漢方の病状診断「しょう」とは何か?
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 西洋医学では、通例、病名診断にしたがって治療を行う。したがって、発熱すれば解熱薬、風邪をひけば風邪薬という風に治療法は固定しているのが普通である。一方、漢方では、発熱したからといって必ずしも解熱薬を処方するとはかぎらず、しょうと称する西洋医学における病名診断とは全く異なる診断方法に基づいて治療を行う。「証」とは、漢方独特の概念であり、患者の体質虚実きょじつ陰陽いんよう寒熱かんねつ など)、病気の表れ方、体内での病気の位置(表裏ひょうり、内外ないがい)、病気の進行状況六病位ろくびょういに基づいて行う診断と治療方針が一体となったものである。漢方でも西洋医学でも「疾病の治療」を行う点では同じである。ただ、漢方では基本理論として疾病を時間的経過でもって動的にとらえているので同じ疾病でも治療法が異なる場合があるのに対し、西洋医学では一つの疾病に対して治療法は一つである。具体例をあげれば、いわゆる「風邪の初期」に対して、漢方では「桂枝けいしとう」と「葛根かっこんとう 」という二つの処方を用意している。桂枝湯は主として体力のない虚弱な患者向けに処方され、葛根湯は逆に比較的体力のある患者に対して処方される。葛根湯は桂枝湯にカッコン(葛根)マオウ(麻黄)を加えたいわば「桂枝加葛根麻黄湯」であるが、これらは『神農しんのう本草ほんぞうきょう』においていずれも「中薬ちゅうやく」に列せられるものであり、漢方においては虚弱体質の患者にふさわしくないと考えられている薬物である。桂枝湯、葛根湯いずれも処方、すなわち治療の指針でもあり、この例では虚弱か否かの患者の体質によって治療法を区別しているのである。かかることは西洋医学では考えられないことであり、漢方治療は西洋医学に取り入れるのは困難に見える。しかし、現実的には漢方の西洋医学的説明による治療が実践されつつあり、かっての病名漢方治療(病名診断を西洋医学で行い、漢方処方をその治療薬として用いること)から一歩進んだ状況になっている。現在では証と病名に一定の相関関係があり、全てではないにしても漢方治療、すなわち証の妥当性が立証されている。ここでは漢方診断がどのように行われているかを説明する。

1.三陰三陽-漢方医学の診断は陰陽思想に基づく

 中国では自然界に起きる全ての事象を対比する要素で説明しようとする陰陽思想が支配的であった。漢方の理論でもその傾向は強く、病気診断でもすべて対比要素で記述され、病人も陰証いんしょう陽証ようしょう に大別する。陰陽理論では、陰とは沈滞、消極、退行、寒涼など、陽は陰の反対であり発揚、積極、能動、進行、温熱などを意味する。陰証とは病毒が勝って抵抗力が落ち、熱感ねつかんがなく悪寒おかん や手足の冷えを感じる状態をいう。陽証は逆に体力が病毒に勝り発熱の状態および発熱と悪寒を感じる状態(往来おうらい悪寒おかん)をいう。寒熱かんね)は漢方で様々な症状の記述によく用いられる要素であるが、熱とは必ずしも体温の上昇を意味せず、自発的な熱感を訴えるときや医師の診断で熱感を認めたときのことをいう。つまりのぼせ気味で赤ら顔の状態、尿の色が濃く少ない状態は熱証ねっしょうと考える。寒とは新陳代謝が衰え、自覚的に冷えの感覚を感じるときの状態を指し、脈は弱く顔色が青白いなどはこの状態をいう。寒証も必ずしも体温の低い状態を指すのではなく、尿の色が薄く大量に出る状態も典型的な寒証かんしょうとされる。前述したように、漢方医学と西洋医学の相違としてもっとも大きな点は、漢方では病態を進行状況にしたがって六病位ろくびょうい という六段階に分類している点である。六病位は病気の時間的経過を表し、刻々と変わるという認識に基づいている。同じ風邪でも初期段階とそうでない場合、漢方では異なる処方(治療法)が用意されているのはかかる理論が根底にある。『傷寒しょうかんろん』では、陽証を太陽たいようびょう少陽しょうようびょう陽明ようめいびょう、陰証は太陰たいいんびょう少陰しょういんびょう厥陰けっちんびょうの3つにわけ、これを三陰さんいん三陽さんようという。漢方では、病位を示す要素として表裏ひょうりというのがある。病毒が皮膚や筋肉、関節など身体の表層にとどまっている状態を「ひょう」、内蔵などのように身体内部にある状態を「」、その中間状態にある場合を「半表はんぴょう半裏はんり」と考える。太陽病は「ひょう」、少陽病は「半表はんぴょう半裏はんり」、陽明病は「」、陰証の三陰はどの状態も「」とされている。『傷寒論』では表裏の他に内外ないがいという概念があるが、表裏ひょうりと酷似し差はごく軽微なので、「」すなわち内ない、「ひょう」すなわちがいと考えても差し支えない。陽証は熱(漢方的概念の寒熱の熱)をもって始まるとされる。太陽病は病気の初期であり、悪寒(「おかん」と読み寒気の意味)、発熱、頭痛、項(首のこと)がこわばり、浮脈ふみゃく(指をちょっと置いただけで脈を感じる)を示す。少陽しょうようびょうは太陽病と陽明病の中間の状態で太陽たいようびょうよりは症状が重く陽明ようめいびょうよりは軽く、脇腹が重苦しく張っている感じ胸脇きょうきょう苦満くまんがし、脈は弓の弦のように感じ弦脈げんみゃく、口が苦く吐き気がし、また寒気がしたり熱っぽく感じたりする。陽明病は三陽のうちもっとも陽がもっとも強く、持続的な熱があってむしむして腹が張り腹満ふくまん、脈は弓の弦がピンと張ったような感じ緊脈きんみゃくがし、便秘がある。『傷寒論』では太陽病→陽明病→少陽病の順に進行するとしているが、日本の漢方医学では太陽病→少陽病→陽明病の順に進行すると考えるのが主流である。陰証は寒(漢方的概念の寒熱の寒)でもって始まるが、三陰は三陽ほど明確な区別があるわけでなく、症状の程度の違いにすぎない。症状は太陰病→少陰病→厥陰病の順に症状が進行すると考える。太陰病は腹が張るが力強さがなく、下痢、嘔吐があり、脈は沈脈ちんみゃく (指を軽く触れただけではわからないような弱々しい脈)である。少陰病は腹は軟弱無力、手足が冷え、心機能低下、太陰病のときより更に激しい下痢があり、脈は弱い細脈さいみゃく 。厥陰病は更に重い症状で意識朦朧の状態となる。病気は原則的には陽証から陰証へ前述の順序で進行するが、太陽病から陽明病あるいは陰証になることもあり、また陰証から始まることもある。漢方治療の原則として「陰証に対しては熱をもって治療し、陽証に対しては寒をもって治療する」というのがある。これは陽証に対しては体を冷やす作用の薬を用い、陰証では逆に温める作用の薬を用いて病邪を追い払う温散うんさんことを意味する。太陽病の治療法として発汗させるのは体を冷やすためである。解毒駆水くすい駆風くふう など)や瀉下も漢方では陽証の治療法としてよく用いられるが、この場合の毒とは、必ずしも毒素の意味ではなく、体液の停滞、消化器に溜まった食品の廃物によって体の不具合が引き起こされるとし、水毒すいどく食毒しょくどく と称されるものをいう(→関連ページを参照)。一方、陰証では以上のような治療法が採用されないのはもはやそのような激しい治療法に体力が伴わないという考えに基づく。以上、『傷寒論』における病気の進行状態について述べたが、それに伴う症状の発現、治療法および適応処方の相関は次のようになる。西洋医学とは異なり、漢方医学では全ての病気はけつすいの不調和から起きると考えているので、病因に関わらず同じ症状であれば同じ治療法が与えられる。

表1 三陽と症状及び処方との相関
病 位 太陽病 少陽病 陽明病
病毒位置 半表半裏
熱 感 あり,発熱 あり,往来悪寒 あり,持続熱
汗の状態 無汗   発汗
脈の状態 浮脈 弦脈 緊脈
症 状 頭痛,頭重,肩こり
関節痛
めまい,口渇,吐気
食欲不振,胸脇苦満
便秘,腹満
治 療 発汗 解毒 瀉下
主な処方 葛根湯,桂枝湯
麻黄湯,大青竜湯
小柴胡湯,大柴胡湯
甘草瀉心湯
白虎湯,大承気湯
小承気湯
表2 三陰と症状及び処方との相関
病 位 太陰病 少陰病 厥陰病
病毒位置
熱 感 なし なし,悪寒  
汗の状態      
脈の状態 沈脈 細脈 微脈
症 状 下痢,嘔吐,腹満
腹痛
手足の冷え
腹は軟弱無力
心機能低下
意識朦朧
治 療 温散 温散 温散
主な処方 桂枝加芍薬湯,桂枝加大黄湯,小建中湯,八味地黄丸 真武湯
麻黄附子細辛湯
四逆湯

2.虚証と実証-漢方では体質によって治療法は異なる

 陰陽証は病体を外部から観察した疾病の状態であるが、病体の内部の状態を表すものとして虚実きょじつしょうがある。虚証きょしょうとは体力に乏しく病気に抵抗できない状態、実証じっしょうは体力が充実し病気に抵抗できる状態をいう。しばしば頑強の体質を実証じっしょう、虚弱な体質を虚証きょしょう と一義的に考えがちであるが、正確には病気にかかった状態で病気に対する抵抗力で判断するのが正しく、脈診みゃくしん腹診ふくしんの結果に基づいて判断する。実証では脈は力強く腹部は弾力に富み肌に張りがあるのに対して、虚証では脈が弱く腹部に弾力がなく肌に張りがない。漢方では、以上の陰陽いんよう虚実きょじつを組み合わせ、陰病の状態で虚であれば陰虚いんきょしょう という風に診断する。そのほか、陰実いんじつ陽虚ようきょ陽実ようじつしょうがあるが、少陰しょういんびょう厥陰けっちんびょうではきょだけでじつはない。実際の漢方の診療では虚実だけで判断することも多く、病位と虚実証にしたがって歴史的経験に基づいて適切な処方が選ばれる。同じ症状であっても必ずしも同じ薬物が処方されるとは限らないことは前述した通りである。仮に患者が便秘だとした場合、実証じっしょうでは下剤を処方すればよいのに対して、虚証きょしょうでは体全体に活力が乏しく疲労しやすいので下剤の服用は逆効果と考えるのである。
 漢方医学は病名診断ではないのだが、風邪を例に挙げて実際にどのように処方が使い分けられているか説明しよう。風邪の進行状況を初期、中期、後期と分け、これに虚実症を組み合わせてそれぞれ対応する処方を配したものが表2である。三陰三陽との関連では、風邪の引き始めの初期は太陽たいようびょう、病状がさらに進行した中期を少陽しょうようびょう 、慢性化した後期は陽明ようめいびょう 以降と考えて差し支えない。風邪を引いたばかりで実証、太陽病期にある患者は汗が出ず、高熱、悪寒、関節痛、軽い咳がある。この場合は発汗の効のある麻黄湯まおうとう葛根湯かっこんとう を処方し、体温を下げる。麻黄湯はもっとも実証の強い患者に処方し、葛根湯症の患者はそれより実証がやや弱く、肩こりを伴うとき処方する。発汗はマオウ(麻黄)によるもので、実験的に発汗作用のあることが確認されている。一方、実証患者で風邪が更に進行し、少陽病、陽明病期にある場合は、のどが渇き激しい咳を伴うので、麻杏まきょう甘石湯かんせきとう を処方することによりマオウエフェドリンによる咳止めの効により治すことができる(→抗喘息薬エフェドリンのお話を参照)。麻杏甘石湯は麻黄湯の桂枝ケイシ桂皮ケイヒ石膏セッコウに置き換えただけだが、この場合はマオウの発汗作用は止汗作用に転ずるとされるがまだ科学的証明はされていないようである。但し、石膏は吉益東洞の『薬徴』」によれば「主治煩渇也(主として激しい口渇を治す)」とあり、実際に口渇状態を作成したラットを用いた実験で飲水量の減少が確認されている。どちらかといえば実証で少陽病期にある患者で、熱はそれほど高くなく、口渇、嘔吐のほか、特に胸脇きょうきょう苦満くまん(みずおちからその左右にかけて重苦しさを感じる)がある場合、胸脇苦満を治す代表的な生薬である柴胡サイコ ミシマサイコの根)を主剤とするしょう柴胡さいことうを処する。小柴胡湯は必ずしも風邪の処方ではないが、風邪の症状の進行の過程では、小柴胡湯証ともいうべき症状が現れる。この症状を経てさらに病状が進行し気管支炎を併発して痰が多くなった場合は鎮咳去痰の効の強い清肺湯せいはいとうを処方する。清肺湯は16味の生薬を配合した処方で、この中には咳止めや去痰に関連すると思われる生薬、すなわち麦門冬バクモンドウジャノヒゲの根でサポニンに富む)桔梗キキョウキキョウの根でサポニンに富む)杏仁キョウニン アンズの種子でアミグダリンを含む)甘草カンゾウサポニンの一種グリチルリチンを含む)が配合されていることに留意すべきである。逆にのどに潤いがなくて痰が少なく乾性の咳がでるような場合には滋陰じいん降火こうかとう を処方する。かぜの後期で腹痛を伴う胃腸炎、微熱、さむけ、頭痛、吐き気などを伴う場合は柴胡さいこ桂枝湯けいしとう を処方する。風邪の過程で気管支肺炎を起こす場合があるが、その初中期で鼻炎をわずらい鼻水がよく出て咳込む時、小青竜湯を用いる。以上の処方はいずれも虚実間から実証体質向けに用いられるものだが、虚証体質の患者に対して異なる処方を漢方医学は用意している。例えば、葛根湯証に対する処方で、体力の衰えたときにひいた風邪の初期には、葛根湯から葛根、麻黄を除いた処方である桂枝湯が用いられる。葛根湯、麻黄湯で発汗し体力を消耗したときにも桂枝湯が処方される。風邪が長引いて体力を消耗しながらも回復の途上にある場合は、病後の回復に繁用される保健強壮処方である補中ほちゅう益気湯えっきとう を用いる。平素から虚弱な体質の患者や老人の場合、風邪にかかっても発熱も弱く、咳もあまり出ず、下痢が続いて全体として生気のない状態となるので、真武湯しんぶとうを用いることが多い。本処方には虚証体質向けの処方に多く配合される附子ブシトリカブトの根)が含まれているので、患者の病状にしたがって随時配合量を変える。

表2 風邪に繁用される漢方処方とその適用証の相関
初 期 中 期 後 期
実 証
麻 黄 湯 麻 杏 甘 石 湯
 
葛 根 湯 小 柴 胡 湯 清 肺 湯
 
  滋 陰 降 火 湯
 
    柴 胡 桂 枝 湯
虚実間 小  青  竜  湯  

虚 証
 
桂 枝 湯    
 
    補 中 益 気 湯
 
真  武  湯
       

麻黄湯まおうとう
 この処方はマオウ(麻黄)キョウニン(杏仁)ケイヒ(桂皮)、カンゾウ(甘草)を配合したものである。風邪の引き始めで鼻がつまって悪寒があり、汗は出ず、発熱、頭痛など身体各所に痛みがある場合に用いる。マオウの水製エキスにはラット経口投与で発汗作用のあることが確認されている。
麻杏まきょう甘石湯かんせきとう
 この処方はマオウ(麻黄)キョウニン(杏仁)、カンゾウ(甘草)、セッコウ(石膏)を配合したものである。風邪が進行して咳が激しくなり、口渇、喘鳴、頭部発汗を伴う場合に用いる。マオウは抗喘息成分であるエフェドリンが含まれ、咳止め薬として作用する(→抗喘息薬エフェドリンのお話を参照)。セッコウは含水硫酸カルシウムであり、その煎液にはラットを用いた実験で口渇を抑える効果が報告されている。古方派漢方では呼吸困難を伴う発作がある場合、更に簡素化した処方、すなわちマオウ、カンゾウだけからなる甘草かんぞう麻黄湯まおうとうを用いる。
葛根湯かっこんとう
 この処方はカッコン(葛根)マオウ(麻黄)タイソウ(大棗)ケイヒ(桂皮)シャクヤク(芍薬)、カンゾウ(甘草)ショウキョウ(生姜)を配合したものである。風邪の引き始めで、首筋から肩にかけてこりがあり、頭痛や筋肉痛があるとき用いる。吉益東洞は『薬徴』でカッコンを”主治項背強也(主として項や背中が強ばるものを治す)”薬としたが、含有成分であるダイゼインにはマウス摘出小腸でパパベリン様鎮痙作用が確認されている。葛根末、同水製エキスに解熱作用のあることも報告されている。
小柴胡湯しょうさいことう
 サイコ(柴胡)ハンゲ(半夏)オウゴン(黄芩)チクセツニンジン(竹節人参)タイソウ(大棗)、カンゾウ(甘草)ショウキョウ(生姜)からなる処方で、胸や脇腹が重苦しくて疲れやすく、悪寒があったりなかったりの状態が続き、微熱、食欲不振、咳が出る症状に用いる。漢方医家によって竹節人参の代わりに人参を用いることも多い。
清肺湯せいはいとう
 この処方はブクリョウ(茯苓)トウキ(当帰)バクモンドウ(麦門冬)オウゴン(黄芩)キキョウ(桔梗)、ソウハクヒ(桑白皮)、キョウニン(杏仁)サンシシ(山梔子)、テンモンドウ(天門冬)バイモ(貝母)チンピ(陳皮)タイソウ(大棗)、チクジョ(竹茹)ゴミシ(五味子)ショウキョウ(生姜)、カンゾウ(甘草)を配合したものである。風邪が慢性化し痰が多く出て咳き込む場合などに用いる鎮咳去痰の処方である。
滋陰じいん降火湯こうかとう
 この処方はビャクジュツ(白朮)トウキ(当帰)シャクヤク(芍薬)ジオウ(地黄)、テンモンドウ(天門冬)バクモンドウ(麦門冬)チンピ(陳皮)チモ(知母)オウバク(黄柏)、カンゾウ(甘草)を配合したものである。咳や痰があってのどがつまるような場合に用いる鎮咳ちんがい去痰きょたんの処方である。
柴胡さいこ桂枝湯けいしとう
 この処方はサイコ(柴胡)ハンゲ(半夏)ケイヒ(桂皮)シャクヤク(芍薬)オウゴン(黄芩)ニンジン(人参)タイソウ(大棗)、カンゾウ(甘草)ショウキョウ(生姜)を配合したものである。微熱、悪寒、頭痛、吐き気などがある風邪の後期に小柴胡湯と同じような目標で用いられる。
しょう青竜湯せいりゅうとう
 この処方はハンゲ(半夏)マオウ(麻黄)シャクヤク(芍薬)カンキョウ(生姜)、カンゾウ(甘草)ケイヒ(桂皮)サイシン(細辛)ゴミシ(五味子)、を配合したものである。水様の鼻水や痰が出て気管支炎を発症、あるいは風邪をひいたとき喘息発作を起こすときなどに用いる。今日では鼻炎、気管支炎用薬とされ繁用される。
桂枝湯けいしとう
 この処方はタイソウ(大棗)ケイヒ(桂皮)シャクヤク(芍薬)、カンゾウ(甘草)ショウキョウ(生姜)を配合したものである。平素虚弱あるいは病後で体力が十分に回復しないときに風邪をひいた初期状態に用いる。また、麻黄湯、葛根湯を服用して発汗し、まだすっきりしないようなときにも用いる。漢方では、汗が自然に出ている状態で本処方を服用すると汗を止める効があるとされる。
補中ほちゅう益気湯えっきとう
 この処方はニンジン(人参)ビャクジュツ(白朮)、オウギ(黄耆)トウキ(当帰)チンピ(陳皮)タイソウ(大棗)、カンゾウ(甘草)サイコ(柴胡)ショウキョウ(生姜)ショウマ(升麻)を配合したもので、もともと虚弱体質あるいは病後の衰弱した状態で元気がなく胃腸の働きが衰え食欲もなく疲れやすい場合に用いる処方である。
真武湯しんぶとう
 この処方はブクリョウ(茯苓)シャクヤク(芍薬)ショウキョウ(生姜)ビャクジュツ(白朮)ホウブシ(炮附子)を配合したものである。インフルエンザに感染、あるいは肺炎を発症したときでも熱があまり高くなく脈も力がないことがあるが、平素体の弱い人または老人など虚証体質の患者に現れる症状である。この場合、漢方では本処方や四逆湯しぎゃくとう 甘草カンゾウ乾姜カンキョウ附子ブシを配合したもので四逆散しぎゃくさん とは全く異なる)のように附子ブシを配合した処方を用いる。

3.漢方診断の長所と限界

 以上、六病位と虚実の分類により漢方の治療が行われることを説明したが、漢方医学は伝統的に病因を突き止めるという姿勢はとらなかったので、癌や心血管疾患など原因のはっきりしている重篤な病気の治療にはあまり期待できないことはいうまでもない。西洋医学が圧倒的優位にある感染症に対しても漢方が提供する処方はいずれも病原菌を排除するものではなく、症状的に同じであれば一般の病気の場合と同じ処方を使っているにすぎない。また、全ての処方が虚実と一義的に分類されている訳ではなく、どちらかといえば実証、どちらかといえば虚証に用いるという中間のものも多く存在する。六病位と虚実の分類は主観により大きな差があるのも確かであり、ここに呪術的観念論に陥る危険性が垣間見える。それ故、近代化学を基盤にした西洋医学から強い批判があったのは当然である。しかし、わが国の漢方医学の主流は吉益東洞ら江戸時代の実証主義的な立場から『傷寒論』を再評価した古方派漢方医学に由来し、西洋医学的説明のもとに漢方を再評価しその利点を取り込む姿勢をとっているので、教条主義的なドグマに陥ることはなく、この辺は柔軟に対応していると思われる。また、現実的には伝統的な漢方の診察に基づいて治療することはわが国ではほとんどなく、大半は証の西洋医学的解釈に基づいて適当な漢方処方が選択されている。一方で、六病位虚実論は西洋医学にない新鮮さがあるのも事実である。西洋医学では新薬の治験の時から一貫して患者は病名毎に同じグループにまとめられ、薬が有効か否かは統計的処理により判断される。ヒトも動物であり、遺伝形質の違いに基づく個体の多様性が著しいのは承知の事実である。したがって薬物に対する感受性にも大きな差があり、薬により効いたり効かなかったり個人差が激しいのであるが、西洋医学では薬の使用でこのことが顧みられてこなかったのである。漢方医学ではかかる個体の多様性は虚実、寒熱、陰陽などの証として患者の体質の違いなどを認識し、それにより治療法を使い分けている。平成9年、抗癌薬イリノテカンによる副作用で多くの犠牲者が続出し、厚生労働省が緊急安全性情報(ドクターレター)を出して注意を促したことがあった。イリノテカンは細胞傷害性分子標的薬であり”きわめて切れ味の鋭い抗癌薬”として知られているが、このような薬剤は、漢方的発想に立てば、「癌の初期に患者の体力が十分にあるときに使用」してこそ最大の効果が得られると考えられる。しかし、実際にはかなり癌の進行した状態で使用されていたといわれ、その結果、多くの犠牲者がでたのではなかろうか。これは患者を全て同一視する西洋医学の欠点であり、一見、非科学的に見える漢方の理論がいかに先進的であるかが理解できよう。伝統医学の限界を見極める必要があることも事実であるが、その優れたソフト的知恵は十分に利用価値があるのも事実である。