話題としてごく軽い気持ちで取り上げたにすぎないが、英語ほか欧州の言語はラテン語から借用した語彙が多いから、このコラムニストにとってあまりに平凡すぎて物足りなかったのかと思いきやそうでもなさそうである。後に述べるように、政局を批判するための寓意として“diet”と“ダイエット”を取り上げて都合のよい部分だけをつまみ食いしたにすぎず、言語学的由来の考証が杜撰だったのもそのためである。以降、その経緯を逐次述べてみたい。電子版ではコラムの3分の1だけが公開され、残りは契約登録しないと読めないのであるが、後日、facebook上を閲覧していると、偶然、当該コラムの全文を見つけ(コラムニストが個人的にアップロードしていた)、衆院事務局がyoutube上で国会の英訳”Diet”の由来を紹介しているというのだ。筆者は当該のyoutubeを見つけられず確認はできなかったが、明治憲法の起草に関わった伊東巳代治という人物が成立したばかりの帝国議会をImperial Dietと英訳したことが始まりという(ここでは引用しないが別の資料で確認済み)。明治政府が当時のプロイセンやドイツの諸制度を手本としたことは教科書にも記載される歴史的事実で、帝国議会のもとになるドイツ語はReichとtagからなる複合語“Reichstag”であることもよく知られている。ただしコラムでは言語学的経緯について往々にして説明不足のところがあるのでここで補足しておく。“Reich”と“tag”はそれぞれ英語の“empire”、“day”に当たり、Imperial Dietと翻訳されていることから、語源的に“day“と“diet”は関連がありそうなことはわかるが、その経緯は以下に示すようにかなり複雑である。英語で“way of life”あるいは“daily work”と訳される古代ギリシア語のδίαιτα (英字アルファベットでは“diaita”に相当)が古ラテン語で“diaeta”、中世ラテン語では“dieta”に転じ、さらに中期英語に導入されて“diete”となったという。岸田首相は複雑きわまりない中間の経緯を省略し、英語のdietがラテン語に由来するという結論だけを述べたのであるが、実はもっとわかりにくいところがある。それは“day”は“daily”の意であり、“daily regimen”から日本語化したダイエットに近い意が、そして“day’s journeyや“day set for a meeting”などの用例から、日本語に取り入れられることのなかった会合とか議会の意が演繹されるというところである。前述のMerriam-Websterや英語版のWikipedia にその旨が記載されているが、確固たる文献的エビデンスを提示していない。そもそも言語学的考証にあっては普通にあることだから、一般通念として広く支持されているゆえ、Wikipediaはunknown(不詳)とはしなかったのであろう。これによってMerriam-Websterの“food or drink regularly provided or consumed”という記載において“regularly”が“daily”に通ずることが初めて理解できるのであり、日本語化されたダイエットそして国会を意味するDietのいずれも前述した古代ギリシア語、ラテン語に由来することが明らかになる。すなわち毎日新聞のコラムはそれについて言及しなかったばかりか、安易に“diet=ダイエット”として論考してしまったことになる。ドイツ語のReichstagは古代ローマ帝国の後継である神聖ローマ帝国までさかのぼるが、当時の公用語は中期ラテン語だったから、Dieta Imperii (あるいはComitium Imperialeとも)と表記されていた。しかし住民の多数派はゲルマン語を話していたので、Reichstagが後のプロイセン、ドイツ、オーストリアに継承された。
前述したように、毎日新聞のコラムは単にDietの語源説明に言及するのが目的ではなく、防衛力強化を目的とした増税や原発の積極的活用など、それまでの政策を大きく転換しようとしている現行政府の批判を主目的とする(と筆者は解釈している)。実際、岸田首相がこの話題を出したのは「しっかり国会で議論したうえで決める」との姿勢を示したかったと解釈し、“Dietの呼称は日本の政治の旧態依然とした姿も象徴している、というのは言い過ぎだろうか”と締め括っているのだ。さらに Dietの呼称を使い続けているのは世界でほぼ日本のみで、皇帝や国王が議員を指定した日に召集し、示された事柄を協議したり権力者の方針を追認したりする機関といった前近代的な語感があるとも言い切っている。このあたりは天皇が臨席して召集する日本の国会のあり方を間接的に批判しているようにも見える。しかし世界で議会の英名にDietを採用するのは日本を含めて3ヶ国あり、そのあたりをこのコラムは正確に伝えていない。日本の衆議院に相当するドイツの下院はドイツ語でBundestagといい、英名をFederal Dietとしている。前述したように、“tag”は神聖ローマ帝国の“Reichstag”にまでさかのぼる古い名前でラテン語の“Dieta”に通じることは既に述べた通りである。もう1ヶ国はドイツ語を公用語とするリヒテンシュタインのLandtagで、これも“tag”を含むが、単にDietと英訳される。世界的にみれば、確かにDietは圧倒的に少数派ではあるが、どの国の議会であれ、その呼称は当該国の歴史を反映しているはずである。たとえ皇帝の支配権を強固にする目的をもつ機関(歴史学では神聖ローマ帝国のReichstagはそう解釈されている)を起源とするとはいえ、今日まで継続しているのはその存在自体に相応の歴史的あるいは文化的価値が認められているためと考えられよう。明治時代の帝国議会の“Diet”を現国会が継承しているのも通常国会に天皇が臨席するという現実を踏まえているからであろう。それは現行憲法に規定されたれっきとした国事行為であり日本共産党すら認めているのである。推測にすぎないが、帝国議会が国会(“国民会議”の略)と名を変えたのは、英語に直訳すれば、“National Assembly”(国民:national;会議:assembly)となるからであろう。因みに世界ではフランス、韓国など60ヶ国以上がこの名を採用している。天皇制は新憲法のもとでも継続し、多分にGHQにより強制されたきらいはあるが、政権交代によって日本は生まれ変わったというのが多くの日本人の認識だろう。明治政府が革命ではなく徳川幕府の大政奉還によって成立したのと基本的には同じである。したがって和名は世界の趨勢にしたがって“National Assembly”を直訳した“国会”を採用し、英名は過去を継承して“Diet”を残した先人のバランス感覚にむしろ感服すべきだろう。毎日新聞のコラムニストは自らのスタンスに権威を付して読者に印象付けようとしてかかる蘊蓄を披露したのであろうが、博引旁証を怠り中途半端に終わっているのは当該の件に対して基礎知識をもたない一般国民を結果的に愚弄していることになるとはいえまいか。安倍政権の時代では“忖度”が流行語になったが、普通の日本人が使うことはない難解な漢語を駆使することによって結果的にあいまいな形で世論を誘導操作しようとしたと筆者は考えている。というのは一般国民を巻き込んで政局を批判する場合で国民の多くが正しく理解していると思えない難解な語彙を使う必要があったとはとうてい思えないからである。毎日新聞に限らずほかのメディアも含め、自らの意見を国民に対して提示する場合は上からの目線を改めなければならないと考える。