漢方というと今日ではいわゆる漢方薬を処方して病気を治す医方と一義的に考えられがちであるが、歴史的には針灸療法や導引 (按摩術)のような物理療法も含めた古医方の総称である。いうまでもなく処方薬の内服による内科的療法が漢方の中心であり、これを湯液療法と称して針灸などとは区別している。しかしながら、漢方といえば漢方薬というほどに湯液療法がもっとも重要な位置にあることは疑問の余地がない。ここではその歴史について簡単に説明するとともに何故いま漢方が注目されているか述べる。
今日では世界いずれの国も近代西洋医学を正規の医学(official medicine)と規定している。わが国も明治維新になってそれまでの漢方医学に替えて西洋医学を採用し今日に至っている。近代西洋医学は現代医学(modern medicine)とと名前を変えて世界を席巻したのであるが、近代科学の成果を積極的に導入し、20世紀に多くの感染症を克服したことが大きい。近代西洋医学の基本原理はいたってシンプルであり、症状と反対の作用をもつ薬物を投与することにより治療を行うアロパシー医学の典型である。それがもっとも効果的に作用したのが対感染症治療であり、近代科学を積極的に導入して病因である感染菌を究明し、それを徹底的に叩いて克服することに成功したのである。一方、漢方医学を含め世界の伝統医学は伝統に固執するあまり、近代科学の導入には消極的であったため、近代西洋医学に駆逐されてしまった。しかし、民間で細々と命脈を保っているに過ぎなかった伝統医学に、最近、新しい潮流が起きつつある。それは西洋医学が伝統医学を補完医学(complementary medicine)として積極的に取り込もうとしていることである。エイズの治療はいわゆるカクテル療法の確立で劇的な効果をあげ、最近では「エイズは脅威」という文言が消えつつある。カクテル療法とは核酸系と非核酸系逆転写阻害剤とプロテアーゼ阻害剤の三点の薬剤を投与して行うのであるが、一つの標的に対して複数の薬剤を用いるというこれまでの西洋医学では考えられない大胆な発想に基づくものであった。これを開発したのは中国系米国人であったが、複数の薬剤を投与するのが当たり前の中国伝統医学の文化的影響があったのではないかといわれる。カクテル療法の組み合わせも科学的に組み立てられたというより、気、血、水 それぞれの病毒に対する方剤を配合するという哲学的ともいえる漢方医学の発想に近いものがある。エイズカクテル療法に限らず、最近の欧米に置ける抗癌標準治療法でも複数の薬剤の併用が主流であり、単一の薬剤投与は稀になりつつある。一時は強い副作用で開発が断念されたカンプトテシン系抗癌剤(イリノテカンなど)もシスプラスチンとの併用でその切れ味の鋭さという長所が生かされるようになった。イリノテカンはトポイソメラーゼを阻害し、シスプラスチンはDNAに架橋をつくることにより癌細胞の増殖を抑える細胞傷害性薬剤である。このように異なるタイプの分指標的薬を2点あるいは3点組み合わせるというのが最近の抗癌療法の主流である。前述したように、西洋医学は感染症の場合のように病因がはっきりしている時は非常に強力であったが、病因がはっきりしない生活習慣病などの場合では思ったほどの治療効果が得られていない。かかる分野では漢方医学にある程度の有効性が科学的に認められ、漢方方剤の使用が多くなっている。また、西洋医学では男女差、患者の体質などは考慮しない画一治療であるが、最近ではそれに対する反省が目立つようになった。いわゆる性差医療とは、女性に特有の更年期障害や月経不順などを対象として、それまで西洋医学が病気とは認めてこなかった症状に対して正面から対処するものであり、多くの処方を治療薬として用意してきた漢方医学が注目を集めている。また、「証の概念」から明らかなように、漢方医学は患者の体質などを考慮して同じ症状であっても異なる処方を用意するなど画一的ではない治療法を実践してきた。最近の言葉を用いるならば、漢方医学はテーラーメイド医療そのものといえよう。漢方医学が用いてきた処方薬をハード資産とすれば、証の概念などに代表される独特の診断治療理論はソフト資産ともいうことができるが、最近、補完医学の名の下に注目を集めているのは後者である。漢方の理論は一般に難解であり、その基本思想は哲学的でもある。しかし、西洋医学も全て論理的であるわけではない。西洋医学の立場から見て漢方理論が新鮮に映る点は多いのではないかと思われ、ソフト面での積極的活用から新しい世界が切り開かれるのではなかろうか。また、ハード資産ともいえる処方薬は多様な生薬からなり、実際の医療への応用から得られた知見に基づいて方剤の詳細な解析が進むにつれ新しい治療法が生まれることが期待されよう。
漢方医学は、古代中国の医学が古い時代に伝来し、それが元となって独自の発展をして完成されたものをいう。今日では、漢方医学とは、中国の伝統医学と、中国古代の医学を源流として後に独自の発展をとげ日本流につくりかえられた医学の両方の意味があり、一般人の間ではどちらも同じと誤解されることが多い。実際には、わが国の漢方医学と中国の伝統医学とでは医方において異なる点も多くなっているので、別ものと見る方が適当である。「漢方」はわが国独自の呼称であって、それが使われるようになったのは意外にも江戸末期と比較的最近のことで、一般に固定したのは皮肉にも漢方医学が明治政府により正規医学の地位を剥奪された明治時代になってからである。因みに、中国では中医学と称している。「漢字」は中国から伝来したのであるが、今日の中国で用いる「華字」と日本の漢字とでは字体も意味も大きく異なり、両者を同一視することはない。同様に、漢方医学は日本で発達した固有の伝統医学と考えるべきである。漢方医学の源流である中国医学最古の古典は前漢時代に成立したと考えられる『黄帝内経
』である。『黄帝内経』は陰陽五行思想で記述された難解かつ抽象的なものであったが、わが国の古医書である『
衆方規矩』では理論的には陰陽五行思想を基本としながら具体的な症候や病因を含めて記述している。これは明らかに古典から一歩踏み出てわが国の医家が独自の経験に基づいて編集したものである。江戸時代以降になると、各医家は古典にこだわらず経験的に創作した秘伝の医方を公開するようになったが、これを口訣と称している。口訣は日本漢方の特徴の一つであり、これが本家中国医学との間に多くの相違を生むもとになったのである。因みに、朝鮮にも中国の伝統医学に源流をもち漢方に似た韓医学があり、わが国と似た経緯で中国医学とは少なからぬ隔たりがある。
中医学と漢方医学の違いは実際に用いられている処方の違いがあることで実感することができる。実際、中国古典医書に起源をもつ同一名処方でも中医学と漢方医学では配合生薬に違いが見られることが多いという事実がある。小柴胡湯はもっとも繁用される処方の一つであるが、日本で用いられる処方にはサイコ(柴胡)、オウゴン(黄芩)、チクセツニンジン(竹節人参)、カンゾウ(甘草)、ショウキョウ(生姜)、ハンゲ(半夏)、タイソウ(大棗)が配合されている。しかし、中医学の処方では竹節人参の代わりにトウジン(党参)が用いられる。党参の基原はキキョウ科ヒカゲツルニンジンCodonopsis pilosura又はトウジンC. tangshenの根であり、ウコギ科トチバニンジンの根茎を基原とする竹節人参とは全く別物である。わが国に野生するツルニンジンC. lanceolataも党参の代用とされる。小柴胡湯にはもともと竹節人参ではなくニンジン(人参;ウコギ科オタネニンジンの根)が配合されていたのであるが、わが国独自の生薬として竹節人参(基原植物トチバニンジンは本邦だけに自生する)が配合されるようになった。そのほか、大建中湯、呉茱萸湯、半夏瀉心湯なども人参の代わりに竹節人参を用いることがある。人参を含む漢方処方は多いが、中医学の処方には人参の代わりに党参を用いるものがかなりあり、わが国で繁用される処方では四君子湯もその一つである。人参は昔から高価な生薬であったが、日中でその代用品が異なるということはそれぞれの地域で独立に伝統医学が発達した証拠ともいえる。小柴胡湯を構成する重要生薬の一つである甘草も日中で異なる。基原は同じであるが、中医学で用いるのは通常の甘草を炙って皮去りとした炙甘草であり、いわゆる修治を加えたものである。漢方では専ら皮付き甘草を用いるが、中医学では通常の甘草を清熱解毒、炙甘草を補中益気として区別している。一般に中医学で用いる生薬には修治を加えたものが多いのが特徴である。そのほか、中医学、漢方医学で用いられる同名生薬の基原の違いも無視できない。表1は漢方医学で繁用される生薬で基原の異なる例を挙げたものである。同属異種のものが多い中で、川芎(センキュウの根茎)のように別属種が用いられる例もある。中国は国土が広大なこともあって地域によって植物相(フローラ)が異なる。そのため、地域によっては正品とは全く基原を異にする生薬が使われることがしばしばあり、時にそれによって深刻な健康被害が起きたこともある。当帰四逆湯は冷え症用薬としてわが国では婦人科で繁用される処方であるが、中国製の同名処方薬が輸入されている。ところが、中国産処方の配合生薬の一つ木通(日本薬局方ではアケビ又はミツバアケビの茎を正品とする)で木本つる性のウマノスズクサ属植物を基原とするものがあり、これによって長期投与した患者に腎不全が起きた事件が発生している(実際に起きたのは当帰四逆加呉茱萸生姜湯であった)。ウマノスズクサ属には有毒成分であるアリストロキア酸が含まれ、これが腎不全を起こす原因物質である。類似の事件は欧州や米国でも発生している。ボウイ(防已)も漢方で繁用される生薬であるが、中国産同名生薬の中にはウマノスズクサ属植物を基原とするものが散見されるので注意を要する(→以上のことは厚生労働省医薬品・医療用具等安全性情報を参照)。基原は同じでも薬用部位が違えば成分相が異なることが多いのであるが、実際、中医学、漢方医学で薬用部位を異にする生薬が存在することにも留意する必要がある。とりわけサイシン(細辛)は中医学では全草を使い、その地上部にはアリストロキア酸が含まれるとされるので注意する必要がある。そのほか、漢方では花穂を用いるインチンコウ(茵陳蒿)は中医学では幼苗を綿茵陳として用いる。また漢方処方で桂枝湯を始め桂枝の名を冠したものが多いのであるが、日本漢方では樹皮、すなわちケイヒ(桂皮)をもちいるが、中医学では実際に小枝が用いられ、樹皮は幹皮と区別される。
生薬(漢名) | 基 原 |
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ボウイ (防已) |
(中)Stephania tetrandasの茎(ツヅラフジ科) (漢)Sinomenium acutumの茎(ツヅラフジ科) |
コウボク (厚朴) |
(中)Magnolia officinalisの樹皮(モクレン科) (漢)M. obovataの樹皮(モクレン科) |
トウキ (当帰) |
(中)Angelica sinensisの根(セリ科) (漢)A. acutilobaの根(セリ科) |
センキュウ (川芎) |
(中)Ligusticum chuanxiongの根茎(セリ科) (漢)Cnidium officinaleの根茎(セリ科) |
【小柴胡湯】
サイコ(柴胡)、ハンゲ(半夏)、オウゴン(黄芩)、チクセツニンジン(竹節人参)、タイソウ(大棗)、カンゾウ(甘草)、ショウキョウ(生姜)からなる処方で、胸や脇腹が重苦しくて疲れやすく、悪寒があったりなかったりの状態が続き、微熱、食欲不振、咳が出る症状に用いる。漢方医家によって竹節人参の代わりに人参を用いることも多い。
【当帰四逆湯】
タイソウ(大棗)、トウキ(当帰)、ケイヒ(桂皮)、シャクヤク(芍薬)、モクツウ(木通)、サイシン(細辛)、カンゾウ(甘草)からなる処方で、冷え症に用いられる。冷え症の特徴はしもやけなどができやすいことである。
【当帰四逆加呉茱萸生姜湯】
当帰四逆湯にゴシュユ(呉茱萸)、ショウキョウ(生姜)を加えた処方。当帰四逆湯の証の特徴は脈が細く沈んでいて腹にガスがたまる傾向が特徴で、手足の冷えのほかに下腹部が張って痛くなること(俗に寒腹、雪腹と称するもの)があり、この場合、本処方を用いる。
漢方医学は長い歴史の途上で基本理論において大きな隔たりを生み出し、今日では、古方医学派、後世方医学派の二大学派の存在に留意する必要がある。古方医学はわが国において江戸時代中期以降に発達した学派であり、陰陽説を基本とするものであるのに対し、後世方医学は中国の宋代以降に発達した学派で『黄帝内経』の流れをくんで陰陽説に五行説を組み合わせた哲学的かつ観念論色の濃いものなので、両者の間に用いる処方も理論もかなりの隔たりがある。後世方医学では各生薬に性と味が備わっているとし「四気・五味」によって生薬を分類している。四気とは寒、凉、熱、温(このいずれにも属さないものは平とし、四気には加えない)であり、寒、凉の気とは体内の熱を冷ます作用のことをいい、寒の方が凉より作用が強いとする。逆に熱、温の気は体を温める作用があり、熱の方が温より作用が強いとする。その治療方針は「寒を治するに熱薬を以てし、熱を治するに寒薬を以てす」という『神農本草経』の序文にある原則を踏襲する。五味とは辛、酸、甘、苦、鹹であり、各生薬がもつ味を5種類に分類する(味がないものは淡とし、五味には加えない)。五味は薬効に深く関わるものとされている。辛の味をもつ生薬は発散、行気の作用があり、苦は燥湿、瀉火、瀉下の作用があるなどとされる。後世方医学では病態を診断した後、四気・五味の生薬の特性を基に弁証的に処方を組み合わせて作る「弁証論治」を原則とし、これは現在の中医学にも受け継がれている。一方、古方派漢方では五行説の濃厚な四気・五味はほとんど無視され、患者の病態の診断結果に応じて処方を選択するという「随証治療」を原則とする。「診断法も古方医学では腹筋と腹の内部の状態を触診する腹診法といわれるものを主とするのに対して、後世方医学では脈の状態と症状の関連を重視する脈診法を用いる(→漢方医学の診断法を参照)。いずれの学派も薬物療法においては後漢の張仲景が著したとされる『傷寒雑病論』を基礎としている。これは後に『傷寒論』と『金匱要略』の二書に分かれ、漢方医学の古典となっている。古方派は「傷寒論」の中に散在する『黄帝内経』の思想を除去し、具体的かつ実証主義的視点から傷寒論を再評価しようと努め、後世派の観念論を排除し経験的実地医学の立場からわが国独自の漢方医学を構築した。その基本的理論は陰陽、虚実、表裏・内外、三陰三陽の説であり、後に気、血、水の病理論が加わった。江戸時代中期の代表的な古方派漢方医である吉益東洞は著書『薬徴』で代表的な生薬の薬効について記したが、四気・五味には触れず自らの実証的経験に基づいて直接薬効について言及している。例えば、麻黄について薬徴は「喘咳、水気を主治するなり。旁ら、悪風、悪寒、無汗、身疼、骨節痛、一身黄腫を治す。」と記載する。一方、中医学では「辛・微苦、温」の性味をもつ薬とされより抽象的ではあるが、これは旧来の処方を修飾して新しい処方を創作するには都合の良いものであった。しかし、これが実際に病気に治療に役立つかどうかは別問題であり、かえって解析を困難にしたと思われる。古方派漢方はあえて古典医学の標準的処方にこだわり、その中から適正な処方を選択する方法論を選択したのである。限られた処方の中から効くか効かないかという視点でその適正な運用に邁進した結果、新しい日本漢方独自の処方も生み出された。こうした古方派の単純な実証主義的立場は西洋医学の自然主義的精神に近い発想であり、幕末に多くの蘭方(オランダ医学)医家を生み出す原動力となった。わが国にも後世方医学派医家も存在するが、古方派の影響を強く受けたため、中国の後世派とわが国の古方派との中間の立場になっている。わが国では歴史的に古方医学が優勢であるのでその病理論、病気の診断理論について説明する。