漢方独特の病理論「気、血、水」について
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 病気という言葉は近代医学でも使われるが、もともとは気の病い、「 」すなわち「体の働き」に変調がおこった状態をいう。つまり漢方では正常の気が邪気におかされた状態を病気とみなすのである。”気”とは科学的に説明することが困難な漢方独特の概念であるが、視ることも捕まえることもできないがただ感じることはできる生命体の内包する一種の力とされる。いわゆる「気効」の気も同根である。気は漢方独特の概念であるが、似たものがないわけではない。薬の治験では薬効の評価にプラシーボと称する偽薬を対照として用いるが、全く薬効が期待できないはずなのに病態に薬効があらわれてくることが現実にある。これがいわゆる「プラシーボ効果」であるが、現代科学をもってしても説明できない現象とされている。推論にすぎないが、これこそ漢方でいう「気の効果」と同根ではなかろうか。後述するように多くの漢方処方には気に作用するとする薬剤が含まれているが、顕著な薬理効果を有する成分を含むものは少ない。「気の効果」は現実には存在すると考えざるを得ず、まだ科学がそれを解明するに至っていないだけであろう。スポーツの世界では集中力を高めるため、イメージトレーニングが広く採用されている。また、いわゆる「火事場の馬鹿力」も追いつめられたときにヒトが発揮する潜在力によるものである。その他、アロマテラピーや音楽療法による効果も近代科学では説明しきれていないので、このいずれも根底にあるのは気の論理ではなかろうか。気を非科学的として排除するのは漢方医学の根底を否定するものであろう。
 漢方では「」、「けつ」、「すい 」が生命の基調をなし、気によって血も水も動くと漢方では考え、気に異常があれば血あるいは水にも故障がおこり、血、水に故障があれば気の異常を伴うとする。血、水は体内を循環する血液、体液(水分)を指すと考えて差し支えない。簡単にいえば、病気とは気・血・水の調和の破れた状態と考えればよかろう。漢方処方では、通例、複数の生薬を配合するが、気・血・水の3要素に作用する生薬が含まれている例が多い。

1.血の変調に対する処方は?

 血液は体中を循環しているが、その循環に異常がある状態を漢方では「瘀血おけつ 」と称しており、西洋医学には見られない漢方独特の病理症候といえるだろう。しかし、これを近代医学の観点から説明するにはさほど困難ではない。瘀血は血液が停滞する状態、すなわち身体の各所、皮膚、粘膜などに鬱血、あるいはその徴候が現れている状態を指し、これは広い意味の循環障害とも解され多くの慢性病によく見られる状態であり、近代医学では一種の病的体質として認識されることが多いからである。具体的な症候としては、頭痛、不眠、肩こり、腹部膨満感、便秘などを伴い、鬱血または出血の傾向が現れるものを指すことが多い。実際の症例としては、高血圧、痔疾や婦人の月経不順、更年期障害が瘀血によるものと解されている。漢方では、このような状態は早く改善して病気の治りをよくすべきと考え、そのため以下に示すような「駆瘀くお血薬けつやく」と呼ばれる薬方が用意されている。瘀血の大半は月経不順や更年期障害など婦人に特有の疾患として現われ、この分野では西洋医学が歴史的に冷淡なこともあって、漢方は大きな注目を集め漢方処方薬がもっとも多く使用される分野となっている。近年、性差医学といって性による体質の違いを考慮して治療を行うようになったが、漢方はもともと証の診断で体質をもっとも重視していることもあってかかる分野でも注目されている。
桃核とうかく承気じょうきとう
 この処方はトウニン(桃仁)ケイヒ(桂皮)、カンゾウ(甘草)、ボウショウ(芒硝)注)ダイオウ(大黄)を配合したものであるが、トウニンがけつに作用する薬剤と考えられている。実際、トウニンエキスには活性成分は明らかにされていないが、血液凝固阻害作用が報告されているので瘀血を改善する薬剤の一つと考えてよいだろう。因みに、ケイヒ に作用する気剤であり、ダイオウ、ボウショウは駆水くすいざい にしばしば配合される瀉下剤である。この処方は、実証じっしょう陽明ようめいびょう 期の患者、すなわち「比較的体力があり、のぼせや冷えがあり便秘気味の月経不順、高血圧などを伴う患者」に用いられる。 腹診で瘀血の腹証ふくしょうである小腹しょうふく急結きゅうけつに対する処方である。
桂枝けいし茯苓ぶくりょうがん
 ケイヒ(桂皮)、ブクリョウ(茯苓)ボタンピ(牡丹皮)トウニン(桃仁)シャクヤク(芍薬)の粉末を配合した丸薬である。実証体質で少陽しょうようびょう期にある患者に処方され、のぼせ症で血色よく、頭痛、肩こり、めまい、下腹部の痛みを訴え、手足の冷えやうっ血などを伴う月経不順、婦人更年期障害などに用いる。肌荒れが著しいとき、ヨクイニン(薏苡仁)を配合した桂枝けいし茯苓ぶくりょうがん 料加りょうか薏苡仁よくいにん を処方する。トウニンとともにボタンピが駆瘀血作用のある生薬とされ、主成分であるペオノールには血小板凝集阻害作用が知られている。日本薬局方ではボタンピペオノールを1.0%以上含有すると規定されている。ブクリョウは駆水剤である。腹診で瘀血の腹証である小腹しょうふく硬満こうまんに対する処方である。
大黄だいおう牡丹皮ぼたんぴとう
 ボタンピ牡丹皮)トウニン(桃仁)トウガシ(冬瓜子)ダイオウ(大黄)、ボウショウ(芒硝)を配合した湯液である。実証で陽明病期にある患者で、「下腹部に痛みがあり、便秘を伴う月経困難、不順」に用いる。腹診で瘀血の腹証である小腹硬満に対する処方である。
当帰とうき芍薬散しゃくやくさん
 シャクヤク(芍薬)タクシャ(沢瀉)センキュウ(川芎)、ブクリョウ(茯苓)ビャクジュツ(白朮)トウキ(当帰)からなる散剤である。この処方は比較的体力に乏しい虚証きょしょう太陰たいいんびょう 期にある患者に対して、「冷え、貧血気味、排尿多く尿量少なく、下腹部痛がある冷え症、月経不順、月経困難、婦人更年期障害」などに用いられる。トウキセンキュウは、漢方では瘀血のほか補血薬ほけつやくとして婦人科用処方に多く配合される。いずれの生薬エキスも末梢血管拡張、血液凝固阻害などの血行障害に対して有効と考えられる作用が報告されている。ビャクジュツタクシャは水毒を去る駆水剤である。
 漢方で血の変調として瘀血のほか、血虚けつきょというのがあり、血の不足により貧血、皮膚の乾燥や色素沈着、体のだるさ、疲れ、寝起きの悪さ、動悸、息切れ肩こりや手足の冷えなど様々な症状が伴う。血虚に対する薬方が補血薬であり、その性格上、滋養強壮薬が配合されることが多い。
四物湯しもつとう
 トウキ(当帰)シャクヤク(芍薬)センキュウ(川芎)ジオウ(地黄)の4つからなる、昔から補血ほけつ の効があるとされた代表的な処方で、産後、流産後のように大量の出血の後など、皮膚が乾燥し、顔色が悪く、疲労感、冷えなどを訴える症状に用いる。ジオウは、この場合、熟地黄じゅくじおう(生地黄を蒸して乾燥したもの)が用いられる。
十全じゅうぜん大補湯たいほとう
 四物湯しもつとう に、主として強壮薬を配合した健胃消化薬方である四君子しくんしとう を合し、さらに気剤であるケイヒ(桂皮)と駆水剤であるオウギ(黄耆)を加えて補気ほき補血ほけつ駆水くすい の効を強めた処方である。処方名はけつの虚を補い十全の効があるという意味である。疲労衰弱が著しく貧血があり、食欲不振で手足が冷えるような症状に用い、産後の体力回復によく用いられる処方である。四君子湯はニンジン(人参)ビャクジュツ(白朮)、ブクリョウ(茯苓)、カンゾウ(甘草)タイソウ(大棗)ショウキョウ(生姜)からなる処方で、十全大補湯ではこのうちのタイソウ(大棗)ショウキョウ(生姜)が省略されている。

2.水の変調に対する処方は?

 水の動きの変調によって起きる病気を漢方では水毒によるものと考える。局所に水が停滞することにより起きるのが浮腫や関節の腫れであり、また発汗の過多過少、尿量の過多過少、下痢、便秘、口渇なども水の運行の変調の結果とされる。その他、咳や痰、冷え、めまい、頭痛、嘔吐なども症状の進行次第で現れてくる。漢方では温湿、冷湿などのように症状を表現することがしばしばあるが、湿は水毒のことを指す。漢方では病的状態を改善し病気の治りをよくするため、水毒を除去する駆水剤がしばしば用いられる。西洋医学でも利尿薬があるが、必ずしも駆水剤すなわち利尿薬ではない。漢方では駆水はあくまで病的状態の改善であり、病気の治療の補助という位置づけだからである。駆水剤とされる処方にはタクシャ(沢瀉)、ブクリョウ(茯苓)、チョレイ(猪苓)ビャクジュツ(白朮)が配合されることが多く、他にマオウ(麻黄)モクツウ(木通)オウギ(黄耆)サイシン(細辛)も駆水薬と考えられている生薬である。
苓桂りょうけい朮甘湯じゅつかんとう
 ブクリョウ(茯苓)ケイヒ(桂皮)、カンゾウ(甘草)ビャクジュツ(白朮)を配合した『傷寒論しょうかんろん 』、『金匱きんき要略ようりゃく 』のいずれにも収載される処方である。少陽しょうようびょう 期の患者で「立ちくらみや頭の重さを訴え、胃内停水感などのある胃疾患」などに処方される典型的な駆水薬方である。ブクリョウ、ビャクジュツが駆水剤であるが、顕著な利尿作用は報告されておらず、漢方でいう駆水は必ずしも利尿を意味する訳ではないことがわかる。
五苓散ごれいさん
 タクシャ(沢瀉)、チョレイ(猪苓)、ブクリョウ(茯苓)ビャクジュツ(白朮)ケイヒ(桂皮)からなる処方で、苓桂りょうけい朮甘じゅつかんとうと同様、『傷寒論』、『金匱要略』以来の歴史をもつ駆水薬方である。どちらかといえば虚証気味の少陽病期の患者で「尿量が少なく、口渇、めまい、頭痛、浮腫を伴う腎疾患」に用いる。この処方はタクシャ、チョレイ、ブクリョウ、ビャクジュツの4つの駆水薬を配合したものであるが、ブクリョウの水エキスに利尿作用が報告されているほかは、利尿作用は確認されていない。ただ、タクシャには実験的尿毒症を改善するという注目すべき報告がある。
小半夏しょうはんげ加茯苓湯かぶくりょうとう
 ハンゲ(半夏)、ブクリョウ(茯苓)、ショウキョウ(生姜)の3つの駆水剤を配合した処方であるが、少陽病期にある虚証きょしょう体質の患者で、「つわりのような嘔吐、 悪心おしんを訴える症状」の改善に用いる。ハンゲショウキョウには鎮吐作用が報告されている。
呉茱萸湯ごしゅゆとう
 ゴシュユ(呉茱萸)ニンジン(人参)タイソウ(大棗)ショウキョウ(生姜)からなる処方で、ニンジンタイソウという強壮薬が配合されていることからわかるように虚証体質の患者に用いる。太陰たいいんびょう期にある患者で「みぞおちに膨満感があり、手足が冷え、頭痛、しゃっくり、吐き気を伴う症状」に用いる。ゴシュユを主薬とする処方であるが、ゴシュユには血管拡張作用、鎮痙作用があるシネフリンが含まれることで一部の症状の改善が説明できる。呉茱萸湯は水毒を去る駆水薬ということになっているが、ハンゲ、ブクリョウ、ビャクジュツなどを用いる駆水剤とはかなり用法の点で異なるので、駆水薬に分類しない方が適当かもしれない。

3.気の変調に対する処方は?

 は実感しにくいものであるが、漢方ではを生命の基本でありその異常は心、体の連携による諸機能を不調和に追い込むと考えている。気は西洋医学で相手にされないこともあって、気に作用する気剤はほとんど無視されがちであり、具体的な例はあまり列挙されることはない。その中で、明確に気剤として用いられているものに半夏はんげ厚朴湯こうぼくとうがあり、主に気滞きたい を治すものされる。気滞とは気が偏って滞った状態を指し、頭が重く咽喉や食道が詰まる感じで腹痛やおなかがふくれる不快感をもたらす状態をいう。医療の現場では神経症や神経性胃炎などに用いられる処方である。この中で気そのものを治すとされるのはソヨウ(蘇葉)コウボク(厚朴)、コウブシ(香附子)である。コウボクについては吉益東洞は『薬徴』で「主として胸部、腹部の膨張や膨満を治す」と述べ、胸部、腹部の膨張や膨満が気滞によるものと考えていることが理解されよう。コウブシも「みぞおちのあたりに気が鬱滞してつかえたり、膨満するものを治す」(『一本堂いっぽんどう薬選やくせん 』)とあり、コウボクと同様に漢方では気剤として用いられてきたことがわかる。コウブシは香蘇散こうそさん の主剤である。漢方においては、けつすいと連携するものなので、血や水の変調に対する処方に多く処方され、気のみというのは少ない。漢方には「 駆風薬くふうやく 」と称するものがあるが、ソヨウハッカ(薄荷)などが相当する。駆風薬とは体の中に貯まったガスを排出することを指すが、滞った気を排出する意味もあると解釈される。この観点に立てば、駆瘀血くおけつ補血ほけつ薬である加味かみ逍遥しょうようさんに駆風薬であるハッカが配合されている意味が理解できるであろう。
 胃腸病薬として用いられる生薬には大きく分けて苦味くみ健胃薬けんいやく芳香ほうこう健胃薬けんいやくがある。前者は強烈な苦味成分がありその刺激で胃液分泌の亢進等で胃腸機能が改善されることが知られている。芳香健胃薬とされる生薬にはウイキョウ(茴香)ケイヒ(桂皮)チョウジ(丁子)チンピ(陳皮)があるが、いずれも精油成分に富む。芳香健胃薬では精油成分に胃腸の機能をある程度亢進する作用が報告されているが、苦味成分のそれとは比較にならない。芳香健胃薬はいずれも健胃消化を目的とする処方に配合されるが、この中で明確に気剤とされるのはケイヒである。漢方では芳香健胃薬による胃腸機能の改善効果を気に対する作用の結果と考えているのではないかと思われる。この観点に立てば、おそらく、チンピチョウジウイキョウも漢方における用法を考えれば気剤としてよいのではないかと思う。その他、気剤とされる生薬にコウブシ(香附子)があり、また、ショウキョウ(生姜)も気剤とする説がある。気剤とされるものはコウボク(厚朴)も含めていずれも精油を多く含有するが、西洋においても精油を含むハーブをアロマテラピーに多用していることを考えると興味深い。とりわけ、西洋ではワレリアナ根(Valerianae officinalis Radix)を鎮静薬として用いてきたが、その精油含量も非常に高いことで知られる。気とは科学では解明できていないものであるが、精油を介して西洋と東洋が結ばれているのは確かなようである。
半夏はんげ厚朴湯こうぼくとう
 ハンゲ(半夏)、ブクリョウ(茯苓)コウボク(厚朴)ソヨウ(蘇葉)ショウキョウ(生姜)の5種の生薬が配合され、「気分がふさぎ、咽喉、食道に異物感があり、めまいや吐き気を伴う症状」を訴える実証体質の患者に用いられる。
加味かみ逍遥しょうようさん
 トウキ(当帰)ビャクジュツ(白朮)サイコ(柴胡)シャクヤク(芍薬)、ブクリョウ(茯苓)サンシシ(山梔子)ボタンピ(牡丹皮)、カンゾウ(甘草)ショウキョウ(生姜)ハッカ(薄荷)を配合。虚証の婦人で、肩こりがあり、疲れやすく精神不安があり、月経不順や更年期障害、冷え症などを伴っている場合に用いる。
香蘇散こうそさん
 コウブシ(香附子)ソヨウ(蘇葉)チンピ(陳皮)ショウキョウ(生姜)、カンゾウ(甘草)からなる散剤。慢性的に胃腸虚弱でかぜ薬がのめない体質、気鬱、虚証の患者でかぜの初期に用いる。
 その他、気の異常として漢方では気虚ききょ気逆きぎゃくを挙げている。気虚は気が乏しい状態を指し、体に対して疲れやすい、食欲不振、消化機能低下などの形で跳ね返ってくるとされ、漢方では気を充実させ体力を回復させるような薬剤、すなわち気剤と強壮剤からなる薬方を処方する。前述の芳香性健胃薬は気虚に対する薬ともいえよう。気逆とは発作的にのぼせやほてり、不安を生じる状態をいい、西洋医学的にはヒステリーと同様なものと考えられる。ヒステリーは複雑な要因によって発生するものであり、漢方においても全て気逆に帰するものではない。気逆に基づくとされる症状には前述の半夏はんげ厚朴湯こうぼくとうが処方される。

4.食毒が病気の原因となる

 漢方の病理観として気、血、水を挙げて説明したが、もう一つ漢方独特の病理症状に「食毒」というのがある。これは消化器、とりわけ腸内にたまった廃物(宿便)による自家中毒と考えてよく、これが病気をおこし治りを遅滞させるとする。漢方処方薬の中には、ダイオウなど単体でも下剤として繁用される生薬を含むものが多くあるが、それはこういう考え方に基づく。西洋でも下剤は歴史的にもっとも繁用されてきた薬であるが、不思議なことにこれと基本的には同じ発想に基づいている。











注)芒硝は現在では日本薬局方に収載する「硫酸ナトリウム」を用いるが、もともとは中国の半砂漠地帯でアルカリ土壌の中に混ざっている天然塩類を簡単処理して造ったものである。したがって化学的に純粋ではなく数種の成分の混合物である。一説によると漢方で用いる芒硝の薬効の本体は硫酸ナトリウムではなく、硫酸マグネシウムという。一部の漢方医家はもっぱら硫酸マグネシウムを用いるようである。